第171話 三度目か四度目か
二回の表、ライガースは五番からの攻撃。
奇しくも直史のピッチングは、この回は三人を同じパターンでアウトにした。
ツーストライクまではファールを打たせて追い込む。
タイミングを狂わせたボールを投げるので、ジャストミート出来ないのだ。
ただ速いだけのボールであれば、打てるバッターがライガースには揃っている。
それこそ木津の後に、大平を出すぐらいの、極端な球速差がなければ。
空振り三振か、見逃し三振。
三振を三つ重ねて、九球で二回の表を終わらせた。
球速は最高でも146km/hと、そこまで出ているわけではない。
だが緩急の付け方と、ボールのコースのコントロールで、あっさりと追い込むことが出来るのだ。
そして決め球はストレート。
低いと思えば入っており、高めを打ちに行けば空振りする。
ホップ成分の高いストレートなのだ。
中四日の完璧とは言えないコンディションでも、試合は待ってくれないのだ。
ならばそれでも抑えられるように、工夫していかなければいけない。
ピッチャーなら誰でもそうなのであろうが、直史は組み立てを基本は自分で決めている。
もっとも迫水に任せる時は、かなり増えてきてはいるのだが。
それは違うと思えば、首を振るだけでいい。
あと7イニング抑えれば勝てる。
半年以上をかけて戦ってきたシーズンが、いよいよ終わりに近づいている。
まだ日本シリーズがあるが、さすがに今年はどちらが勝っても、日本シリーズはセ・リーグが勝つだろうと言われている。
そういった予想が簡単に覆るのが、野球というスポーツであるのだが。
二回の裏は六番の迫水からの攻撃。
直史としてはこの試合、迫水はキャッチャーに専念させるべきだと思っていた。
少しでも自分の負担を、迫水を使って減らしていく。
ただ迫水はキャッチャーとしては、相当打てる選手であるので、あまり下位に置いておくのももったいない。
直史は二点もあれば大丈夫だろう、とこれまでのデータからは考えられる。
だがライガースが相手であると、そう甘いことは言えない。
単純な勝負をすれば、大介は一試合に三本ぐらいホームランを打ってもおかしくない。
プロの世界ではそもそも、そこまで当たってしまっていれば、勝負を避けられることが多いのだが。
ファイナルステージのレックスは、比較的大介と勝負している。
ただエースである直史が勝負をしないのは、さすがにレックスファンでも冷めてしまうものがある。
神宮球場は満員なのだ。
樋口がMLBに移籍して以来、久しぶりの日本一のチャンス。
去年は直史が孤軍奮闘したが、それでは勝てなかった。
今年はレギュラーシーズンから奮戦していて、ペナントレース自体は優勝した。
だが、その先が問題である。
そもそもライガースというか大介が、お祭り騒ぎのポストシーズンに強い。
打率もおおよそ五割はあるし、OPSもレギュラーシーズン中よりも高い。
これはやはりポストシーズンは、特別だと脳も体も理解して、普段より高いパフォーマンスを出しているのだ。
完全に勝負を避けて、果たしていいものかどうか。
直史としては状況が許せば、勝負に出て行くつもりである。
意外というほどではないだろう。
迫水はこのシリーズ、前にも決定的な働きをしている。
二回の裏の第一打席、ソロホームランが飛び出した。
これでレックスは二点のリードとなる。
単純に考えれば、直史なら勝てる確率が上がってきている。
だが試合が序盤から、動きすぎていると感じるのも確かだった。
ロースコアゲームにレックスは強い。
そして先制してから、そのリードをそのまま保ち、先発が勝ち投手の権利を持って、勝ちパターンのリリーフに継投する。
それが勝利の方程式であるが、ここで二点差になるというのは、どうも試合の流れが気になる。
ライガースは序盤に一点や二点取られた方が、かえって打線が上げていく。
もっとも直史を相手にするなら、そんな普段のライガースでいることは難しいだろうが。
ともあれこれで、ランナーがいない場面なら、大介と勝負してもいい条件が整った。
もしもここから全てのバッターを抑えていけば、大介の四打席目が回ってこない。
ある程度は危険を冒してでも、勝負をする価値はあると思う。
