第162話 投手の評価
「数字以上にいいピッチャーだな」
ベンチに戻ってきて大介は言うのだが、結果がホームランなので説得力は微妙である。
しかし単純に数字と言っても、球速のことではない。
たったの三試合しかしていないが、一軍では三勝しているのだ。
防御率2.57 WHIP1.19 B/9 11.57
木津の残した数字を、分かりやすくするとこうなる。
先発としては相当立派な数字であり、特に奪三振率が高い。
しかしK/BBまで計算に入れると、四球が相当に多いのも分かる。
21イニングで9四球。
三振が取れる代わりに四球も多いというのは、本格派のピッチャーに多い例である。
とはいえやはり、ピンチの時に三振が奪えるのは、ピッチャーとしてかなりの魅力だ。
大介に一発を浴びた後は、続く中軸にもフライを打たれた。
外野にまで飛んでいったので、少しはメンタルにダメージが通ったか。
あるいはライガースの打線には、相性の悪いピッチャーなのかもしれない。
しかし普通に勝負して、大介にホームランを打たれるのは、平均的なピッチャーなら当たり前のことであり、エース格でも当たり前なのだ。
別格の力の持ち主でない限り、大介にはホームラン級の長打を浴びる。
ミスショットがないわけではないが、それはあまり期待できるものでもない。
それでも野手の守る範囲に、ある程度の球は飛んでいってしまう。
高校野球レベルであれば、さらに長打の打ち分けまでやっていたので、甲子園でも八割をキープしていたものだが、ボール球を積極的に打っていく今のスタイルでは、四割が限度。
四割をシーズンで何度も達成したあたり、他に比類すべきバッターがいないと分かる。
この大介に対して、どうやって対処するかというのも、一つの命題であったろう。
同時代のピッチャーの全てが、考えたことであるとも言える。
ライガース以外のピッチャーからは、あらゆるコンビネーションを破壊する神。
そしてチームメイトからしても、突出しすぎた存在ではある。
木津は当たり前のようにホームランを打たれた。
だがそれにショックを受けてはいない。
直史は投手陣に対して、大介に挑む心構えを説いている。
ランナーがいない時に、ソロホームランを打たれるのは想定内であると。
むしろ自分のように、逆転される場面で、勝負に行くのが馬鹿であるとも。
そしてホームラン以外であれば及第点、単打で終われば花丸であるのだ。
木津はほぼ新人のピッチャーである。
今後あと数年は、大介を経験してプレイしていく必要がある。
このポストシーズンの大事な二戦目、大介のパフォーマンスはいつもよりもさらに高い。
そんな大介を経験しておけば、他のバッターにはもっと楽に挑むことが出来るだろう。
実際に他のバッターは、フライが二つ出たが打ち取れたのだ。
直史はこの日、先発登板の翌日であるので、基本的にはオフである。
だが軽く動き回って、代謝機能をよくしておいた。
ただしブルペンにまでは来ておらず、自宅待機の観戦となる。
さすがにここの試合は落とすだろうな、と思ってしまったからだ。
「意外とやる」
しかしテレビを見ながら、そんな発言をしてしまった。
木津の仕事は、リリーフ陣の消耗を避けるよう、上手くイニングを食うことである。
あまりにライガース打線を調子に乗せてしまうと、次の試合にも影響してくる。
そういう意味では木津は、ものすごく相性がいいか、ものすごく相性が悪いか、ライガース相手だとはっきり分かるのではと思っていた。
大介には球種を見られて、しかもホームランを打たれた。
直史ならばあそこは、フルカウントになった時点歩かせていたな、と迫水の判断にマイナス点をつける。
二打席目以降はどうするのかな、とテレビに映ったベンチの様子を見る。
どうやらまだ落ち着いていて、大介のホームランは想定内、と思えているらしい。
実際に本気で大介を抑えるなら、申告敬遠が一番楽だ。
ただ木津というピッチャーの特性から、違う結果が出ることも期待していた。
しかしフルカウントになれば、あんな素直なリードではいけないだろうに。
迫水もおそらく、プレッシャーを感じているのだ。
ポストシーズンの大介に、あんな配球からのリードをしてはいけない。
むしろアウトローなどではなく、ど真ん中に投げ込ませた方が良かった。
木津はそこそこコントロールもいいが、ボール一個のゾーン内変化を、刻むほどのものではない。
ストライクはしっかり取れる、という程度のものであるのだ。
それはそれとして、今度はレックスの攻撃である。
ライガースの先発は、今年もしっかり勝ち星先行の畑。
だが去年に比べると、勝敗という結果では、少し物足りないものがある。
