第161話 異形のピッチャー

 1シーズンほぼ丸々かけて、力の上限を微妙に錯覚させた。

 全力を出さなくても、試合に勝つ程度のことは出来る。

 完投数などが減ったのは、レギュラーシーズンで出す力の上限を、わざと下げたから。

 実際のところまだ、直史は余裕と言うか、隠し球をもってピッチングをしている。

 去年と違って今年は、とにかく勝てばいいという試合が多かったのだから。


 目の前の試合をパーフェクトに抑えなくてもいい。

 これだけ条件が楽になると、シーズン全体を見てペース配分が出来る。

 自分の成績も重要だが、それより大事なのはチームとして勝つということ。

 その手段として新人の育成や、発掘にも手を出してみた。

 そして結果として、ぎりぎりではあるが自分の力を温存し、クライマックスシリーズに臨むことが出来た。


 第一戦で、ライガースの打線をほぼ把握した。

 奪三振が少なかったのは、バットに当てさせることを重視したからである。

 大介には二本のヒットを打たれたが、それでも失点には至らない。

 ノーアウトからランナーとして出ても、点にさえつなげなければそれでいい。

 割り切った考えで、勝利と共にデータを手に入れた。


 結局のところは計算通りではあった。

 ただこの第一戦に勝利しても、全く油断は出来ない。

 最悪の場合、六連戦のうち三試合に、先発する可能性も考えている。

 去年のことを考えれば、三勝すればそれでいいのだから、難易度は低くなっている。

 直史の力も、最大出力は落ちたといっても、力以外の技術でどうにかなる。

 だが大介を完璧に抑えるのは、かなり難しいと言えるだろう。


 逆に考えるのだ。ヒットぐらい打たれてもいいや、と考えるのだ。

 大介であっても単打にしか出来ないような、そんなリードは存在する。

 下手に外角に逃げたり、また力勝負を挑もうものなら、あっさりとスタンドに運ばれてしまう。

 ホームランを量産するマシーン。

 長打率を見ればそれは、ほとんど10割であったりするのだ。


 その大介を、直史は自分以外のピッチャーならどうするか、ある程度の回答を示したつもりだ。

 対決を回避ばかりするぐらいなら、勝負してヒットという方がむしろいい。

 あまりに勝負を避けすぎては、大介から逃げて勝利を拾うことになる。

 それもまた勝負の世界なら、必要な冷徹さなのだろうか。

 直史はそうは思わない。野球もまた興行であるからだ。


 スポーツの本質は、熱狂である。

 純粋に勝てばいいだけならば、野球はあまりそれに適したものではない。

 最強のバッターを、いくらでも敬遠出来てしまう。

 もっともOPSで計算するなら、プロのレベルだと大介を相手にしても、勝負した方がいいと出る。

 これが統計の嘘であることは、多くの人間が言及している。

 大介はボール球を打っていかなければ、打つボールがなくなってしまう。

 それぐらいに極端なスラッガーであるのだ。


 単打よりも長打の数の方が多い。

 そんなバッターはまず滅多にいない。

 空前絶後というわけではなく、一応いることはいる。

 打率は二割もないのに、ホームラン数が多くてOPSの高いバッターだ。

 もっとも大介の場合はそれに、打率までが加わるわけで、そうなるとやはり他に例を見ない存在となる。




 第一戦が終わって、次の予告先発も明らかになる。

 ライガースは畑が出て、レックスは木津である。

 ここは今年の勝ち星こそ少ないが、数字の上ではエースの畑と、実質まだデビューしてから二ヶ月もしていない、木津との対戦となる。

 直史に大原を当てたように、今度はライガースのエースに木津を当てるのだ。

 レックスとしてはここを、落としてもそれほど痛くはない。


 重要なのは第四戦までの勝敗がどうなるか、ということであろう。

 第二戦と第三戦、ライガースが勝ったとしても、アドバンテージがあるので星の上では五分。

 だがライガースとしては、初戦は落とすことを計算していたのだ。

 そのまま二つ連勝すれば、計算通りとなっていく。

 直史が投げる以外の試合を、全て勝ってしまう。

 それがライガースの、大味な戦略であるのだ。


 レックスはもしも連敗した場合、直史をどう使うか、ということを考えなくてはいけない。

 もちろん常識的に考えれば、第一戦と第六戦に使うだけでも、中四日で投げてもらうことになる。

