第9話 甲子園の前に
本土に戻ってきたライガースであるが、三月も下旬は完全にホームが使えない。
甲子園が始まるからだ。
それまでには少しは使えるし、あとは大阪ドームを使うことになる。
昔に比べれば恵まれていると言われるが、それでもシーズン序盤と夏の盛りをホームで戦えないのは、やはりハンデの一つではあろう。
もっともそれを言えば、レックスなどは大学野球が優先で、プロが練習時間を削られたりもしているのだが。
大介は甲子園の中を歩くが、ここで夏には、昇馬が野球をしているのかもしれないのか。
自分たちは一年生の夏は、惜しくもここに来ることが出来なかった。
あそこで勝っていれば、どういう歴史になっていたのだろう。
もっとも直史が軽いものだが故障していたので、早々に負けていた可能性の方が高いだろうか。
むしろあそこで勇名館が活躍したことにより、黒田と吉村のプロへの道が開けた。
後のことを考えれば、あそこで白富東が勝っていると、かなり歴史が変わっていたのだなと思う。
いや、甲子園というのは、それに至る地方大会さえも、特別なものなのか。
トーナメントの一発勝負というのが、とにかく凶悪すぎる。
(でも俺らがいなかったら、勇名館は春にシードを取れたわけで)
苦境から戦ったからこそ、勇名館は強くなったのかもしれない。
因果関係は複雑だ。
ただ大学やプロの試合は、リーグ戦が多い。
もちろん大学もトーナメントの試合はあったが、あそこの時点で既に直史は、人外レベルに達していた。
二年の春までが、白富東が常識の範囲内の強さだったということだろうか。
夏に負けたのは、相手が樋口だったからというのもある。
ジンが読み負けたのだ。
甲子園にいると、色々なことを考える。
これは当然ながら、アメリカにいた時には考えなかったことだ。
あちらのスタジアムには、特に何の感傷も抱かない。
メトロズ一筋であったが、それでもライガースの方に愛着があるし、それよりはさらに高校時代の方が懐かしい。
(特別だったんだよな)
その特別な舞台に、一年生の夏に立つことが出来るなら、羨ましいと思う。
鬼塚が監督をするため、指導環境は整っている。
昇馬が投げれば千葉県であってもベスト8ぐらいの力はある。
問題は球数制限と、打線である。
(真琴ちゃんと上手く二人で分け合って……いや、上級生にどんな選手がいるか、が問題かな)
思えば北村が抜けた白富東が、よく秋季大会をあそこまで勝てたものだ。
もっとも直史と大介の力が、かなり大きかったとは思う。
直史はおそらく、次の春で大阪光陰に負けたあたりから、野球への思考をまた変えたのだ。
ピッチャーが0に抑え続ければ、負けることはないのだと。
それは確かにそうなのだが、現実的なものではない。
どれだけ現実に近づけるかを考えて、実際にかなり現実的にしてしまった。
指の怪我がなければ、決勝戦はどうなったことだろう。
いや、あの夏は、U-18があったから、あそこで終わってはいなかったわけか。
もっとも二年生で参加していたのは、三人だけであったが。
あの大会で大介は、MLBに目をつけられたという。
それが良かったのか悪かったのか。
そもそもアメリカチームに、上杉に匹敵するピッチャーがいなかったし、学生であった直史も一緒になって、WBCも圧勝したわけであるし。
(あ~、もう一回高校野球やりてえなあ)
だがあのメンバー以外とやるのは、ちょっと想像がつかない。
武史が投げて、福岡に圧勝した話は自然と耳にする。
160km/hをほとんど全て投げていくという。
今のNPBであると、これに対する対処法が分かっていないのか。
確かに大介も、必要だとは感じなかったが。
武史のスピードに対してなら、必要になってくるだろう。
(同じリーグなわけだしな)
上杉ほどの影響力はなくても、対戦すれば面白いことになるだろう。
純粋にピッチャーとして見れば、去年の上杉とどちらが強いか。
おそらく通常時の数字を計算してみれば、武史の方が上なのだ。
ただ上杉は、強さがかなり上下する。
相手が強ければ、それに響くように強くなるピッチャーであった。
もっともだいたいの実力者は、そういうものを持っている。
武史の方が例外と言った方がいいかもしれない。
