第153話 黒子の活躍

 通常のストレートが160km/hを軽くオーバーし、ムービング系でも160km/hに達する。

 そんな怪物が武史である。

 これに高速チェンジアップと、ナックルカーブを大きな変化球として、ずっと同じスタイルを続けてきた。

 パワーピッチャーであるが、同時にコマンド能力も高いため、ボール球から入っても確実に、次にストライクを入れていける。

 今日のライガースは、普通に大介を二番に置いていた。

 またホームゲームであるため、スターズの先攻で始まる。


 先取点が取れなかったら、一打席目の大介は敬遠する。

 そう考えている武史であるが、もちろんこちらが先制することを祈っている。

 甲子園という舞台は、基本的には完全なアウェイ。

 だが年配のファンの中には、武史が高校時代に、ここで投げるのを応援していた者もいるのだ。

 高校野球ファンとライガースファンは、必ずしも共通であるわけではない。

 だがこの甲子園という舞台を、好んで見ている両方のファンは確かにいるのだ。


 多くのプロ野球選手が、甲子園を舞台に活躍し、プロの世界へ飛び込んでいったのだ。

 もちろん甲子園に届かなくても、プロの世界に入った人間はたくさんいる。

 だがその選手たちも多くは、甲子園を目指して高校野球生活を送っていた。

 近年は大学を経由しての入団が、昭和の時代に比べたらずっと、多くなってはいるのだが。


 高卒で働きに出るのが平均であった昭和などは、大学にまで通って野球を磨くほどの余裕は、日本にはなかったと言える。

 もちろんそんな時代にも、大学野球は盛り上がっていたのだが。

 むしろ戦後の頃などは、プロは職業野球と呼ばれていて、大学野球の方が人気があったとも言われる。

 それがプロの世界が一般化していったのは、大学野球のスター選手がプロ入りしたことや、ラジオやテレビの発達と普及が理由と言えるだろう。

 今でも通用するのならば、高卒でそのままプロ入りという選手はいる。

 だが高卒で入っても、そこからしばらくは二軍で下積み、というパターンが多い。


 本当に高卒で即戦力などという選手は、やはり少ないのだ。

 その時点ではまだ伸び代がたっぷりとあるため、既に通用するかと思われても、まずはシーズンを通して戦う体力を付けさせたりする。

 大介のような極端な例外は、本当に少ないと言っていい。

 もっともその数年後には、やはり似たタイプとして悟がプロ入りしている。

 しかし悟はプロ入り数年後までは、まだホームランの数がそれほど多くはなかったのだ。

 現在では確実にスラッガーと思われているが、引き換えにショートの守備を後進に譲った。




 武史は甲子園の決勝を、五回も経験しているプレイヤーである。

 これはちょっと、当時の白富東のレベルが、極端であったと言うべきであろうか。

 SS世代と言われた直史と大介の卒業以降も、この二人を見て白富東にやってきた選手がいた。

 それによって白富東は、甲子園四連覇という偉業を達成したのである。

 もっとも武史は、その後は大学野球で神宮の試合に出て、さらにその後はレックスに入団している。

 甲子園での活躍を見ていないわけではないが、それでも大介の方が圧倒的な人気がある。


 だが人気選手というのは、単体ではなく対決することによって、よりその人気は高まっていく。

 今年はほぼ無双した武史であるが、大介にはかなり打たれた。

 そしてこの第一戦、ライガースの畑との投げ合いが成立している。

 もっともスターズとしては、ここは勝たなければいけない試合だ、と考えている。

 ここで一勝すれば、打撃は水物であるだけに、残りの二試合のどちらかを勝つ可能性はある。

 武史にはリリーフ適性がないので、直史のように先発で投げて翌日に、リリーフで投げてくるという無茶は出来ないのだ。


 ここで負けてしまえば、計算して勝てる試合などはもう回ってこない。

 なので一回の表から、かなり慎重にバッターはピッチャーの様子を見ていく。

 ライガースは逆転負けと逆転勝ちが多い。

 常にリードすればそのまま優勢を保つという、レックスやスターズとは違い、先発に比較的、勝ち星がつかないのだ。

 それでも畑、津傘、フリーマンの三人は、かなり計算して勝てるピッチャーではある。

 これを相手にまず先制というのが、スターズとしても苦しいところだ。

 武史は完全に、大介の第一打席は敬遠するつもりであるが。


 スターズはランナーを出し、そのランナーが着実に進んでいく。

 しかし三塁まで進んだところで、スリーアウトチェンジ。

 初回の先制点という、貴重なものを獲得することは出来なかった。

(まあそんなに上手くはいかないよな)