 年齢的にももう、回復力はかなり衰えている。

 去年のようなことをすれば、もう本格的に壊れるかもしれない。

 だがここで投げるのが、エースではないのか。

 いや、エースとしてもその使い方は、あまりにも酷である、と言うべきだろう。

 ジョーカーならば、好きに使ってしまってもいい。

 しかしせめて、クローザーなどのリリーフとして使うまでに抑えておきたい。


 第四戦まで落としたら、第五戦には中三日で投げてしまうしかないかもしれない。

 昭和を知る古いプロ野球ファンからすれば、別におかしくはない日程である。

 しかし今の野球は、人間の肉体に強いるには、あまりにレベルが高くなっている。

 無理をすればそれだけ、肉体へのダメージは大きくなる。

 直史の今年の、不調とは言えない不調も、去年のクライマックスシリーズの無理が祟ったものであるのだ。


 選手たちは眠りに就く。

 もちろん直史も、ぐっすりと眠る。

 普段は神経戦であったが、今日は限界近くの力まで、肉体の方も使った。

 脳も休養を求めて、夢も見ずに眠るわけである。


 対してコーチ陣などは、情報を改めて精査する。

 直史が今日投げた内容で、他のピッチャーに活かせるものはないのか。

 ざっと調べた後は、データ班に詳しい分析を頼み、翌日にもう一度確認する。

 大介が今日は、単打しか打っていない。

 しかし打球の勢いがありすぎて、外野を抜けたにもかかわらず、二塁にまで進めないなどという打球もあったのだ。

 他にもセンターライナーがあり、このあたりはかなり運に助けられている。

 深く守っていたため、どうしようもないポテンヒットなどというものもあったが。


 それにしても一試合を投げて、フォアボールが一つもなく、単打を四本打たれただけ。

 この直史のスコアを見ると、いつもなんだかおかしなものを読んでいるように感じる。

 いあいあ、と叫びたくなるような、原始的な恐怖に根ざしたもの。

 そこまではいかなくても、野球にささげてきた人生が、このデータの理解を拒否しようとするのだ。

 現実は非情であるので、これを消すことなど出来ようはずもない。




 二日目の先発の木津は、自分が期待されていないことを知っている。

 なので逆に、あまりプレッシャーがなかった。

 だが最低限、やらなければいけないことも分かっている。

 初戦のライガース戦で、大原がやったのと同じことだ。

 つまり長いイニングを投げて、リリーフ陣の消耗を避けなければいけない。

 強打のライガースに、七回あたりまで投げて、五失点ぐらいならば充分だろう。

 もっと点を取られても、六回まではなんとか投げる。


 日本シリーズにまで進めば、また自分の出番は回ってくる。

 リリーフなり先発なり、自分は使いやすいピッチャーだと思っているのだ。

 使いやすいと言うよりは、活用の仕方が面白いと言うべきか。

 木津はシーズン中、三試合に先発した。

 その本人の内容も良かったが、実はもっと大きな影響があったりする。


 一戦目から三戦目まで、全てに共通していること。

 それはリリーフしたピッチャーが、一点も取られていないということだ。

 これは木津のストレートが、遅い割には速く感じることと、対照的になっているからだろう。

 タイミングが妙に取りにくい、130km/h台半ばのストレート。

 これに慣らされた後に、大平の160km/hや、平良の高速スライダーが襲って来るのだ。


 実は遅いが速く感じる球の後に、本当に速い球がやってくる。

 リリーフ陣を活かす先発、というのが木津というピッチャーの特徴である。

 実際にピッチャーを継投する理由には、そういうものがある。

 クローザーなどは球速に加え、強力な変化球一つで、どうにかなってしまうものなのだ。


 実際に直史も、完投した試合は少なくなったが、ほとんどの試合は勝利につながった。

 直史もまた、球速のMAXはさほどでもないからだ。

 あるいは第二戦、直史よりもさらに遅い木津を体験すれば、他のピッチャーとの球速差に対応出来ないのではないか。

 万一にも終盤まで、レックスがリードして試合が進んだとする。

 そしたらリリーフを、ライガース打線でも打つことは出来ないのではないか。


 ここまで木津が対戦したのは、カップス、フェニックス、スターズの3チーム。

 ただでさえ初対決は、ピッチャーが有利だと言われる。

