第182話 ホームへ

 日本シリーズ第三戦は、千葉から東京に移動する。

 本拠地であるのに直史にとっては、住所から遠い場所になってしまう。

 それでも実家から通うのと比べれば、ずっと楽なものであるが。

 今日からはベンチメンバーに名前があり、そしてミーティングでも確認される。

 クローザーとしての登板をである。


 直史がリードしている状況でリリーフした場合、必ず試合には勝つ。

 高校時代に負けた試合でさえ、ほとんどは先発してのものであった。

 負けてる状況からでは、さすがに味方が逆転してくれなければ、勝つことなど出来はしない。

 なのでここでクローザーとして投げる場合も、当然ながら勝っている場面である。

 もっとも状況的に、レックスは勝ちパターンまで持ち込めば、勝率が格段に上がる。

 他のチームでも終盤でリードしていれば、それはそうであろう。

 ただライガースを相手にすると、それなりに逆転されたりもする。


 野球を八回までのゲームにする、圧倒的なクローザーというのは存在する。

 実際に直史も、MLBで30セーブ達成しているが、セーブ機会の失敗が一度もなかった。

 それどころか失点すら許していないという、完璧なクローザー。

 もっとも本人の気質的には、先発の方が向いている。

 だが短期決戦であれば、平気でリリーフにも入るのだ。


 第三戦の先発は百目鬼。

 去年ブレイクして、今年から完全にローテーションに入ることとなった。

 今年の成績は15勝7敗と、素晴らしいものである。

 単純に勝敗の数だけではなく、大崩れする試合が少なかったのだ。

 クオリティスタート率などは、余裕で50%を上回っている。

 しかも今年は、完投を二試合達成している。


 去年からの上昇も考えれば、来年の数字もかなり期待できる。

 もっともそれはレックスという、守備が安定してその上で、ある程度の点数も取れるチームだからこそだ。

 将来的にポスティングでMLBに行くかどうかは、まだ年齢が若いので分からない。

 ここからどこまで上昇曲線を描いて、それをどう維持出来るのか。

 必死で今の状態を維持するのが、直史としては精一杯である。

 若者の成長を見るのは、楽しいのと同時に羨ましい。

 それなら最初からプロに行っておけという話なので、絶対に口にはしないが。


 高校時代の直史は、プロのスカウトの目から見てまだ球速が足りなかった。

 それでも志望届を出してさえいれば、レックスは大介を競合することなく、一位で直史を取るべきと鉄也などは言ったろう。

 もっともさすがに、その意見は通らなかったと思う。

 大学で150km/hオーバーを投げるようになって、本格的にプロのスカウトにも注目されるようになった。

 本人はロースクールに進んで、プロからの調査書を完全無視したが。

 昔と違って今は、強行指名が出来ない時代である。

 それでも社会人に出て二年目、タイタンズが育成指名などをしてきたが、全く見向きもしていない。

 クラブチームの選手として参戦しながら、社会人チームと当たっても打たれない。

 プロで完全な成績を残すのであれば、間違いなく大卒の段階であったろう。

 もっともその時系列でプロに入っていたら、樋口とのバッテリーが成立しなかったが。




 直史のような例は、おそらく今後はもう出ることがない。

 ただドラフト制度というのは、年々少しずつ変わっていったりする。

 百目鬼はまっとうに、プロ入り二年目からしっかり結果を出すようになった。

 そして三年目にはローテを完全に守っているのだから、既にこの時点で成功ではある。


 もっとも今はそのさらに先に、大成功がある。

 選手として殿堂入りし、監督としてユニフォームを着ることではない。

 MLBに移籍して、NPBの数倍から10倍以上の年俸を得ることだ。

 大型契約によって、100億円以上を手に入れることも珍しくはない。 

 大介などもインセンティブなしの年俸だけで、5億ドル以上を稼いだのだ。

 ただスポンサー契約や、資産運用の成功などで、口座の現金はえらいことになっているが。


 大介は勇退しても、ライガースが残したがるだろう。

 だが本人は選手でなくなるのならば、独立リーグに行ってでも選手生活を続けるかもしれない。

 あるいはコーチや指導者になるのなら、むしろアマチュアの方に興味を示すだろう。

 プロという世界では、大介は自分の当事者意識が強すぎる。

 アマチュアで素材となっている選手たちを、見ていくほうが向いている。


 そんな大介はもう関西に戻って、二軍のグラウンドを見ていたりする。