 今日は普段よりも投げ込んでから、先発のマウンドに立つ武史である。

 普段は一点ぐらい取られても大丈夫だろう、というぐらいの感覚で投げているが、ポストシーズンはその一点の争いが大きくなる。

 ちょっと気合を入れてみるかな、という気分でクオリティを上げていくのだ。


 50球ほど投げてようやく、肩が暖まるという武史。

 実際はマウンドの感覚が、ある程度試合が進まないと、しっくりと来ないだけであるが。

 ただ舞台によって、その集中力の高まりは、普段よりも早いものとなる。

 ポストシーズンで甲子園で、完全にアウェイの雰囲気。

 この中で投げるのは、むしろ燃える。


 空気を逆に読むのが、武史という人間である。

 やらかすことは正と負の両方において、たくさんやってきたものだ。

 大卒投手としては信じられない、300勝オーバーのレジェンド。

 と言うか日米通算記録とはいえ、上杉に続いて史上三人目の400勝オーバーが見えている。

 上杉の場合は故障の治療に一年、リハビリがてらMLBでクローザーを一年と、二年の空白があった。 

 武史も故障で離脱したことはあるが、年単位の大きな故障は一度もない。


 去年はMLBで25試合しか先発していなかったが、14勝7敗で、これはキャリアワースト。

 その次に悪かったのは五年目に、故障で16試合しか当番出来なかった年だ。

 意外と言うべきか当たり前と言うべきか、30勝したシーズンは一度もない。

 ただMLBでは28勝した年もあったので、かなり惜しかったのだ。

 ちなみにだが30歳になったシーズンまでに、176勝している。

 そして明らかにピッチャーのクオリティが落ちてくる30代に入ってから、普通に200勝以上していたりする。


 先頭打者の和田を、三球三振でまずはワンナウト。

 攻略すべき最大の難関、大介との対決である。




 事前に確認していた通りの状況だ。

 ランナーもいないことであるので、申告敬遠である。

 甲子園はとんでもないブーイングと、汚い野次に埋め尽くされる。

 だが大介は走力もあるが、サウスポーの武史から盗塁するのは難しい。

 それにワンナウトからであるので、上手く進塁打を打ったとしても、ホームに帰ってくるのが遠いのだ。


 野次を飛ばされても涼しい顔が出来るのが、武史の長所である。

 もっともこの辺りは兄とお揃いで、佐藤家の血筋はプレッシャーに強いのか、とは言われたりする。

(確実に勝ちに来たか)

