第168話 勝利のパターン
野球は統計的に見れば、確かに多くのデータが得られる。
だがNPBなどは年間に、レギュラーシーズンだけでも143試合もあるし、MLBならば162試合だ。
ちなみにMLBはさらに、ポストシーズンの試合が多かったりする。
何が言いたいかというと、レギュラーシーズンのデータ通りに、都合よくいかないというわけだ。
一発勝負でこそないものの、短期決戦であることに間違いはない。
そしてここまでやってもまだ、レックスの方が有利であるとは、おおよそが考えている通りである。
第五戦、レックスのオーガスに対して、ライガースは先発ローテではなく、リリーフ陣のピッチャーを持ってきた。
短いイニングだけならば、むしろ安定しているというピッチャーだ。
これとオーガスが対戦して、どちらがまず先に点を取るのか。
ピッチャーの継投というものが、おそらくは試合の結果を左右する。
日中は軽く体を動かして、調整するお互いの選手たち。
直史もここで、調整程度にはキャッチボールをする。
だが結局一番の調整は、歩くことであったりする。
スパイクではなくスニーカーを履いて、球場内や練習場をうろうろ。
今日か明日を投げることで、日本シリーズ進出が決まるのだ。
出来れば楽な方がいい。
クローザーとして1イニング投げるというのは、状況にもよるが一試合を投げきるよりも楽だろう。
そうすれば明日の試合もなくなり、直史は充分にコンティション調整の時間が取れる。
日本シリーズの対戦相手は、まだ決定していない。
だがペナントレースを制した千葉の方が有利であるのは、セ・リーグのレックスと同じことが言える。
一つ勝てばいい。
なんなら引き分けでも、日本シリーズに進める。
だがその一つを勝つのが、こんなにも難しいのか。
いっそのこと第六戦ではなく、第五戦に直史を使うという、奇襲はどうだろうかと貞本はらしくもないことを考えた。
それは綿密に調整を重ねる直史にとっては、ちょっと無理な話であった。
中三日で投げるなど、41歳のおっさんに期待してはいけない。
中四日で投げてもらうのだから、それで我慢してほしい。
レックス首脳陣も、先発はオーガスにした上で、あとは試合の展開を見て柔軟に動いていくしかない。
だがここで腹をくくって、一つの選択をした。
第一打席の大介は敬遠するのである。
もちろんこれまでも、その選択肢はあったのだ。
しかし初回のライガースを、どうにか抑えなければいけない。
木津が第二戦で勝ったのに、ここまで追い込まれている。
あそこでわずかに、気が抜けてしまったのかもしれない。
ミーティングの終了後、直史はクラブハウスで過ごす。
ただ漫然と時間を過ごすのではなく、試合の展開についても考える。
今日の試合、初回はどうにか一点までに抑えたい。
大介をランナーに出しても、あとのバッターを打ち取ればいいのだ。
昨日の試合でライガースは勝ったが、打線が爆発というようなものではなかった。
百目鬼は最低限の仕事はしたし、問題はむしろ打線の方にあったのだ。
フリーマンは防御率や奪三振率など、畑と同じぐらいであるのに、勝ち星は18個もあった。
25試合に先発して、18勝2敗であるのだから、とんでもない数字である。
その数字に威圧されたわけでもないだろうし、また早く点を取り返さないと、という考えもあったろう。
あとは貞本が、ピッチャーのローテと守備で勝つということを、考えるタイプの指揮官であったということも関連する。
バッティングの勝負所というのが、いまいち分かっていないのだ。
だからセットプレイでの得点が増えていく。
もう少しバッターを信用して、任せるべきだったと直史は思う。
ただ自分にそんな采配が出来るかというと、それは向いていないとも思う。
基本的に直史は、思考が体育会系ではない。
論理的に考えるため、普段から士気を鼓舞するというのは、他の人間に任せてきた。
自分が出来るのは、ただ勝つというだけ。
それでも悪い点は、見えてしまうのだから仕方がない。
本当に、今日で終わってほしい。
一応は最悪のことも考えて、三試合に先発することも想定していた。
だが去年のレギュラーシーズン終盤から、ポストシーズンの無茶な登板間隔。
あれで肉体がダメージを受けたのは、間違いのないことである。
今年はかなり、無理をしないことを意識していた。
なのでキャリアワーストの数字になったが、重要なのはそれでも勝つことである。
直史は勝ち続けた。
圧倒的に勝ち続け、そして不敗神話などを生んでいる。
本人が望んだことではないが、マウンドの上では神とまで言われている。
神は神でも邪神とか、そういう類ではないか。
MLBでは散々、悪魔に魂を売った男、などと言われたものである。
投打の化物が、同時代に存在した。