もっとも一度勝負して失敗したら、それがホームランであったりしたら、また状況は大きく変わる。
何かが間違ってしまったら、一点は入るのだ。
直史でもその生涯において、失投がなかったわけではない。
(二点差か……)
有利になったはずではあるが、ちゃんと考えていかなければいけない。
勝利だけにこだわるのか、それとも完全に勝負をしに行くのか。
個人的なことを言うのなら、直史としては勝利を目指していく。
二打席で二本のホームランを打たれたら、それこそ並ばれてしまうからだ。
ライガースはあまり、畑を引っ張るべきではないな、と敵の分析も行う。
心理状態を想像しているうちに、二回の裏は追加点なしで終わってしまった。
完全にバッターボックスの端に立った、直史の三振によって。
ピッチャーは投げるのが仕事で、直史はブランクがあった時代に、完全にバッティングの能力を失ってしまった。
そして代打を出すにはもったいないため、これもまた打線がつながらない原因となっている。
本来なら直史は、バットに当てる能力自体は、それなりに優れていた。
だがその程度であればいくらでも、他に打てるバッターがいる。
援護点が少ないのは、直史自身が全く打てないからというのもある。
そして三回の表。
ライガースは八番からの攻撃。
まず先頭は、あっさりと打ち取ることに成功した。
九番はピッチャーの畑であり、なんならここで代打を出してきてもおかしくはない。
しかしさすがにまだ、畑を引っ張るつもりのライガース首脳陣。
確かにピッチングの内容は悪くないのだが、畑は第二戦でも負けているように、このシリーズではツキがないとも言える。
オカルトを信じるならば、この序盤だけで代えてしまっても良かったはずだ。
だが既にワンナウトになっていて、相手のピッチャーが直史である。
ここで貴重な代打を使っていくのは、リスクが高いと判断された。
そのままバッターボックスに入った、畑を三振でアウトにする。
ツーアウトから上位打線に戻ってきたライガースである。
少しだけ選択肢がある。
一番の和田をあえてランナーに出し、ツーアウトの状況で大介と勝負するか。
ランナーを背負った状態で、大介と勝負するという危険性。
これはさすがに許容できない。
ホームランが出たら追いつかれてしまうからだ。
ならば大介さえも敬遠して、後ろのクリーンナップを片付けるか。
こちらの方がまだマシであるが、それでも危険であるのは間違いない。
ホームランではなく長打でも、二点が一気に入る可能性がある。
得点圏にランナーを背負うのはリスクが高いのだ。
一番いいのはやはり、この和田を打ち取った上で、次の回は大介からの打順とすることだ。
ノーアウトで大介からとなるが、ホームランを打たれても一点まで。
そしてヒットまでならば、後ろを抑えることは出来るだろう。
ホームラン以下に抑えるなら、リスクが上がっても一点まで。
こういった計算があってこそ、直史は和田と対戦することを選択している。
大介の前のランナーというのは、とにかく出塁することが重要だ。
ソロホームランの他には、ツーランホームランが多い大介である。
スリーランや満塁は、特に満塁ホームランはない。
塁が全て埋まっていても、敬遠されてしまうのである。
実際のところは敬遠ではなく、ほぼ敬遠の四球であるが。
直史はここでも、ちゃんと和田を打ち取った。
ゴロを打たせてしまうと、下手をすれば内野安打になりかねない。
そんな和田に対しては、緩急を使ってストレートで空振り三振。
内野フライならいいかと思っていたが、さらに危険度の低い三振を取ることが出来た。
これで四回は、大介からの打順となっている。
二点目を取られた時点で、ライガースの敗北はほぼ決まったようなもの。
そう判断するのは、テレビの前のライガースファンでも多かったろう。
しかし関東在住のライガースファンに、遠征してきたライガースファン。
甲子園ほどは多くはないが、その応援が力を与えてくれる。
三回の裏、レックスは一番からの好打順であった。
だがこういう時にこそ、畑は力を発揮する。
ピンチになっても、絶対に腕を振り切って投げる。
中三日であっても、自分がこのチームのエースなのだ、という意識を持っている。
単純に今年は、運の巡りが悪かっただけだ。