 もちろんこの試合に関しては、しっかりとリアルタイムでテレビを見ている。

 来年もまた、対戦することはある。

 そして日本シリーズに進めば、マリンズがまた出てくることもあるだろう。

 今年はピッチャーと守備の質がよく、それで安定して勝って来た。

 チームとしての勢いが、偶然にすごかったというものではない。

 もっともエースが故障離脱して、一気に勝ち星が減ってしまうというのも、プロでさえそこそこある話だ。


 たとえば上杉のいたスターズは、毎年のようにクライマックスシリーズに出場していた。

 だが故障とリハビリでいなかった二年間は、リーグ最下位に沈んでいる。

 この数年は去年まで、微妙な数字ではあった。

 去年と今年は上杉と武史の勝ち星で、クライマックスシリーズに進出していると言ってもいい。


 そこまでの絶対的な選手が、マリンズにいるか。

 エースの溝口でさえも、そこまでのものではない。

 確かに勝ち星だけを見れば、一人で15個も貯金を作っている。

 だがマリンズは守備によって、彼の失点をかなり減らしているのだ。

 もちろんいいピッチャーであることを、否定するわけではないが。




 怪物の中でも、特に怪物ばかりが揃うのが、プロの世界である。

 日本の野球のレベルが高いのは、もう世界が認めていることである。

 その中でも百目鬼は、かなりのレベルの選手になっている。

 おそらく今年の契約更改で、一億の大台には乗ってくるだろう。

 ただそのためには、この日本シリーズの舞台でも、大きな活躍をしておいた方がいい。

 ポストシーズンはライガース相手に、七回三失点というかなりのピッチングをした。

 だがそれでも負けてしまっている。


 こんなものは各種の数字を見れば、負けたのは百目鬼のピッチングの問題ではなく、打線の援護と采配の問題だと分かるだろう。

 だがそれでも日本の野球の評価は、分かりやすいものにいまだに縛られている。

 それでも負けた数の倍以上は、勝っているのが百目鬼である。

 そのあたり直史であったりすれば、いくらでもデータを用意して交渉しただろう。

 もっとも直史の場合は、そんな必要もない成績であったが。


 プロ二年目から、いきなり年俸が一億を突破。

 三年目には三億に到達していたのが大介である。

 それでも安いと言われていて、MLBは一年目など、本来の年俸よりインセンティブで稼いだりした。

 そういった先に歩いていった選手の作った道を、果たして百目鬼も歩むことが出来るのか。

 MLBでは確かに日本人投手への信頼はあるが、武史が日本に帰国して以来は、それほどのピッチャーは出ていない。

 もっともその武史が、今年はNPBで20勝以上しているわけだが。


 直史の24勝などを見ても、化物が裸足で逃げ出す化物である。

 そういったレベルのピッチャーなどは、さすがに日本のみならず、アメリカ本土でも空前絶後の存在だ。

 タレントが一時代に集中したと言えるだろうか。

 もっとも怪物がいなくなってもそれはそれで、野球は楽しめるスポーツだ。

 甲子園を専門に楽しむ人間など、毎年のように主役は変わっていくではないか。


 野球というスポーツの人気は、もう日本の文化の一部として染み付いている。

 FAによってスター選手が、移籍するということは昔とは違う。

 だが推しがいなくなっても、また新たなスターは出てくる。

 ドラフトで指名し、また育成から花開くものもいて、野球の楽しみ方が色々と変わっているのだ。

 ポスティングで選手を高くMLBに売るのは、微妙な面があるだろうが。


 スター選手がアメリカで、大活躍をする。

 それはそれでいいのだが、MLBはそれをいいことに放映権を、巨額の金額で売り渡す。

 世界中から才能が、集まってくるのが当たり前という世界。

 それがアメリカという国であり、実際にポスティングから大金で契約し、結果を残せない選手もそれなりにはいるのだ。

 もっとも大介や直史の活躍は、門戸を大きく開けることになったが。


 NPBとしては痛し痒しなのだ。

 人気選手、スーパースターが海を渡って遠くに行ってしまう。

 ただそれで球団には、しっかりと金が入ってくる。

 最近ではポスティングを容認しないチームには行かない、などというビッグマウスもいたりする。

 そんな選手であってもおおよそ、プロに入ればレベルの違いに驚くものだが。

 上杉や大介のような、高卒でいきなり球界を代表するような選手は、本当に稀なのである。