 一塁ベース上で大介は、無理はしないでおこうと考える。

 サウスポーの武史は、基本的にスピードボールだけで勝負する。

 140km/hのボールが、遅いと感じてしまうほど、その上限が高いというのはあるが。

 チェンジアップならばバウンドでもすれば、盗塁に成功するかもしれない。 

 しかしここで危険を冒す必要があるのか。


 二打席目以降は、ライガースが負けていたなら、勝負してくるかもしれない。

 いや、ライガースが勝っていても、流れを変えるために勝負してくるかもしれない。

 いずれにせよ均衡状態の今は、まだその機会ではないということか。

 ライガースのクリーンナップは、だいたい平均して毎年、ホームランを30本は打つようなバッターである。

 強力無比ではあるし、助っ人外国人はスピードボールに強い。

 だがそれでも武史のスピードには、ちょっと付いていけない。

 上杉のボールはバットを叩き折っていたが、武史のボールはホップしていくのだ。


 このあたりの違いに、利き腕の違いから、武史の方が上杉よりもピッチャーとしての性能は上なのでは、という意見もあったりする。

 二人を比較するのは、高卒プロ入りと大卒プロ入り、またほぼ日本国内とMLBでの活動期間などから、それなりに難しいものがある。

 単純に沢村賞受賞回数だけであれば、上杉はNPB記録の15回を受賞している。

 しかし直接対決で、武史が一回勝ってもいるのだ。

 その年は上杉が、故障でフルシーズン活動出来なかったが。

 また武史はMLB移籍後、最多のサイ・ヤング賞を受賞している。

 この回数は直史をも上回っている。


 両者に言えることは一つである。

 直史がいた年には、沢村賞を取れていない。

 サイ・ヤング賞はリーグが違えば、二人受賞者が出るので比較はしにくい。

 大介としても対戦成績は、武史相手なら相当に打てている。

 チームとしてはなかなか勝てないのは、一人で点を取る手段が、やはりホームランしかないからだ。


 一回の裏、結局はライガースも無得点。

 三振二つにキャッチャーフライと、まともに前に飛ばせていない。

 それなら大介とも勝負しろという、ライガースファンの気持ちは分かる。

 ただ武史とスターズ首脳陣が、ガチで勝ちにきているというのも、プロであれば当然だと思うのだ。




 当たり前のように、スターズはロースコアゲームを狙っている。

 それに対してライガースは、一発を狙いながらも、珍しくもスモールベースボールを展開していた。

 幸いと言うべきか、今日は味方の畑の調子もいい。

 そもそも防御率にしても、2.5前後という優秀さを、彼は持っているのだ。

 試合の勝敗という結果につながらないのは、本当にただ不運なだけだ。

 

 今日の畑は、運が比較的いい。

 だからこそスターズはバッターが一巡しても、いまだに点が取れないでいた。

 しかし味方の援護がないのは、武史の方がよほど慣れている。

 そもそも点が入っていなくても、特に気にしないのが武史である。

 直史や上杉ほどに、試合の勝敗に執着がないのが、武史の欠点と言えば欠点であるのだろう。


 このプレッシャーのかかる、相手ホームの甲子園での試合。 

 思い出してみれば、高校時代、真田を相手に投げた三年の夏に似ているかもしれない。

 それと比べてみれば、相手のピッチャーの畑は、それほどの脅威でもない。

 ただ大介がいるということが、相手の打線の脅威ではある。

(そういえば後藤も、かなり打ったもんだよな)

 あちらはポスティングうんぬんでNPB球団と仲が悪くなって、結局はFAでMLBに行ったものだ。

 チームとしては馬鹿なものだな、とリーグが違う武史はのん気に考えていた。


 MLBでそれなりの結果を残し、またNPBに戻ってきて最後の二年も活躍した。

 立派な数字を残して引退し、今ではコーチなどをしている。

 ちなみに神戸のバッティングコーチだ。

 確か出身は関西で、そこから大阪光陰に行ったのだから、ライガースが取ったのも頷けるというものだ。

 北海道はポスティングなど、それなりに寛容なチームであったはずだが、裏で何があったかなど、知りたくはないし知るつもりもない武史である。


 ともかくこの試合、大介の二打席目が回ってきた。

 両チーム無得点という、この状況で果たしてどうするか。

 ここはもう、勝負していく。

 それがスターズの事前に話し合った結果だ。

 チームとしては武史でも打たれるなら、それはもう納得するしかない。

 またイニングの先頭打者であるので、ここでランナーに出したら、失点のピンチになるのも確かなのだ。


 武史は無責任という人間ではないが、過剰なプレッシャーからは無縁の人間だ。

 勝負をしてもいいというなら、勝負をしてしまう。

 どうせリードをするのは福沢であるし、自分はそれに従って投げるだけ。

 打たれた責任をキャッチャーに転嫁はしないが、勝手にそうしてくれる日本の野球は、アメリカよりもピッチャーに優しい。

 向こうではあくまでも、打たれたピッチャーの責任になるのだから。




 ホームランだけはまずいな、と武史は考えている。

 だがホームランを打たれる可能性も高い、ストレートこそが武史の最大の武器である。

 それに武史のナックルカーブは斜めに入ってくるので、それなりに大介相手には通用する。

 これとあとは、チェンジアップをどうやって組み合わせるか。

 ムービングにはあまり、頼り過ぎない方がいいだろう。


 申告敬遠がないことによって、甲子園のスタンドは大きく盛り上がる。

 なんだかんだ言いながらも、最強のパワーピッチャーと、最強のスラッガーの対決は、誰だって見たいのだ。

 その結果が負けたとしても、そもそも対決がないよりはずっといい。

 それが野球ファンと言うか、ライガースファンという存在である。

 ただ一番悩むのは、当然ながらキャッチャーの福沢である。

 基本的に武史は、キャッチャーのリード通りに投げるピッチャーなのだから。


 現在のリーグにおいて、もっともリードに優れているのが、福沢だとは言われている。

 ただ樋口のように、バッターを翻弄すると言うよりは、ピッチャーのいいところを上手く引き出すことを考えている。

 実際に武史の力を引き出せば、ほとんどのバッターには打たれない。

 だがその例外が、大介というバッターなのだ。

 と言うか、そもそもこんなバッターは、野球の歴史において空前のものなのだ。


 怪獣同士の対決であっても、意外とその結果を決めるのは、人間の知恵であったりする。

 ゴジラも当初は人間の手によって、どうにかなっていた存在であるのだ。

 ウルトラマンを倒したゼットンも、最後には人間の前に敗れた。

 そんなことを考えながら、福沢はリードをしていく。

(最悪、四球で歩かせるならまだいい) 