開幕戦は、スターズとの試合となっている。
順当に考えれば、エースである武史を出してくるだろう。
ただ地元開幕に持っていくという手もあるだろうか。
スターズがとにかく優勝を目標とするなら、いきなりそういう手を使って、一つでも多く勝とうと意識してもおかしくない。
去年のシーズン終盤、タイタンズとの順位争いは厳しかった。
あれを今年の教訓にしているかもしれない。
勝てるところで確実に勝つ。
興行としてはエース対決などが盛り上がるだろうが、ライガースには武史と投げ合えるピッチャーはいない。
打線で援護するにしろ、どこまで大介の敬遠を許してくるか。
武史は上杉と違って、勝負を避けるのに躊躇がない。
だからこそ逆に手ごわいのだ。
大介はMLBでは、武史と同じチームにもなった。
一時的にとはいえ、直史まで同じチームになったあの年のメトロズは、おそらく史上最強のチームではなかったろうか。
そして武史を見てきて気づいたのだが、おそらくはゾーンに入ってきていない。
元々あの領域は、バッターの方にこそより有利に働く、奇妙な力なのだが。
もちろん深さがあるので、投げる瞬間に入ることなどはあるのだろう。
だが直史とは決定的に違うし、上杉とも違う。
直史はその場所の全てを把握していた。
上杉は威圧感で支配していく。
ピッチャーの持つオーラというものである。
武史と対決すると、その気配の応酬によるものをあまり感じない。
だからあっさり打てたり、あるいは封じられたりと、不思議なことが起こる。
そもそも本能的に、ピッチャーでないとさえ言えるのではないか。
あれならまだ、昇馬の方がピッチャーらしい。
プロ生活も20年を超えて、ようやく野球というものが理解出来てきた。
単純に打って走って、という競技でないのは分かっていたが、最終的には精神力の勝負になってくる。
それが圧倒的であったため、上杉はあそこまで強かったのだ。
直史も精神力は化物だが、上杉とは方向性が違う。
その違いもなんとなく、分かってきている。
つまり上杉は、どんどんと神に近づいていった。
直史はそれに対し、どんどんと人間から遠ざかっていった。
武史の場合は人間のまま、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
これは野球というスポーツにおいて、究極の技術に近づいていっているというものなのかもしれない。
もっとも立ち位置があまりにも特殊すぎて、ほとんどの人間は理解出来ないし、一流プレイヤーでもオカルト扱いしてくるかもしれない。
色々と考えはしたものの、重要なのは自分の気持ちの整理である。
去年の件は大介も引きずっていた。
最後に直史と勝負出来なかったこと。
単純に直史の肉体と精神のことを考えれば、あそこで終わっておいて良かったのだ。
直史の消耗は激しく、短いイニングを投げても普通に点を取られている。
それでも開幕までには調子を上げてくるのだろう、という逆方向の信頼感がある。
対戦する強敵に対して、こう信頼するというのはおかしな気もする。
いや、強敵というのは違うか。
仲間と一緒に削っていって、ようやく勝負になる。
一応一試合で二本ホームランを打ったこともあるが、直史の方が格上と見るべきであろう。
だからこそ挑戦するのだろう。
人は挑戦しなくなった時、成長しなくなるだけではなく、維持することすら難しくなる。
さすがにやや衰えてきたと言われた野球で、去年はむしろ成績が向上した。
MLBとNPBのレベルの差、などというものは大介にはどうでもいい。
自分を奮い立たせる存在がいれば、それだけパフォーマンスは向上するのだ。
相手が強ければ強いほど、むしろ望ましい。
そもそも打撃指標を見れば、NPBからMLBに行った時の方が、むしろ向上していたのだ。
試合数が多いのでホームランが増えるのは分かるが、いきなり四割を打って首位打者である。
ホームラン王にもなっていたので、何者だと思われたことだろう。
その後もずっと、大介は圧倒的であった。
直接は直史とほとんど対決しないが、いずれワールドシリーズに進出すれば当たる。
そう思うだけで圧倒的に、パフォーマンスが向上する。