13勝6敗なので、26試合も先発しているのだから、悪い数字ではない。
むしろ負け星の倍、勝ち星があるではないか。
直史から見れば、ライガースの弱点は投手陣である。
勝ち星の計算できる先発が、まだまだ固定されていない。
畑と津傘に、外国人助っ人。
球団の資金はそれなりに豊富なのだから、FAの選手でも取ってこれないか、とは思うところだ。
ここのところNPBのピッチャーは、本当のエース級はほとんどが、ポスティングでMLBに行ってしまう。
そう考えるとFAやトレードよりも、自前の育成が重要になってはくる。
全ての日本人ピッチャーが、MLBで通用するわけではない。
純粋に野球の実力ではなく、それ以外の部分でアメリカに適応できない、そういうピッチャーもいるのだ。
それが帰国してきたところに、契約を結べばいい。
ただしアメリカで通用せずに帰ってきたピッチャーは、日本でも通用しなくなってしまっていることがある。
基本的にMLBというか、アメリカ社会で成功する人間は、エゴイスティックな人間であるのだ。
レックスの選手たちは今日の試合、ある程度の点の取り合いになることを想定している。
そしてそういう試合は、レックスの勝ちパターンではない。
基本的にはロースコアか、そうでなくても五点ぐらいまでで試合を決める。
ピッチャーが安定していることが、レックスの試合展開の大前提なのだ。
それに木津のピッチングは、この短期間にどんどん良くなっている。
単純に一軍の試合に、慣れてきたとも言えるであろう。
初先発はクオリティスタート、二試合目はハイクオリティスタート、三試合目は八回一失点。
終盤のペナントレース優勝を決めた試合も、木津が先発であった。
このあたりの成績から考えると、プレッシャーに強いのだろうと思える。
そしてこの試合にまで勝ってしまえば、一気に日本シリーズが見えてくる。
残りの四試合のうち、どれかを勝てばいいだけになるのだから。
レックスは一回の裏の攻撃から、球種を見ていった左右田が、最後には右中間を破るツーベースを打った。
初回は出塁を優先する左右田だが、ここ一番でチャンスを作る。
ノーアウト二塁となると、緒方には進塁打が求められる。
緒方もまたケースバッティングが出来るし、実はそれなりの長打力もある。
この場面、どう打っていくかは、ベンチから任された。
送りバントであろうが、ヒッティングであろうが、それをベテラン緒方の判断に任せたのである。
普段のレックスならここは、ランナーを三塁に進めて、ほぼ確実に一点が取れるようにする。
しかしライガースが相手で木津がピッチャーであると、どの程度の点が取られるのか分からない。
緒方は堅実なプレイヤーであるが、同時にあの甲子園で、勝負強いバッティングも行ってきた選手だ。
彼が三年の夏には、大阪光陰は白富東に勝利して、優勝しているのであるから。
あまり長打はないはず、という先入観がライガースにはある。
データ野球というのは、そのデータに縛られる面もあるが、あえてデータを裏切ろうとすれば、むしろパフォーマンスは落ちる。
ミートを優先した緒方のバッティングは、ライト前に鋭く飛んだ。
左右田は三塁ストップであるが、これでノーアウト一三塁。
ほとんど何をやっても、点が入る状況を作り出した。
点の取り合いを挑んでいる。
これは玄人好みのレックスの野球ではない。
だが単純に観客からすれば、どんどんとヒットを打つのは見ていて楽しい。
ライガースを相手に打撃戦というのは、分が悪いものである。
しかしここは純粋に、木津で勝つ方法を考えているのだ。
すると普通に、ある程度の点数が必要となる。
続くバッターがセンターに深めのフライを打ち、あっさりとタッチアップで一点が入った。
一塁の緒方はフライが抜けるかどうか微妙であったので、ハーフウェイラインでとどまり、そのまま一塁に帰還。
さすがに一度戻ってから、二塁にタッチアップをしかけることは出来ない。
抜けていたらまた、もう一点追加出来るチャンスになっていた。
しかしそこまで都合よく、レックス有利にヒットが続くはずもない。
もっともここまで畑は、ヒットになりそうな打球ばかりを浴びている。
今日の畑は、あまり調子が良くないのではないか。
投球練習ではよく分からないが、ここまでヒット性の打球が続くと、そう判断してもおかしくはない。
一回の裏、ここからはランナーは出なかったが、三振も奪えていないし、そこそこミートできた打球ばかりであった。
考えてみれば畑にも、大きなプレッシャーがかかっていて当然なのだ。
この試合を落としたら、ライガースはもう敗北の一歩手前。
