第181話 裏側
翌日、日本シリーズ第二戦。
レックスの先発は、ポストシーズンから復帰した三島である。
ただポストシーズンのライガース戦においては、珍しくも大きく崩れてしまった。
試合日程が空いてしまったというのが、やはり影響しているのだろう。
第二戦のピッチングの前には、かなり念入りに調整をしている。
マリンズも計算できるピッチャーである古川が先発だ。
溝口とほぼ同年代であるが、こちらは純粋な速度よりも、ボールのキレで勝負をするタイプか。
ストレートの中でも、球質が変わってくる。
ただこのストレートと、握りを変えたツーシームが、ピッチングの生命線である。
この第二戦も、比較的投手戦と言うべき接戦となった。
マリンズの打線がメンタルを壊されているのは、ある程度予想していたことである。
しかしレックスの打線の方も、あまり調子が良くはない。
昨日の試合も結局は、走塁によるギャンブルが勝利を呼び込んだ。
ポストシーズンの重要な試合で、そういったギャンブルをする采配は、やはりレックス首脳陣は苦手なのだ。
三島の調子はやはり、まだ完全に戻ってはいない。
今年の成績からしてポスティングも考えていたのだが、このポストシーズンのピッチングを考えると、あまりいい選択にはならないだろう。
故障の復帰からの試合で打たれて、この試合もそこそこ打たれている。
先攻のレックスとしては、第一戦の余勢をかって、二戦目も勝ってしまいたいところであったろうが。
先制したのは後攻のマリンズであった。
考えてみればレックス打線も、いいところまではランナーを出しつつ、点にならなかったという点では問題だった。
序盤はともかく、中盤に入ってきて、マリンズもそれに気づいたのだろう。
先制点を取って流れを持って来れなかった時点で、呪いが解けてしまった。
そこまでレックス打線を抑えた、古川もいいピッチャーではあるのだ。
ただ第一戦のように、完全に一点を争う試合にはならなかった。
七回が終わった時点で、マリンズが2-1とリードしている。
そして終盤にこの展開であると、マリンズが圧倒的に有利になってしまう。
つくづくクローザーの不在が痛い。
しかし明日が移動日ということを考えると、ビハインド展開でも勝ちパターンのリリーフを使っていくべきであるか。
一点差であれば、逆転の可能性は充分にある。
また三島の球数も、100球を超えている。
七回を二失点というのは、本来なら上出来のハイクオリティスタートだ。
それでも負けているのだから、野球というのは相対的なものである。
レックス首脳陣は、ここは思い切った。
八回から国吉を投入である。
もちろんブルペンにおいて、充分に準備はしていた。
ただこの日、家から近いこともあって、ベンチメンバーには入っていなかったが、ブルペンにはいた直史である。
この判断はおかしくはないが、結果的には間違いとなるだろう。
そう思ったところ、国吉は打たれてしまった。
3-1とわずか一点だが、差が開いてしまったのだ。
だが二点差ならばまだ、ランナー一人でホームランを打てば、それで追いつけるという点差ではある。
それにマリンズは昨日の試合で、クローザーの矢車を2イニング投げさせてしまっている。
レギュラーシーズン中にも、確かにそういった試合はあった。
だが次の試合には、休ませているのがデータには残っていったのだ。
八回の裏に、さらに一点でも追加することが出来れば、もう勝負は決まったものだろう。
しかし国吉はどうにか、最少失点で終えることが出来た。
もっとも勝ちパターンのリリーフとしては、一点を取られたことが大きすぎる。
それでもレックスとしては、使うしかなかったというのは本当だ。
またマリンズのピッチャーは勝ちパターンのリリーフを、昨日の緊迫した試合の中で使っている。
それによる疲労は、レギュラーシーズンの試合のものより、深刻に肉体の深いところを攻めていたであろう。
ほんのわずかに伸びがないだけで、九回の表に打たれてしまう。
だがチャンスにおいて、一気に逆転できないあたり、やはりレックスの爆発力は足りていない。
九回の表、レックスは一点を返した。
矢車は信頼性の高いクローザーだが、やはり昨日の疲労が残っていたのか。