 百目鬼は果たして、それぐらいのポテンシャルがあるのかどうか。

 上杉や直史、また蓮池などと比較しても、その素質はやはり及ばない。

 だがそれでもMLBには、通用する可能性はある。

 成長曲線が、これからまだどうやって伸びていくか。

 それが分かる名伯楽も、なかなかいないものである。


 ちなみにこの日は、ドラフトの日でもあった。

 青砥が抜けることと、三島が今年は無理でも来年もポスティングを狙うこと、あとは直史の年齢なども考えて、相変わらずレックスはピッチャーを欲しがる。

 キャッチャーとショートがしっかり埋まっていることが、レックスにとってはありがたいことだ。

 取れるならば長距離が打てそうな野手が一人に、あとはピッチャーである。とにかくピッチャーだ。

 ピッチャーというのはいつの時代も、色々な理由をつけては不足していくものである。

 ただマリンズなどは、五枚目までは充分に計算できるため、即戦力ではなくポテンシャルを重視して、取っていくという選択はあるだろう。


 レックスはこの二年、百目鬼に平良、そして大平といったピッチャーの若手が開花している。

 さすがに高齢化してきたショートを、下位指名で取れた左右田が埋めたのも、かなり嬉しい誤算だ。

 緒方もさすがに、次のセカンドを考えなくてはいけない。

 セカンドはセカンドで、判断力が求められるポジションだ。

 また得点力不足から、やはり打線の強化は重視すべきだろう。 

 もっともそこは、外国人で埋められないか、という話にもなってくる。


 本来ならレックスは、守備力重視で埋めなければいけない、キャッチャーとショートが打てるのだから、もっと点が取れていないとおかしいのだ。

 そしてこの二つのポジションは、なかなかポスティングでも通用しない。

 大介などは別であるが、さすがにショートの身体能力は、世界中から集まったMLBでは、通用しないことが多い。

 またキャッチャーは日本とアメリカでは、全くやることが違ってくる。

 基本的にMLBは、リードはベンチから行うものだ。

 日本のキャッチャーはやることが多すぎると、MLBを知っている人間というか、アメリカの野球を知っている人間なら言うだろう。


 配球やリードのことを考えるなら、キャッチャーはもっと打率が上がってもおかしくない。

 それなのに日本のキャッチャーは、打てる選手が少なくなっている。

 専門職としての要素が、あまりにも多いと言うべきであろうか。

 アメリカでは基本は、壁であり盗塁阻止が仕事なのだ。


 それでも樋口などは、データを完全に活用して、データ班よりも深く考えていたが。

 機械の計算よりも、よほど意外性に富んだリード。

 しかも打てて走れるという、欠点としては性格ぐらい。

 万能タイプのキャッチャーというのが、そもそも珍しい存在なのだ。




 本拠地神宮に戻ってきたため、先攻はマリンズ。

 百目鬼はまだ、立ち上がりに微妙な不安定感がある。

 それでも一回を投げれば、ちゃんと集中することが出来る。

 このあたりはメンタルコントロールの問題であるが、スロースターターなところでもあるのだ。


 マリンズは初回、まずこの百目鬼の調子を見てくる。

 ボール先行ではあるが、球威自体はしっかりとしている。

 腕を振り切っていれば、そうそうは打たれない。

 下手にコントロールがいいよりも、荒れていたほうがいいのと同じことだ。

 もっとも追い込まれれば、際どい球は上手くカットしてくるが。


 ランナーこそ一人出たが、無失点で一回の表は終わる。

 そこそこ球数は投げさせられたが、むしろこれで上手くボールがコントロール出来るぐらいに、肩が暖まってきた。

 一回の裏、ここで先取点が取れるか。

 レックスは一回の攻撃で、点を取る試合がそれなりに多いチームだ。

 少しでも先制すれば、そのリードを保っていく。

 逆転はあまり許さないが、こちらが逆転することはそれなりにある。

 なので強いという、レックスであるのだ。


 そういったデータはもちろん、マリンズも分かっている。

 そしてマリンズもまた、似たようなチームではあるのだ。

 点の取り合いが醍醐味な野球ではなく、地味に玄人受けする、一点を争っていくゲーム。

 マリンズの先発の斉藤は、やはり勝ちが狙えるタイプのピッチャーだ。

 ただし特徴としては、ホームでもアウェイでも、勝率の変わらない安定感にある。

 なのでこの日本シリーズでも、神宮の第三戦に投げてきているのだ。


 ホームゲームの第一戦、敗北することは避けたい。

 レックスとしては当然、そう考えている。