どちらもが悪魔に魂を売ったような成績を残したのに、どうして大介にはマイナスイメージが少ないのか。
単純にアメリカでは、バッターがヒーローという傾向があるからだ。
そもそも一試合に投げれば、次の試合まではしばらく投げないピッチャーに比べると、バッターの露出は多くなる。
それだけでファンにとっては、身近な存在になる。
直史は確かに、客を呼べる選手ではあった。
しかし先発で投げていれば、回ってくる回数が少なくなる。
対して大介は、143試合も162試合も、全試合出場したシーズンがかなり多い。
あの過酷なMLBの日程であっても、どうにかしてしまったのが大介なのである。
体が小さいから、それだけ体力も少ないと思われる。
だがそれは逆で、体が小さいからこそ、普段からエネルギーの消耗は少ないのだ。
ブルペンに入ったものの、直史の出番があるとすれば、それは絶対にクローザーとしてのみ。
なので一回から、肩を作る必要は全くない。
まずは最初の大介の打席が回る、初回をどう乗り切ってくれるか。
一点までなら大丈夫かな、というのが直史の考えである。
そして豊田も、同じように考えている。
大介が二番にいるということは、歩かせればその後ろがクリーンナップということだ。
足の速いスラッガーという存在は、ライガース打線を全く違うものに変えてしまった。
こういうタイプのバッターが出てくれば、これがスタンダードになるのか。
そうそう出てくるはずはないと思われつつも、高校野球では司朗がこの、大介と似たようなことをしている。
甲子園でもうホームランを打っている。
そのくせ打率は八割ほどで、盗塁もガンガン走っているのだ。
センスの塊ということを、司朗はよく言われる。
ピッチャーとしての才能ならば、大介よりも上であるだろう。
実績的な話で、大介がピッチャーもやっていれば、それはそれでおかしなことになっていたかもしれないが。
そして第五戦が始まった。
初回の入り方が、ものすごく重要となってくる。
先発のオーガスは、慎重に先頭打者の和田を打ち取るのに成功。
レックス首脳陣は、ここは思い切って大介を申告敬遠した。
後ろのクリーンナップとの勝負を、この大舞台では選択する。
勝負強さというのは精神論であるかもしれないが、数字でしっかり出ている以上、これを無視するのもむしろ非科学的だ。
ブルペンから見ていて直史は、ライガースの過去のデータを参照したりする。
統計でのデータというのは、確かに選手の全体像を把握する。
しかしそのデータも、より詳細になっていなければ、活用できなかったりするのだ。
たとえば今回の大介のように、チャンスの時や一発がほしい時、果たしてどれぐらい統計との乖離があるか。
少なくともこのファイナルステージ、大介の成績は怪物を超えている。
今の自分が投げて、大介に勝つ方法。
最初の打席は敬遠して、打たれてもいい状況でだけ勝負するなら、それで勝つことが出来る。
ただ問題なのは、味方がどれだけ援護してくれるか、という点にもある。
だいたい直史が投げると、打線の取ってくれる点の平均は、一点ほど下がっている。
25試合前後、また対戦相手も変わるので、これを完全に統計のデータとするのは難しい。
だが大学時代はともかくプロの世界においては、MLB移籍後は確実にこの傾向が見られた。
野球は味方が一点は取ってくれないと、勝てないスポーツでもある。
もちろんこのファイナルステージに限っては、引き分けでも日本シリーズに進める。
しかし12回まで、ライガース打線と引き分けに持ち込むのか。
それは普通に戦って勝つよりも、ピッチャーの消耗が激しくなるだろう。
直史としても大介とは、五打席も勝負したくはない。
普通に勝利を目指していきたいし、ライガースの投手陣からならレックスの打線も、一点ぐらいは取れるのだ。
ここまでの四戦で、失点がなかったのは第一戦のレックスだけ。
つまり直史の投げた試合である。
だが中四日の間隔で、必死になってくるライガース打線を、どれだけ抑えられるか。
メンタルとかペース配分とか、そういうものが問題になるのではない。
純粋にフィジカル的な限界が、さすがに直史にもある。
今日の試合、終盤で大介に回らない場面なら、直史がクローザーをしてもいい。
ただ勝つだけであれば、その状況が一番ありがたい。
2イニングまでならば、集中してどうにか勝ってしまえるだろう。
そして日本シリーズだが、少しだけ間隔が空いている。
去年は届かなかったが、今年はもうあと一歩のところにまできている。
もちろん一番いいのは、大介と勝負してなお、勝利することだろう。
だがそういうエゴを出さないという点では、直史は他に例を見ないピッチャーでもあるのだった。