 どうせ外角のボール球なら、かなり打ってくるのが大介なのだ。


 初球からその外角、高めにストレートをわずかに外した。

 福沢の読み通り、大介はこのボールにスイングしてくる。

 左方向に切れるファールになる、というのが読みであった。

 実際に左方向に飛んでいくが、その方向はかなり微妙だ。

(おいおい)

 ぎりぎり回転がかかって、ポールの外に切れていく。

 しかしあと3mほどで、ホームランになっていた。


 ストレートの球速は、165km/hを表示している。

 そしてボール一つ半ほども外したのに、あんな飛ばし方をするのか。

 スラッガーにもほどがあるが、他のピッチャーでは間違いなくホームランになっていた。

 それに低めに投げていても、かえって上手く掬われてしまっていたであろう。

 低目よりも、外角ならば高めの方が、わずかに長打力が落ちるのが、大介の特徴である。

 これは本人がそもそも、あまり身長がないことと関係しているのであろう。




 二球目、今度は内角への球。

 ナックルカーブを、背中の方からバックドアで入れてくる。

 これを大介は、一歩退いて回避した。

 ぎりぎりストライクゾーンには入っていない。

(余裕で見逃したな)

 最初に大飛球ではあるが、ストライクカウントが取れたのが大きい。


 次は緩急の順番であれば、またストレートを使う場面であろうか。

 今度の福沢のリードは、高めというものである。

 ただし高めに、しっかりと外すというストレートだ。

 武史は頷く。

(これで上手く、センターフライぐらいにならないものかな)

 全力で投げたボールに、大介は反応する。

 しかしそのスイングはわずかに、直前で軌道が修正された。


 ファールボールはバックネットに突き刺さる。

 あのままではセンターフライだ、と大介が瞬時に判断したのだ。

 パワーとパワーの対決であるが、反応と反応の対決でもある。

 これは直史との対決では、ちょっと味わえないものであるのだから、野球というのは贅沢なものだ。


 ここで一球、チェンジアップを入れる。

 完全にこれは、ストレートに慣れた目に、遅さを印象付けるもの。

 ワンバンしたボールであり、大介も手を出さなかった。

 これが勝負を避けられていると感じれば、ワンバンでも打っていくのだが。


 ツーツーの並行カウントになって、あと一つはボール球を投げられる。

 ただしここからの福沢の組み立ては、ちょっと複雑なものであった。

 武史はサインに対して、首を振った。

 これは極めて珍しいことである。

 そこから三回、サインに対して首を振る。

 あの武史が拒否するような、極端なリードを福沢はしているというのか。

 そしてようやく、武史は頷いた。

 福沢にしても、これは賭けのようなリードである。


 投げられたボールは、ストレートであった。

 全力のストレートで、ホップ成分が充分にかかったもの。

 大介のバットは、そのボールと激突する。

 だがその弾道は、随分と高く上がったものになった。

 ほんのわずかに、スイングに迷いがあったのだ。


 定位置からは下がったものの、センターが充分にキャッチ出来るフライ。

 一応はこれで、ピッチャーが打ち取った形となる。

 だが武史はこの勝利は、福沢が演出したものだと分かっている。

 武史のストレートを、最大に引き出したものだ。


 あのサインは、首を振れというサインであった。

 それを何度も続けて、わずかながら大介に疑念が生まれたのだ。

 そのほんのわずかな迷いによって、スイングにも迷いが出た。

 結果としてセンターフライで、武史は勝利したわけである。


 試合のスコアはまだ、0-0のまま。

 しかしエースが、相手の主砲を抑えた。

 この効果は大きく、その裏にスターズは、先制点を取ることに成功する。

 だが最低でもあと一度。

 現実的に考えればあと二度、大介の打席が回ってくる。

 両方をホームランにすれば、2-1で逆転できる。

 そんな無茶なことを考えるのがライガースファンで、実際に成し遂げてしまうのが、大介というバッターなのであった。

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