もっともクローザーというのは、肉体よりも精神の方が、疲労するポジションではなかろうか。
そもそもここで、他のピッチャーでも良かったのではないか。
だが明日が移動日なので、ここで使うのも、悪くはない選択だ。
レックスのブルペンは、大平の準備をさせている。
追いつけたら九回の裏は、大平の投入である。
回またぎであっても、大平のスタミナには問題はない。
ただその集中力が、どこまで維持出来るかが問題なのだ。
そこが課題であり、克服出来たら先発のローテに入れることも出来るだろう。
今のままのフォアボールの発生率だと、勝ちパターンのリリーフとしては不安が残るのだ。
たとえ出番がないとしても、準備をしておくのは悪くはない。
あまり投げる期間が空きすぎると、かえってピッチングの感覚が鈍ってしまう。
左ということもあり、マリンズの左バッター相手には、丁度いいものになる。
ただ大平は、やはり不安定さを露出させる。
ブルペンコーチの豊田としても、ここで投入するのは怖いピッチャーだ。
もっともフォアボールを出しても、三振が奪える。
そのあたりがクローザーとしては、それなりに魅力ではあるのだ。
しかし大平の出番はなかった。
九回の表のレックスの反撃は、一点までにとどまったのだ。
矢車は苦しみながらも、どうにかレックスの攻撃を一点までに終わらせた。
27球も投げていたので、これまた削られていることは確かだろうが。
昨日も2イニング投げて、今日も球数が多い。
クローザーを削るという、作戦のほんの一部は成功している。
今日の試合も最後まで、緊迫したものであった。
最大点差はたったの二点で、それが開くかと思えばむしろ詰められる。
特に八回の裏に二点差にしたのに、九回の表に一点差にまた詰められた。
この展開で、ぎりぎりの勝負が出来ていた。
昨日の直史のピッチングによる呪縛は、もう完全に消えたと言ってもいいだろう。
レックスは本当に、打線によるどんでん返しが少ない。
レギュラーシーズンにしても、ライガースに比べるとずっと、勝敗が先発につく試合が多かったのだ。
それはリリーフピッチャーの安定感を示すものだが、負けている試合を逆転するという、カタルシスに欠けた試合でもある。
玄人好みではあるが、野球の魅力である得点の奪い合いが、そしてシーソーゲームがほとんどない。
ライガースに比べると、人気がないのも仕方がないのか。
11回をパーフェクトで終えたため、今日の試合はベンチ入りメンバーにも入っていなかった直史である。
だが神宮に移動してからは、ベンチには入る予定だ。
状況によっては、平良に代わってクローザーとして登板する。
あくまでも記録上は、先発よりクローザーとしての方が、数字は上の直史である。
数字は嘘をつかない、という詐欺のロジックによるものだが。
神宮で三連勝したならば、それで日本一は決まる。
もっともそれはマリンズにしても、同じことではあるだろうが。
東京と千葉で、それも移動手段はしっかりしているため、お互いのファンがそれなりに応援に往来する。
特にレックスの場合は、直史が投げない試合であるならば、どうにかチケットが買える。
このあたり毎試合である野手と、ローテで投げるピッチャーの違いがある。
スーパースターはいつの試合にもいてほしい。
フロントのビジネス戦略としては、ホームランを打てるスラッガーのいる方が、客を呼びやすいのだ。
移動日に一日が空く。
この二つのチームであれば、そんな必要もないのであるが、念のために東京の方に、宿泊する選手も多いマリンズ。
もっともマリンズは選手寮や二軍球場が埼玉にある。
そのため一軍の選手にしても、東京都内や東京寄りの千葉に家がある選手が多い。
するとわざわざ東京のホテルになど、宿泊する必要のない選手もいるのだ。
その移動日の一日、直史はブルペンに入っている。
スタミナの回復や、肉体のコントロールに関して、調整をするためである。
休養は重要であるが、完全に休みすぎるのも、体を硬くしてしまう。
直史の体調管理は、プロ野球選手と言うよりは、バレリーナなどの方に近いであろうか。
実際はプロ野球選手の中にも、とにかく毎日投げていないと、調子が悪くなるピッチャーというのはいる。
こういうものはあくまで例外だが、そういう体質の人間もいるのだ。