試合の序盤は、お互いに静かな立ち上がりであった。
むしろこの場合、勝ち星を狙っていける先発を使っていない、ライガースの方が不利であるはずだったのだが、レックスは最初にチャンスを作ることが出来ていない。
そして毎回、一人ずつぐらいいは出塁するのだが、お互いに決定的なチャンスはない。
すると一発を狙っていく、というのがセオリーになるのだ。
得点力もライガースのほうが上だが、それ以上に上なのは長打力だ。
レックスがあれこれと細かいことをしている間に、長打二本で一点を取ってしまう。
そんなライガースの打線を相手に、オーガスはしっかりとしたピッチングをしている。
そして三回の表、ワンナウトからライガースの上位打線に戻る。
なお二回を投げて無失点であった先発は、そのまま投げる機会を与えられた。
大介の前の和田を出さないことは、とても重要なことである。
もしもランナーとして前にいた場合、長打一発で一点が入る。
だからといって安易に敬遠しても、今度は得点圏にランナーが行き、さらにもう一人ランナーが増えることになる。
和田と大介の二人がランナーにいると、ダブルプレイはかなり取りにくい。
プルヒッターをそろえたライガースのクリーンナップであるが、進塁打を上手く打たれてしまったら、それはそれで困ったことになるのだ。
とにかく大介との勝負は、避けてしまった方がいい。
レギュラーシーズンの平均的な統計ではなく、得点圏や決勝打の場面など、そういったところを集めるならば、大介の打率はおおよそ五割ほどか。
ここで大介が打たないと、ちょっと勝てそうにないというところでは、ボール球でも積極的に打ってしまう。
だから実際の打率ならば、もっと上であるだろう。
まともに勝負したら、六割から七割は打たれてしまう。
そしてその中にホームランがあれば、一気に点が入ってしまう。
ホームラン以外なら及第点、と直史が考えるのは、その後を抑える算段が出来ているからだ。
しかし三番から始まるクリーンナップは、ハマった時にはとんでもない爆発力となる。
ライガースはソロホームランなどの一発や、あとはビッグイニングを作ることがあるが、それを一切に何度も繰り返すわけではない。
さすがに現実的に見ても、打撃の連打はそうそう出るものではない。
そのあたりを冷静に、状況から見るべきなのだ。
ここでは和田をアウトにして、ツーアウトで大介を迎えることが出来た。
本当なら敬遠してしまっても、問題のない場面である。
だがここまでレックス打線は、上手くチャンスを得点につなげることが出来ていない。
そうするとピッチャーも、流れを変えようと考えてくる。
あの保守的なベンチは、果たしてどうするであろうか。
答えはすぐに出た。
申告敬遠ではないものの、明らかなボール球のピッチング。
大介が無理に打ってきたら、さすがにホームランにすることは難しい。
外のボールを中心に、高低は適当に使ってくる。
低めはまだしも、高めの外に外れた球は、遠心力を使うことも難しい。
実質的には敬遠のフォアボールにて、大介は一塁に歩かされることとなった。
正しい選択だな、と直史は思う。
あまりにも消極的とも言えるし、プロの興行としては観客が冷めるだろう。
ただ本拠地神宮であれば、野次が飛ぶことも珍しい。
勝負に徹することが、一番のファンサービス。
もちろん投げるのが直史になってくると、また話は変わってくる。
大介ばかりをマークしているように見えても、それは仕方のないことだ。
だが他のバッターを、甘く見ているということでもない。
先発のピッチャーの中には、百目鬼あたりはまだ、ホームランを打たれることを、あまり怖いと思っていない。
半年間もレギュラーシーズンを戦ってきて、この先に優勝があったとする。
すると契約更改においても、ほんの少しだがご祝儀というものがあるのだ。
直史ならば完全に、計算して勝負していく。
MLBではライガース相手の甲子園ほどではないが、ポストシーズンだとやたら圧力が増えるのだ。
レギュラーシーズンはあくまでも、ポストシーズンの前準備に過ぎない。
そういう考えであるから、レギュラーシーズンは序盤と終盤で、観客の入りが全く違うようになってくる。
オーガスも元はアメリカ育ちであるだけに、そのあたりは分かっているだろう。
普段は球数制限を厳密に守るチームが、エースに大きな負担をかけるようになるのだ。
実際にポストシーズンの無理なピッチンによって、故障してパフォーマンスを落とすピッチャーは多い。
だがワールドチャンピオンというのは、それだけの価値があると思われている。
直史などはそんなもの、どうでもいいとしか思っていないが。
純粋に負けるのが嫌いなだけである。
ともかくこの回も、大介を歩かせたのは成功に終わった。