最終戦に直史が投げれば、レックスの勝利の可能性が高くなる。
甲子園であれば、という思いもあるだろう。
あとはファーストステージのスターズ戦で、チーム全体に精神的な疲労がある。
上手く勝てば勢いもつけられるのだが、それは第一戦で直史が完全に消してしまった。
一回の表に一気に点を取れれば、それでも勢いはついただろう。
だが大介のソロホームランというのは、その単発に終わってしまった。
フライを上手く打たせて、それで一回の表は終了。
三振を意識して取れていない。
ともあれ一回の攻防は、共に一点を取ったのみで終わった。
しかしライガースは大介の一発で、レックスは連打。
チームとしてのまとまりは、レックスの有利に展開しているように思える。
それでも一点にしかとどまっていないのだから、流れがレックスに完全に傾いているわけでもないのだろうが。
二回の表が始まる。
先頭で三振を取れたが、次のバッターには打たれて、センターの前にちょこんと落ちた。
ここからは下位打線であるが、ライガースはそこそこ下位打線でも打っていける。
だが内野フライでツーアウトにしてしまえば、進塁も出来ない。
ツーアウトランナー一塁では、代打を出すのもおかしな序盤である。
スリーアウト目は浅い外野フライで取って、二回の表は無失点。
フライを打たせているという点では、ピッチングの内容は悪くない。
そしてこの裏、レックスは先頭打者である六番迫水が、外野の間を割っていく長打を打つ。
下位打線に入っていくが、進塁打の後のタイムリーヒットで、一点を追加。
先制点を取られはしたが、逆転に成功する。
下位打線がセットプレイではなく、純粋なヒットで打点を稼ぐのは、それなりに珍しい。
ラストバッターの木津は倒れて、ツーアウトランナー一塁の状況から、上位打線に戻ってくる。
これはもう左右田には、普通に打ってもらうしかない。
守備のシフトによっては、バントヒットなどを狙っても良かっただろう。
しかし特に深くもなく、平均で守っているライガースの野手。
ならば打っていく方がいいか、と左右田はまたもミートした。
ショートの深いところだが、大介はそれをキャッチ。
一塁に充分間に合って、スリーアウトである。
得点の機会がコロコロと出てくる。
レックスの試合としては、かなり珍しいことではないだろうか。
それもセットプレイではなく、ヒットによってチャンスが出来て、打つことによって得点になっていく。
本来のレックスではないが、それが点につながっている。
そしてこれは、野球の伝統的な点の取り方だ。
三回の表、ライガースの攻撃はピッチャーの畑から。
ここはさすがに見逃し三振で、先頭の和田に戻ってくる。
そしてこの次は、二打席目の大介だ。
(ツーアウトからならホームラン以外は許容範囲)
迫水はそう考えるからこそ、より和田には注意して組み立てていく。
木津のピッチングを、一打席目はあまり経験していない和田だ。
だからこそ初球は、注意して見てくることが予想された。
ストレートを投げ込んで、ストライクカウントを稼ぐ。
そして二球目にもまた、ストレートを要求した。
木津は頷いて、自信をもってストレートを投げてくる。
さすがに和田も、これにはスイングして対応していく。
ジャストミートのはずが、またも外野フライになった。
かなり浅めのもので、下手をすればポテンヒットになるところであったが、レックスのセンターは守備範囲が広い。
なんとか追いついて、これでツーアウト。
どうやら和田は、木津とはあまり相性がよくないらしい。
もっともたったの二度の対戦で、結論付けてしまうことは難しい。
そしていよいよ大介である。
たった一人で、一点を取れてしまうバッター。
ここで二打席連続ホームランなどを打たれては、追いつかれるだけではなく、木津のメンタルにも悪影響が出てくる。
迫水としてはここは敬遠してしまうのが一番だろうな、と試合の勝敗だけを考えればそう結論する。
だがベンチはまだ動かず、そして木津は戦意を失っていない。
もう第一打席で、全ての球種は見せてしまっている。
一番の武器である空振りが取れるストレートも、しっかりと対応してきているのだ。
なので勝負をするとしても、カーブかフォークから入っていくべきだ。
大介の比較的苦手とする、サウスポーのスライダーも投げられるが、それは第一打席で既に試している。
効果がないわけではないだろうが、初球から投げるようなものではない。
抑えればピッチャーの功績で、打たれればキャッチャーの責任。
日本の野球というのは、おおよそキャッチャーが損な役回りである。
だが一度定着すれば、かなりの試合でマスクを被ることとなる。