もっともこの日の直史は、気になることが一つあった。
神奈川の県立球場で、高校野球の関東大会が行われていたのである。
勝てばベスト4進出が決まり、センバツの出場がほぼ確定となる。
千葉のチームは他が負けているため、完全に確定と言ってもいい。
ただ不祥事などがあると、出場が取り消されることもある。
実際は他の理由であるのだろうが。
もっとも高野連としても、夏の優勝チームが、さらに極端に言うと昇馬が、センバツに出てくれないと困るであろう。
春は夏に比べると、比較的客の入りが少ないのだ。
それでもスーパースターが一人いると、それだけで注目度が上がってくる。
その意味では司朗が、あと少し長打力がつけば、客を呼べる高校生になるだろう。
直史は高校時代から岩崎のおかげで、無茶な連投はほとんどしていない。
もっとも15回完投というのは、一般的に見れば無茶な範囲であろうが。
むしろ大学時代の方が、中一日でほぼ完投したりしている。
そしてプロになってからの方が、さらに登板間隔では無茶をしている。
それに比べると昇馬は、明らかに体力では、同年齢の時の直史より優れている。
比較するなら上杉との方が適切であろうが、選手起用をする鬼塚は大変だろうなとも思っている。
(せめて打線がもうちょっと点を取れれば、他のピッチャーも使えるんだろうけどな)
直史はそう思うが、それは完全に自分が、他から思われていることである。
しかもプロのステージであるのに。
真琴がいつまで野球を続けるつもりなのか、直史としては心配なところがある。
そもそも自分の影響で、野球を始めたのは間違いないのだ。
女子としては日本でもトップクラスだが、男子に比べれば中学生のトップクラスでも負けるレベル。
だから技術を磨いて、戦力になっている状態だ。
思えば年齢が上がっても、ちゃんと戦力になれるように、サイドスローなどを教えてしまった。
本人としては満足しているのだろうが、正直全く男の話をしないのは、安心でもあり心配でもある。
野球選手で誰が上手いとかはあっても、全くアイドルだのなんだの、そういうのには興味がないらしい。
もっとも直史自身も、あまり女性アイドルなどには興味がなかった。
瑞希もそういうものには興味がなく、これは単純に両親の影響であるのかもしれない。
ただ男の集まりの中で育ったため、変な幻想を抱いていないのは、むしろいいことなのかもしれない。
あるいは今時と言われるかもしれないが、お見合いなどをさせてみるのか。
(嫌だなあ)
娘を嫁に出すことを考えて、そんな気分になってしまう直史である。
しかし真琴は生まれてすぐに、命の危険に晒されていた。
それを考えれば誰のものになろうと、幸せに生きていてくれればそれでいいとも思える。
世間の娘を持つ父親は、果たしてどう考えるのか。
ただ直史はその立場がら、相談は受けても誰かに、相談するということはない。
また娘としては父親よりは、母親の方に相談をする。
そしてその内容は、たとえ父親にであっても、知られたくないことは多いだろう。
もっとも直史は妹が二人いたので、ある程度は年頃の女子の気持ちは分かる。
あの妹たちを、一般的な女子と考えては、間違いであるとも分かっているが。
一通りの練習などを終えて、あとはマンションに戻る。
白富東は勝利して、準決勝進出を決めていた。
相手は予想通りに桜印で、試合は28日となる。
日本シリーズの、第五戦と第六戦の間の休養日だ。
もっともそれまでに優勝が決まっていなかったら、という話になるが。
「お父さん、教えてほしいんだけど」
真琴がこう言ってくることは珍しいが、この場合はおおよそ野球に関連することだ。
「今までお父さんが見てきた中で、プロで通用するような女子選手っていた?」
ちょっと想定外の話題である。
直史の知る限り、プロで通用しそうであった女子選手。
そうなると一人しかいない。
「上杉さんの奥さんは、プロでも通用したと思う。ただそもそもプロ野球が女子には向いていない」
「そうなの?」
「強いて言うならピッチャーで先発ローテか、左のワンポイントなどなら通用するかもしれないけど」
「私なら、ってこと?」
「そうだな。ただ女子の場合は体調のこともあるし、大会が集中して行われるスポーツと違って、シーズンのあるものは難しいと思う」