三回の裏には、レックスもまだ先制点を取ることが出来ない。
先発ピッチャーの性能だけなら、今日はレックスの方がずっと上だ。
しかし最高でも三回までしか投げないと分かっていれば、リリーフをしているピッチャーもずっと全力で飛ばせるのだ。
無失点で序盤が進んでいく。
レックスならともかくライガースとしては、珍しいものであろう。
つまり試合のペースはレックスのものと言えるのだが、肝心の得点が入っていない。
ライガースもライガースで、二試合連続で勝ったことで、精神的には勢いづいている。
それはバッターだけではなく、ピッチャーにも言えるのかもしれない。
もしも最終第六戦にもつれこんだら、ライガースはどういうピッチャーの運用をしてくるだろうか。
先発の畑あたりは、中三日で投げてきてもおかしくはない。
津傘も中二日なのだから、短いイニングは投げるだろうか。
昨日投げたフリーマンも、1イニングぐらいなら投げるかもしれない。
それに本来のリリーフを加えれば、レックス打線を相当に抑えられるだろう。
ただ、いいピッチングは絶対評価だが、勝負は相対的に決まる。
完全に勝利だけを目的に、直史が投げたらどうなるか。
もちろん絶対というのは、野球に使ってはいけない言葉である。
しかしそれに限りなく近い実績を、直史は積み上げてきた。
大介を相手にする時だけは、どうしようもない場合があったが。
それは大介にしても同じことで、他のピッチャーからなら打てるのだ。
上杉相手でさえも、真っ向勝負ならば互角以上に戦えた。
だが相手が直史であると、かなり勝手が違うのだ。
野球のルールの範囲内で、他のスポーツをやっている気分になる。
この試合も結局は、ライガースの先制点から動き始めた。
しかし違ったのは、レックスの打線も動き始め、すぐに追いついたことである。
だがこうなるとピッチャーの運用は、より難しくなってくる。
リリーフは強いところを使った上で、さらに直史を投入するのか。
そういう問題になってくるからだ。
去年も今年も、直史はライガース相手に無敗である。
さらに言うならNPBにいる間は、ポストシーズンでもライガース相手には無敗だ。
真田を相手に引き分けたことはあるが、引き分けは実質的な勝利。
そして今のライガースには、真田のような沢村賞レベルというか、狙って完封の出来るピッチャーはいない。
これまでの成績なども考えれば、レックスは勝てても全くおかしくない。
一つだけリスクがあるとすれば、ここでのリリーフに直史を使うことだ。
リードしている展開ならば、直史を投入してもいい。
しかし同点の状態で、そこから投入したとする。
引き分けのまま延長戦に突入すれば、かなり苦しいことになるかもしれない。
そして回が進めば、大介との対決もあるわけだ。
直史はあくまで、第六戦で先発することを、念頭にコンディションを整えてきた。
だがここでリリーフ登板などをしてしまえば、その調整に狂いが出る。
リリーフの翌日に、先発で投げる。
昭和ではないのだから、そんなことをやってはいられない。
もっとも直史は、既に似たようなことは何度かやって、それを成功させているが。
難しいところと言ってもいいだろうか。
下手な展開で回ってくるよりは、むしろもう負けてしまっていた方がいい。
しかしベンチに首脳陣は、勝ちパターンのピッチャーも投入を始めた。
そして打線の方も、粘りながら点を取りにいっている。
「難しくなってきたな」
豊田が本当に難しそうな顔をしていたが、結局懸念はなくなってくれた。
ライガースに一発が出て、そしてそれはまたも大介であったのだ。
大平のコントロールなどを考えれば、多少アバウトなピッチングが、むしろ大介相手には効果的かもしれない。
そんなことを考えたことも、以前にはありました。
しかしゾーンに投げられれば、大介にとってそれは、全てホームランボール。
大平の162km/hというストレートは、スタンドに運ぶのには丁度いいぐらいのスピードであったらしい。
レックスはそこからも、同点には追いついた。
だがベンチは、直史をもう使わないと腹を決めた。
ブルペンにも連絡があり、直史は完全に準備をやめる。
結果的にライガースが、延長に入ってから勝負を決めた。
これで数字の上では、レックスと並んだことになる。
最終戦に、日本シリーズの進出はもつれこんだ。
直史としては当初の予定通りではある。
それでもこの第五戦で、投げるかもしれないという状態でいたのは、ある程度のプレッシャーになった。
ほんのわずかな狂いが、最終的な結果に出ることもある。
それでもレックスは予告先発に、直史の名前を出すのであった。
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