直史が一度引退してからは、徐々に、本当に少しずつだが成績は下がる傾向にあった。
過去の記録などを見て、それを更新することを目標としたりもしたが。
やはり必要なのは、具体的な対決だ。
オープン戦の段階でも、レックスやスターズとの対戦はある。
だが直史も武史も、都合よく投げてくるとは限らない。
投げてきたとしても、ここではまだ調整。
特に直史は、オープン戦で打たれることを、全く気にしないようになったと思う。
以前は下手に打たれると、開幕から外されるという思惑もあったのかもしれない。
だが今の直史を、開幕一軍から外すことは誰にも出来ないだろう。
この日も大介は、タイタンズを相手にホームランを二本打っておいた。
残りの二打席は、強烈な内野ゴロである。
一本はエラーを誘発したが、大介の打球でも、プロはしっかりと捕っていく。
もっとも下手をすれば、去年のカップスのように、故障者を出してしまうのだろうが。
オープン戦で重要なのは調整であるが、それ以上に怪我をしないことだ。
シーズン戦ならまだしも、意味のない怪我である。
ただそう思っていても、プロのプレイの負荷では、実際に故障してしまうこともある。
そういってことも経験として、徐々に強くなっていくのだ。
そのあたり直史は、完全に調整のプロになっていると言ってもいいのかもしれない。
スコアを見ていれば分かるのだ。
たとえ点を取られても、その内容は1イニングに一失点まで。
またエラーなどが絡んでいたりする。
自責点での失点は、圧倒的に少ない。
そのあたりは去年の、自分のピッチングに対する反省があるのだろう。
大介は直史に比べると、視野が狭い。
そうは言っても試合の流れなどは、しっかりと把握している。
直感的なだけに、直史をも上回る時もある。
だが直史の場合は、その視野は試合の外にまで及んでいく。
チーム全体を鍛えてこそ、自分も楽になって投げることが出来る。
最終的には、試合の勝利を目指すのだ。
バッター相手の対決で、あえて勝敗にこだわることはあまりない。
去年は例外的な一年であったのだ。
ライガースはこのオフ、かなり鍛えてきている若手が多い。
なにしろ日本シリーズは、最初に一気に負けてしまい、大介がどうにか点を取っても、追いつけないものであったからだ。
直史のかけた呪いからの脱却。
一軍の中にはそう考えている者もいるだろうが、本格的に折れて未だに立ち直れず、二軍に混じっている選手もいたりする。
あのパーフェクト三連発は、あまりにもひどい体験であった。
ネットなどでは直史は既に神様扱いされていたりする。
まあ、それは大介自身や上杉のこともなのだが。
神様でもランクがあるのが日本であり、直史の場合は現役期間が短いため、かえって希少性が上がっているらしい。
そんな存在であることを、直史は求めないであろう。
だから大介が、どうにか打っていかなければいけない。
ライガースの打線は本来であれば、リーグ最強のものなのだ。
オープン戦も進んできて、ようやく調子を取り戻しつつある。
(シーズンを通じて考えるなら、どういうことになるかな)
MPBのクライマックスシリーズは、レギュラーシーズンの優勝が重要視されるので、アドバンテージがある。
去年はアドバンテージがあったからこそ、レックスに勝てたのだ。
今年もそこは重要である。
レギュラーシーズンの優勝もための戦略を、あまり大介は立てることがない。
そういったものは首脳陣の考えることだからだ。
だから将来的に引退しても、プロ相手の勝つ野球をコーチなどとして教えるつもりはない。
そもそも大介の領域に、入ってこれるバッターがいないのだ。
ピッチャーではまだしも、直史に匹敵するとは言わないが、同じ領域に入ってこれる選手がいた。
だが大介の力は、完全に突出している。
もしも大介がプロにアドバイスするとすれば、精神論的な話になるだろう。
もっとも今でも、不調になりかけた選手を見ては、どこがおかしいのか指摘したりはしているが。
永遠の野球小僧であることが、大介の本質である。
別にプロである必要などはない。
もちろん年中野球をやっていたことは、面白かった。
だが本当の意味で年中野球をやっているのは、むしろアマチュアなのだ。