この試合初めての、三者凡退にレックス打線を抑えた。
わずかでも試合の流れを、こちらに持ってくるようなピッチングである。
ベンチに戻る畑に、選手たちは声をかけていく。
雰囲気が明るくなってきた。
これがライガースの強い部分であるのだ。
しかしレックスのマウンドに立つのは、凍える波動を使う魔法使い。
それに対して挑むのは、剣の代わりにバットを持って立つ、それこそ破壊の神であるバッター。
ノーアウトからランナーを背負うのは厳しい。
そしてホームランを打たれても、まだ一点のリードがある。
大介の足のことを考えると、勝負して凡退させる可能性の方が、まだしも高いであろう。
そう判断はしたものの、首脳陣は結局、勝負をするかはバッテリーに任せた。
もちろん迫水は、その判断を直史に任せている。
直史はここでは、明確に勝負をするつもりである。
単純に大介と、何度も勝負をするのが危険であるからだ。
ここでアウトにすることが出来れば、残りのバッターを全てアウトにしていって、四打席目が回ってくるのを防ぐことが出来る。
もちろん三打席目に、大介が回ってくることの問題点はある。
それに他のバッターを、完全に抑えられるというのは、かなり今年の直史には難しい。
統計でそういう数字になっているのだ。
第一戦では大介と、四打席勝負していた。
だがこの試合では、第一打席は敬遠である。
状況によって選択は変化する。
そもそも単打までに抑えるならば、大介との対決はそこまで危険ではないのだ。
長いバットを持って、バッターボックスに入ってくる大介。
直史はそれに、背中を見せていた。
振り向けばそこで、視線が合う。
この打席の直史は、勝負をする顔をしている。
無表情で、完全に考えていることを読ませない。
そんな直史であるが、目に力が入っていた。
ミスショットをしたり、見逃しをしたりと、大介はそれなりに直史に負けている。
だが第一試合は、四打数の二安打であった。
わざわざ勝負をしてくるのであるから、大介をどうにかして打ち取りたい。
そうすればこの試合、勝ち筋がしっかりと見えてくる。
ぎゃくに大介としては、直史の意図が読みにくい。
なんだかんだ言いながら、重要な場面では勝負したがる。
もっともそれは勝算のある状況で、そうでないならあっさりと勝負を避ける。
かつての直史は、大介とほどんど勝負をしていた。
つまりあの頃は、大介を打ち取るという自信が、かなり確定して存在したのだ。
大介もある程度は衰えた。
だがそれでも長打力は最強であり、打率もほとんど四割である。
直史を相手にするならば、ボール球は振っていかない。
もっともそのストライクゾーンが、大介の場合はちょっと違う。
審判としても心苦しいのではあろう。
だが明らかなボール球でさえも、それなりにホームランにしていっていることを考えると、ゾーンを思わず広くしてしまうのだ。
この大介向けに広くしてしまったストライクゾーンは、他のバッターにもある程度影響する。
審判によってはそのゾーンが、変動したりしなかったりするのだ。
外角を広く取らない審判であれば、もっとゾーンの中で勝負する必要が出てくる。
そういう場合は大介は、素直にゾーンの中の球を打って、ホームランにしてしまうのだ。
直史は大介相手に、どうやって勝負するのか常に考える。
単純に打ちやすいとか打ちにくいとかではなく、相手がどう読んでいるかも考えるのだ。
基本的に大介は、直史と勝負する場合は、何も考えずに来た球を打つ場合が多い。
下手に考えると、それを読まれて打てなくなるからだ。
少しだけ狙い球を絞ることはある。
だがそれをすると直史は、違うコースや球種ばかりで攻めてくる。
それに考えることをやめてしまっても、肉体はどうしても球筋を記憶してしまう。
そのあたりにどうしても、バッターの限界はあるのだ。
三割打てば、それでバッターとしては合格。
大介は四割近く打っているし、ヒットだけではなくホームランなどの長打も多い。
最強のバッターではあるが、それでもほとんど直史には勝てない。
このあたりピッチャーというポジションが、どれだけ支配的な存在か、理解することが可能になるだろう。
チェンジアップから始まる組み立てであった。
そして次には、やや外角のツーシーム。