このあたりは正直な気持ちである。
ゴルフやテニスといったスポーツなら、大会期間が集中している。
個人競技ということもあり、体格にもそれなりに恵まれた真琴には、そちらをやっていた方が良かっただろう。
「じゃあ、やっぱり学生までかな。上杉さんの奥さんって、そんなに凄かったの?」
「甲子園で優勝するようなチームから、主力を数人抜いただけのチームに、女子を引き連れて勝つぐらいには」
「化物じゃん」
まあ上杉明日美、旧姓権藤明日美は、確かにフィジカルモンスターであったが。
そのくせルックスも良かったため、プリティモンスターなどと呼ばれて芸能界でも短期間活躍した。
上杉と電撃結婚してからは、家庭に入ってしまったが。
芸術分野に限って言うならば、女子が男子に勝つというのはそれほど珍しいことではない。
たとえば直史にしても、何か文章を書いて売るとなれば、それは瑞希に負けるだろう。
ネームバリューで売れるのは、ちょっと別の話である。
身体能力においては、女子が男子に勝てることは、ほとんどないと言っていい。
強いて言うならば、踊りなどの優美さにおいては、女子の方が優位であろうか。
ただ真琴の話は、学生までと言っていた。
「今度は女子野球、U-18じゃない方の代表に応募しようかなって」
「全日本か」
真琴は頷くが、実際にそれはおかしくはない。
女子は肉体の成熟が男子よりも早く、そして早熟な人間も多い。
柔道などは世界大会で、中学生が優勝してしまったりもする。
また体操やフィギュアなどは、むしろ10代半ばで全盛期になるのだ。
野球に限ればまだしも、パワーをつけていく大人の方が有利だ。
しかし真琴の体格と、そのピッチングスタイルからして、これ以上のパワーは必要ない。
そもそも女子で130km/hを投げるのは、今の日本には真琴しかいないのだ。
「WBCに出たのは、お父さんも大学生になってからだったからな」
「特例だったんでしょ? 私の場合もそうなるのかな」
「女子は……今度聞いておいておく。聖子ちゃんも一緒なのか?」
「ううん、これから話してみる」
「そうか」
聖子もまた、女子の中では突出している。
比較的肩の力が必要ないと言っても、内野のセカンドを守っているのだ。
白富東の野球部は、確かに平均すればレベルは平凡だ。
昇馬やアルトなどの、一部が勝手に上げているだけで。
ただ対戦相手は、普通に強豪などであるのだ。
そこの打球を相手に、聖子はちゃんと通用しているのだ。
バッティングに関しては、さすがに真琴よりも体格に劣るので、なかなか長打などは打てないが。
女子の野球の世界大会。
確かに真琴ならば通用するし、主力にさえなるだろう。
また聖子もおそらく、選ばれる実力はあるはずだ。
しかしもう、大人に混じってプレイするようになったのか。
心配だとかどうだとかではなく、子供の成長を感じて寂しい直史である。
嫁に出すのはさすがに、まだ妄想の範囲だとしても、もうすぐ彼氏ぐらいは出来るのかもしれない。
自分が高校生であった頃を思うと、それを止めるわけにもいかない。
だが悶々とするのだけは確かなのだ。
日本の女子野球は、確かにレベルが高い。
しかし野球は、世界的に見ればマイナースポーツで、女子の選手層も厚いわけではない。
身体能力などを考えるなら、テニスでもやっていれば良かったのではないだろうか。
あちらもメンタルスポーツであるだけに、充分に活躍できたとは思うのだ。
もっとも単純に将来のことを考えるなら、真琴が自分で何を選ぶのか、それが一番大事なことだろう。
こういうことに関しては、男親はなかなか口出ししにくい。
女親が息子に対するのとは、ちょっと違ったデリカシーが必要である。
その息子である明史は、受験に合格すれば、東京の神崎家に世話になることが決まっている。
子供たちが巣立っていくのが、自分の想像よりも早い。
いや、自分がもう、大人としても衰えを感じるのだから、これが普通であるのか。
日本シリーズ中であるが、家族のことを考えると、こちらの方が重要だと思ってしまう直史であった。
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