オフシーズンがプロにはある。
高校野球にも練習試合禁止期間はあるが、練習自体は年中やっている。
これはアメリカであったりする、オフシーズンは他のスポーツをやっていたりする。
実際に昇馬は、四大スポーツの中ではバスケットボールもしたし、アメフトもわずかに経験した。
あとはアウトドアなキャンプを楽しんでいる。
オフにはあまり野球をやらないという昇馬を、日本のアマチュア野球は許容しないであろう。
だからこそ鬼塚あたりに、因果を含めて預けるわけだ。
大学に進学するのならあるいは、アメリカの大学の方がいいかもしれない。
直史や樋口のように、完全にゴーイングマイウェイなのが昇馬である。
ただ我儘というのではなく、優先順位を自分の価値観ではっきりさせている。
甲子園でのオープン戦が終わる。
ライガースは国外のリーグのチームとの、練習試合も入れたりしていた。
さすがにアメリカではなく、韓国と台湾のチームであるが。
このあたりまではまだ、甲子園が使えるのだ。
(シロちゃんのバッティングは見てたけど……)
プロ入り数年目の織田を思わせた。ただパワーだけはやや少なめだったが。
昇馬との対決というのを、甲子園で見てみたいものだ。
普通ならこの年齢であれば、引退してテレビをつけているであろうに。
やれるまでずっとやり続ける。
大介のプロ野球に対する姿勢はそれだ。
ただNPBを引退して、さらに独立リーグや、比較的レベルが低いと言われる海外リーグに行こうとは思わない。
行くとしたら、ノンプロにでも席を用意してもらうとか。
そのあたりは充分にレベルが高い。
あるいはいっそのこと、自分でクラブチームを作ってしまうか。
大介の資産を思えば、それは出来なくもない。
社会人野球はさすがに、本体となる企業を作るのに時間も手間もかかりすぎる。
だがクラブチーム、しかもそれを買収するなら可能ではないか。
買収まではしなくても、普通に声を出せるだけの影響力を持っているぐらいでもいい。
年を取った。
引退後のことを、こんなに考えるようになったのだ。
だが弱気になったとかではなく、下の世代の成長を見ていると、自分のステージが変わるだろうなとは普通に思う。
大介はあぶさんにはなれない。
それよりはよほど手前で、引退することになるだろう。
そしたら子供たちに、昔話をしてやってもいい。
おっさんは話が長くなるものなのだ。
帝都一はセンバツに出る。それどころか優勝候補とさえ言われている。
そしてその大会期間中、スターズは関西にやってくる。大阪ドームで開幕戦が行われるのだ。
武史のことであるから、間違いなく息子の試合を見に来るだろう。
娘たちに比べると関心がないように思えるが、それは程度問題である。
あとは司朗が、元からあまり心配のいらない性格であるというのも大きい。
監督室に呼ばれた司朗は、別に注意を受けるというわけでもない。
ジンのことは子供の頃から知っているので、ちょくちょく他の選手がいないところで話すのだ。
これを、監督からプレッシャーをかけられている、あるいは逆に贔屓されているという目もあるが、司朗の残している結果は凄まじい。
一年生で帝都一の四番を打ち、甲子園で優勝してしまった。
もちろん司朗一人の力、というわけでもないが。
「タケのやつは見にくるのかな?」
「見に行くとは言ってますけど、ちょっと見るだけだと思います」
恵美理は普通に、保護者として応援するだろうが。
ただ妊娠中であるので、体調には気をつけてほしい。
「過去に白富東も、大阪光陰も出来ていない、唯一の記録がある」
実際にはそんな記録、細かいところまで含めれば色々とあるのだが。
「甲子園五連覇だ」
「そりゃないですよ」
「タケの世代は四連覇まではいった」
その通りではある。
一年目の夏は、決勝で春日山に負けた。
大逆転勝利である。あれはドラマチックすぎて、負けてもあまり悔しくない自分に、ちょっと怒ったジンである。
あそこから白富東は、四連覇しているのである。
相手も強いチームが多く、全てが圧勝などというものではない。
「ピッチャーも枚数が揃ってるし、お前がいる間に全部勝てないかな?」
無茶を言う。
バッターとしての才能というか、実力。