しかし思っていたよりも、はるかに変化量が多かったので、ファールボールとなっていった。
それにバットが届くというのが、そもそもおかしなことではあるのだが。
高速シンカーを打たれて、直史は改めて組み立てを考える。
二つ目のストライクを、どうやって取ればいいのか。
迫水などはこの時点で、もうカーブを使うしかないのではと考える。
だが直史はむしろ、ここではカーブを使わないことを考えていた。
緩急のうちの、緩い方を使わない。
そうすると直史のピッチングのバリエーションは、随分と小さくなってしまうものだ。
それでも、あえてそれを選ぶ。
三球目に投げたのは、高速スライダーであった。
懐に入ってきた変化量の大きなボール。
しかもこれは、沈む成分が少ないので、むしろ浮くようにさえ見える。
シンカーでも同じようなシンカーがあるが、これもそれと似たような原理だ。
ボールの縫い目を使うことにって、ホップ成分を横の変化球に付け足すのだ。
打ったボールは、右方向に切れていった。
ファールスタンドに飛び込んでしまったのは、かなりボールの下を打ってしまったからだ。
これでともかく、ストライクカウントを二つに増やすことが出来た。
あとは一つ、ストライクを取ること。
だが空振りも見逃しも、スラッガーの中では圧倒的に少ない大介である。
現実的には打たせて取る、といったところであろうか。
緩急のうち緩いボールを最初のチェンジアップしか使っていない。
そのあたりを考えるならば、今までのデータから考えると、スルーチェンジを使ってくる可能性が高い。
あれは大介から三振を奪ったり、内野ゴロや内野フライを奪ったりと、上手く使える決め球である。
何よりもまずいのは、ピッチトンネルが途中まで、完全にスルーと同じであること。
そして減速が多く、より落ちるということだ。
おかげでストライクになることは、滅多にないのだが。
大介としてはそうなると、カットしていくことを考える。
だがここでは、スルーチェンジではなくスルーを使われる可能性も考えた方がいい。
高速スライダーを使った後で、スルーを使われる。
大介でもジャストミートするのは難しく、またカットするのも難しいのだ。
なんだかんだと、色々と考えてしまう。
直史はここまで、大介がどう打ってくるかによって、考えていたパターンをどんどんと変えてきた。
そして高速スライダーという、肘に負担がかかるボールを使った後で、最後に投げる球は決まっている。
セットポジションからの、ややクイックに近いモーション。
ランナーがいてもいなくても、その球威に変化があることはない。
リリースされたボールを見た瞬間、カーブではないことは分かる。
そしてこのボールには、それなりのスピードがあった。
内角高め。
インハイの、これはストレートであるのか。
スライダーで内角を攻めた後、今度はストレートで内角に投げ込む。
そのストレートは、大介が思っていたよりもホップしていた。
バットの根元で打つ。
カットしたつもりであったが、ボールは浮かんでいた。
ファーストが軽く横に移動し、ファールグラウンドでボールをキャッチする。
フライアウトで、先頭打者の大介を凡退させた。
(速い球を続けてきたのか)
これは確かに、直史には今まで少なかったピッチングである。
初球にあえてチェンジアップを見せたことが、後のボールの組み立てにつながっていたということか。
カットも出来ずに、ファーストフライとなってしまった。
完全に組み立てで敗北していたが、はたして次はどうするのか。
147km/hという、今年のほぼMAXのストレートを使ってきていた。
高速シンカーであろうと高速スライダーであろうと、それはストレートよりは遅くなるのは当然である。
最後のストレートを活かすために、わざと中途半端な速球を投げてきたのか。
そう考えると直史の組み立ては、一貫性のあるものであった。
二点差のままで、大介の打席が終わってしまった。
そして続くバッターもあっさりと三振と内野ゴロに終わる。
ここまで大介を敬遠した以外に、何もランナーを出していない。
ライガースの敗色は、かなり濃厚になってきたとも言えるであろう。
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