併用しているチームも多いが、レックスは基本的に迫水一人でどうにかしている。
少なくとも迫水には、打撃力という分かりやすい武器があるからだ。
大介としてはツーアウトランナーなしというのは、歩かされてもおかしくない場面だ。
特に一打席目は、ホームランを打ってしまったのだから。
球種としては特に、攻略の難しいものはない。
ただ球速をあえて落としたストレートなどは、わずかにタイミングがおかしくなるかもしれない。
(早いカウントで打ってしまう)
大介のその判断は、歩かせてこないのなら間違いではない。
申告敬遠を直前まで待ったが、それをしてこなかった。
ツーアウトなのでホームラン以外なら、という判断でもあるのだろうか。
それも一つの選択であるが、大介がヒットにも出来ないコンビネーションというのは、ちょっとないと思う。
実際に初球から、落ちる球を使ってきた。
(この速度のフォークなら見分けがつくんだよな)
回転数から判断して、余裕で落ちるのを見送った。
フォーク、あるいはスプリット。
ボールの回転数を少なくし、空気抵抗で落とす変化球。
これがさらに無回転になると、ナックルとなってくるわけだ。
大介としては落ちる球でも、掬い上げればホームランに出来なくはない。
だがここでのフォークは、想定以外の球種であった。
基本的にはストレートを待っていて、あとはスライダーが来ても対応する。
サウスポーのスライダーは大介に効果的、というのはデータとして分かっているはずだ。
もっともスライダーという球種自体が、そこまで不得意というわけではない。
真田のように背中からの軌道に見える、ああいうスライダーが苦手なのだ。
木津のスライダーはそれなりに変化量は多いが、外に逃げていく球だ。
そしてスピードもそこまでではないので、普通に見極めることが出来る。
外に逃げていっても、大介ならば打っていける。
なのでこの二つを考慮して、カーブとフォークは最初は考慮しない。
特にフォークの方は、基本的に全てボール球になるからだ。
二球目に投げられたのは、スローカーブであった。
スピードのないストレートを活かすためには、さらにスピードのないこのカーブが生命線となる。
ゾーンを通っていたが、これも大介は見逃す。
ストライクカウントが増えたが、これもまた想定内。
まさかカーブとフォークだけで、この打席を組み立てられるとは思っていないだろう。
事実、迫水は次に、ストレートを要求していた。
木津もここで、しっかりとしたストレートを投げたかった。
低めのストレートを、力を込めて。
浮いてしまわない限りは、ホームランにはならないだろうと判断した。
投げられた三球目、これはストレートだ。
スピードが全てではないと言っても、ほんのわずかな時間の差で、反射して動くスイングは変わってくる。
低めのストレートを、大介は打ちにいった。
だがわずかに、スピードが遅くなっている。
わざと遅いストレートを投げる。
そういった技術があるのは、ずっと前から知っている大介である。
手首を返して、しっかりとボールをミートする。
ライナー性の打球と見えたが、左中間に飛んだボールには、しっかりとスピンがかかっている。
沈むスピンであり、スタンドには飛び込まずフェンスに直撃。
これはさすがに長打となるものであった。
ツーベースヒット。
これで二打数二安打と、完全に大介はポストシーズンのバッティングをしている。
ただレックスとしては、首脳陣はホームランでなければいいと思っている。
もっとも打たれたピッチャーの方は、果たしてどう感じているか。
ピッチャーにとって一番怖いのは、打たれることを恐れて腕が振れなくなることだ。
そうして投げたボールは、打ち頃のものになってしまうのだ。
内野を集めることまではしないが、迫水はマウンドの木津に近寄る。
その表情を確認してみれば、むしろ明るいものがあった。
「やっぱりプロは凄い」
いや、プロでもあれだけは別格だ、と迫水は思ったのだが口にはしない。
最初はホームランで、次はツーベース。
ならば次は、単打に抑えられないだろうか。
「ホームを踏ませなければ、それでいいんだからな」
「はい」
木津は晴れやかに、そう応じてくれる。
ツーアウトランナー二塁。
シングルヒットでも当たりによっては、一気にホームまで帰ってこれる。
だがここで木津は、次のバッターを三振で打ち取る。
小さくガッツポーズをして、ベンチに戻る木津。
その姿には、まだ大きな動揺の様子は見られなかった。
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