 ライガースの打線は確かに強力だが、軟投派には比較的弱いし、技巧派にも比較的弱い。

 木津は異形派とでも言うべきタイプだが、おそらくライガースとの相性は悪くない。

 もっともさすがに、一点も取られないという想定は、あまりにもレックスに都合がよすぎるものであろう。




 本拠地神宮で、今年はファイナルステージを戦うことが出来る。

 プレッシャーのかかるポストシーズンであるが、木津は違う形のプレッシャーに、ずっと晒され続けてきた。

 球速が上がらず、育成契約のまま、三年目を迎えていた。

 次にも育成契約、というのは考えにくい。おそらくはクビになるのでは、という想像をしていたのだ。

 さすがにある程度のチャンスは与えられ、それに結果を出してはきた。

 それでも球速という絶対的な評価が、木津を苦しめ続けてきた。


 球速ではなく、奪三振を見てくれ。

 木津としてはコーチにもそう言ったし、実際に三振がかなり取れていたのだ。

 実はわずかに三試合だけであるが、奪三振率は今年の直史よりも高い。

 一試合を投げれば平均で、二桁の奪三振を取るぐらいの力があるのだ。


 この遅さならば、このあたりに落ちてくるだろう、という予想を外すストレート。

 見逃し三振は少ないが、空振り三振は相当に多い。

 他のピッチャーの故障は、ベンチ入りしていないピッチャーにとってはチャンス。

 他人の不幸は蜜の味というわけでもないが、同じチームのポジションの人間を、競争で落としていくのがプロの世界。

 もっとも先発であるならば、ローテーション用に何人か必要なので、ある程度の仲間意識はあるわけだが。


 木津はおそらく、先発としてしか使われない。

 前のピッチャーとの差を考えるなら、遅いストレートでも空振りが取れるというのは、悪いことではない。

 しかし木津は空振りを取れるのと引き換えに、打たれたボールはフライになりやすい。

 クローザーなどは奪三振能力と、奪三振に対するフォアボールの少なさ、そして長打の数が重要になってくる。

 使いようによってはリリーフもいいのだろうが、おそらく先発適性の方がずっと強い。

 このあたりは二軍のコーチも、直史や豊田も分かっていることだ。


 さっぱりと目を覚まして、試合前に軽く体も動かす。

 ポストシーズンのピッチングだというのに、さほどの緊張感というものはない。

 木津からしてみれば、二軍でのわずかなチャンスあたりから、全てが自分に与えられたチャンスであった。

 それをどうにかものにしてきた終盤の三試合、比較的だがポストシーズンであっても、さほどの変わりがあるわけではない。

 木津が一つでも負けていたら、シーズンの順位は変わっていたかもしれないのだ。


 優勝を決めたスターズとの試合でも、木津と大平の育成リレーで決着がついた。

 8イニングで七本のヒットと三つのフォアボール。

 それなのにわずか一失点というのは、ほしいところで三振が取れていたからだ。

 リードする迫水などは、かなり胃が痛かったであろう。

 だが木津からしてみれば、ずっと開き直ってピッチンをしていたのだ。


 もしも今日の試合、レックスが勝つことが出来たら。

 強打のライガースを相手に、木津のピッチングがある程度通用するのだとしたら。

 その評価は高くなり、来年の年俸は間違いなく上がる。 

 いや、元々の年俸が育成だったので、低すぎたという方が正しいのだが。

 ともかく木津にとっては、まだプロ野球人生は始まったばかり。

 いまだにその評価は、しっかりと定まったものではない。




 厄介なピッチャーではなかろうか、と大介も想定している。

 なにしろデータが、あまりにも不足しているからだ。

 二軍時代も含めても、まだその全貌が見えてこない。

 ただ言えるのは、三振をそれなりに取ってはいるが、ホームランもそれなりに打たれているということだ。

 つまりフライボールピッチャーである。


 昨日の直史は、少なくとも大介には、完全にグラウンドボールピッチャーのピッチングをしてきた。

 他に二本のヒットを打たれたが、それも単打になったものである。

 長打力のあるライガースとしては、フライボールピッチャーの方が相性はいいはずだ。

 ただし長打が多いというのは、それだけ三振も増えていく。

 大介のように、極端に三振が少ない、強打者というのは少ないのだ。

 