 そのためにもまず先取点なのだが、この斉藤というピッチャーは、おそらく今のNPBの中では、一番直史に似ている。

 もちろん成績が圧倒的であるわけではないが、思考パターンというか損切りの仕方が似ているのだ。

 球種も豊富でコントロールがよく、フィールディングにも隙がない。

 またサウスポーであり、スライダーで左バッターから三振を奪うのが上手い。


 球速にしても全力を出せば、150km/hオーバーとなる。

 ただ基本的には打って取るタイプのピッチャーで、球数を抑えていくのだ。

「元は右でも左でも投げられる器用なピッチャーだったらしいんだよな」

 豊田とは二人、ブルペンで話し合っている直史である。

「バッターとしても高校時代は、スイッチで打ってたらしいし」

 バッティングでの評価も高かったが、先発ピッチャーとしての安定感が、それよりも抜群に高かった。


 マリンズは特に五枚、先発ローテが固まっている。

 だが特に溝口からこの斉藤までの三人が、いいピッチングをしているのだ。

 ある程度は見ていこうと考える、左右田と緒方を上手く打たせて取る。

 そして三番のクラウンには、胸元にストレートを入れて見逃し三振である。

「コントロールはいいんだろうが、あそこにしっかりと投げ込めるのが強いな」

 直史としては確かに、自分に似ていると言われてそうだな、と納得するところである。




 今年の日本シリーズはどの試合も、比較的ロースコアゲームになるのだろうか。

 そう思わせる展開が、二回以降も続いていく。

 ただ百目鬼はランナーを出しても、最終的には力で押していく。

 それに対して斉藤は、ある程度はヒットを打たれることを計算し、それでも打たせて取るピッチングをしている。

 球数は百目鬼の方が、かなり多くなっていく。

 これはパワーピッチャーの定めと言えるであろう。


 いざという時には、三振が奪えるピッチャー。

 これはピッチングをする上で、重要なものなのだ。

 いくら打ち取った当たりばかりであっても、それが内野の頭を越えることはある。

 そこからエラーなどが重なったり、リードが読みきれずに打たれることは、当たり前のことであるのだ。

 それでもどちらかを選択して、ピッチングスタイルを決めていく。

 直史などは球速が出なくても、いざという時には三振を奪えるが。


 斉藤がいくら直史に近いタイプといっても、緩急差が50km/hだったり、魔球が投げられたり、ストレートの回転を自由自在に操るところまではいかない。

 そのあたりのバリエーションの豊富さは、さすがにないのだ。

 ただ球数が少ない試合が多いため、完投をそこそこしている。

 マリンズも勝ちパターンのピッチャーを、消耗させない先発は貴重であるのだ。


 また直史にとってはうらやましい、サウスポーでもある。

 野球選手の中には、他のことは右利きであるが、ピッチングに関することだけは左、というピッチャーもいたりする。

 直史も最初の時点から、左に矯正しておけば、それも可能であったかもしれない。

 実際にツインズは、両手のどちらでも投げられたのだから。

 ただ技術が既に蓄積された時には、そんな選択をするのはもう遅かった。

 直史の理想を、ある意味では実現しているのは、両利きで投げている昇馬である。


 二刀流というのを、正しい意味で使っている。

 右でも投げて左でも投げて、さらには左右のどちらでも打ってくる。

 直史はもう完全に、ピッチングに専念しているだけだ。

 だからこそこの右腕で、自由自在にボールを操るのだが。


 マリンズの攻撃もレックスの攻撃も、試合の序盤は点が入らない。

 ただイメージだけであると、先に百目鬼が失点しそうではある。

 もっとも斉藤からも、一発で点になる可能性を感じる。

 全く違うタイプで、全く違う展開ながら、投手戦として見える。

 しかし球数だけを見れば、圧倒的に斉藤の方が有利。

 サウスポーから一塁に牽制するのは、ごく自然と出来ることだ。

 そういった細かい部分を含めても、やはり斉藤の方が上なのであろう。


 将来的には百目鬼も、こういった技巧を身につけるべきだ。

 むしろ来年こそ、こういった技術でさらに高みを目指すか。

 もっともパワーを増していける間は、そちらに注力した方がいい。

 ブルペンで試合を観戦する直史としては、ピッチャーとしてこの試合を見た場合、マリンズの斉藤のピッチングの方にこそ共感してしまうのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る