 ライガースとしては、当然ながらここは勝つつもりである。

 そもそも直史以外のピッチャーは、全て打っていかなければいけないのだが。

 下手に注意を促しても、逆効果になる可能性がある。

 相手を見下して打った方が、いい結果につながることもあるのだ。

 これはバッターではなく、ピッチャーにも同じことが言える。


 少なくとも最初から、萎縮していては勝てない。

 直史があそこまで負けないのは、もう直史だから、という理由も付けられているのだ。

 負けて当たり前、点が取れなくて当たり前、打てなくて当たり前。

 ただ今年は少なくとも、ヒットの数はかなり増えている。

 かけられた魔法が完全に解けるのに、あとどれぐらいの時間が必要だろうか。

 その前に直史が、逃げ切ってしまうことも考えられる。


 グレッグ・マダックスは晩年には、球速が140km/hを切っていたという。

 直史も去年から、球速のMAXはかなり落ちた。

 今年はもう、完全に150km/hには届かないようになっている。

 それでもそのボールを、速く見せることは出来ているのだが。


 今日の先発である木津も、そういうピッチャーなのだとは思う。

 ここまでに投げた試合の映像を見れば、空振りはバットが、ボールの下を潜ってしまっていたものだと分かる。  

 だが同時に、慣れてしまえば一気に打てるようになるのでは、とも思うのだ。

 大介が攻略しきれなかったと言えるピッチャーは、直史と真田ぐらい。

 真田に対しては結局、チーム内での紅白戦でも、明確に勝ったと言えるような結果は残らなかった。


 バッターとピッチャーの対決に、観客はロマンを見てしまうだろう。

 直史と大介の対決というのは、その最たるものである。

 だがこの第二戦は、勝つことが最優先される。

 そして大介に期待されるのは、確実な長打である。




 夕暮れ、試合がいよいよ始まる。

 大介の打順は、今日は二番である。

 この打順が果たしていいのかどうか、大介も迷うところがある。

 今年の直史からなら、二番でも充分に、四打席目は回ってくるからだ。


 完投したとして、平均で打たれるヒットの数は、2.68本。

 これにエラーや、また珍しいがフォアボールも加えられていく。

 二番打者になって、前に出塁率の高いバッターを置いた方が、得点の期待値は高くなるのではないか。

 データ分析は去年の直史のデータを、重要視しすぎたのではないかとも思う。

 もちろんその努力を、蔑ろにするわけではない。


 ブランクがあって、41歳になったピッチャーなのだ。

 故障で引退し、積極的な手術などは行わず、保存療法でそのまま回復するのを待った。

 それで実際に、去年は通用したわけである。

 だが直史の実体を、あまりに大きく考えてしまっているのではないか。


 とはいえ今年はもう、直史と対戦するのは、おそらくあと一試合だけ。

 そしてこのポストシーズンで、ライガースが引き出したデータは、パ・リーグのチームが活用することとなる。

 もっともリーグが違えばそれはそれで、むしろ直史はバッターを抑えるのが苦手になるとも言う。

 普通のピッチャーと違い、対戦した回数が多いほど、抑えるのも楽になるのだ。


 ただ、重要なのはこの二戦目もだ。

 もしもここで負けたら、あと一つどこで負けても、ライガースはファイナルステージ敗退となる。

 相手がまだデータの少ない、ちょっと不気味なピッチャーだからといって、甘く見てはいけない。

 だがやはり、下手に注意深くはならない方がいいな、とも大介は思うのだが。


 試合が始まって、初球は見送ったものの、一番の和田は積極的に打っていく。

 打球はファールゾーンで野手にキャッチされ、たったの二球でアウトになってしまった。

「やっぱり思ったよりも速いし、それにホップします」

 そうは言われたものの、分かっているはずの情報なのだ。


 和田が一番としての役割を、充分に果たすことが出来なかった。

 しかし実際に初球を見逃してみれば、遅いボールだなと感じただけである。

 球速表示は130km/hと、大介の体感したのとそう変わらない。

 またホップしたというのも、それほどは感じられなかった。

 ただここで、一気に打ちにいったりはしない。

 カットも含めてボール球を投げさせ、全ての球種を出させる。

 そしてフルカウントになって、果たしてどう勝負してくるか。


 ストレートを投げてきた。

 それにスイングを合わせれば、ボールは神宮のスタンド、最上段近くまで飛んでいった。

 まずは先制のホームランであるが、大介は球速表示を確認する。

(135km/hの割には、やっぱり速いな)

 評価しておいて打ってしまう、容赦のない大介のバッティングで試合は始まった。

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