おおよそ大介の方が、同年齢の時の司朗より優れている。
だが司朗は、一年の夏で全国制覇を果たした。
チーム力が圧倒的に違うということもある。
一年の夏の直史や岩崎では、春日山や大阪光陰の打線を止められたとも思えない。
だが大介だけは、上杉以外には勝てたのではと思っている。
ピッチャーは、上杉一人が突出していた年代より、その一つ下の方が厚みはずっと上であった。
たださらにその下が直史の世代であり、次が武史と真田の世代であったりする。
この三年間か、もう一つ落とした四年ぐらいが、黄金時代と言ってもいいのではないか。
ただその下にも、怪物レベルの選手は出ている。
本当の強さというのは、プロにならなければ分からないのか。
トーナメントは偶然性が高い野球というスポーツでは、本来はあまり適した仕組みではない。
ただ本質としては、強いチームが勝つ以外の部分にあるので、トーナメントであるのだろう。
プロになれば年間143試合で、はっきりと結果が出てくる。
それでも大介レベルであれば、トーナメントの中から傾向が見える。
司朗もそうだ。トーナメントで強い。
試合の流れを考えて、じぶんの成績を上手くコントロールしている。
正直なところ、ミート力だけであるなら、大介に匹敵するのではと思うことがある。
ただ長打はまだまだ少ない。
あるいは必要としていないのでは、という部分もあるが。
昇馬には、大介と違って相手を油断させる要素が一つ欠けている。
最強のバッターの条件とは何か。
10割打って、全てがホームラン。これなら最強と思うかもしれない。
だが少しでも野球が分かっていれば、これは最強ではあるが、最高ではないなとすぐに気づく。
大介も最強であり最高であるが、その部分は欠けている。
最高の部分が、やや足りていないのだ。
それは、打つべき時に打つということ。
10割ホームランを打つバッターなど、敬遠されて終わりである。
大介が最高に近いのは、走力があるので敬遠もしづらいからだ。
司朗も走力は高いが、それよりはむしろ長打力が発展途上なところが、かえって勝負をさせやすくしている。
アマチュア野球は、美しく勝負すべきという風潮はあるのだから。
ちなみにこれはアメリカのアマチュアでも似ている。
司朗はフォアボール出塁が多く、そしてダブルプレイに打ち取られることが少ない。
状況によってはあえて内野ゴロを打っていくこともある。
そして打ってほしいところで打つのだ。
得点圏の打率や、決勝打を打つ場面での打率が極端に高い。
それでも勝負して、司朗に勝つピッチャーがいないわけではない。
高校野球では敬遠をしまくると、とてもひどいめに遭うことが多いのだ。
どんな優れたバッターでも、勝負されなければ終わり。
今ならばジンは、もし相手に大介がいたら、ホームランを打たれてもいい場面でしか勝負しない、という選択を取るだろう。
去年のレックスはそれが出来なかったが、プロ野球というのは興行でもあるので、そのあたりは微妙だ。
だがあそこはさすがに、勝敗のために勝負を避けるところであったろう。
結果論でしかないが、一点取られなければ、レックスは勝っていたのだから。
真琴の合格が発表されて、直史一家は一度、田舎の実家を訪れていた。
間もなく甲子園が始まり、そしてそのすぐ後にプロ野球のレギュラーシーズンも始まる。
だが直史もこの日は戻ってきて、祝福していた。
めいいっぱいの祝福を君に、というわけで図書カード一万円分ならぬ、電子マネー一万円分をプレゼントである。
これでいよいよ、直史と大介の子が、白富東に揃うことになる。
もっとも真琴は、女子の体重別であれば、ほとんど日本最強であろうが、男子の中に混じればパワーで圧倒される。
そこをどうにかするための、サウスポーのサイドスローであるのだが。
現在の白富東は、たとえば秋の大会は、県大会の本戦にまで勝ち進んでいる。
初戦敗退の弱小校ではない、という意味である。
ピッチャーとキャッチャーが、最低限は揃っている。
そこにカリスマを持つ指導者が入っていく。
ほとんど鬼塚の実績からしたら、ボランティアのようなものであるらしい。
だが野球によって生きてきたと思う鬼塚には、それを社会に還元するという意識があるのだ。
やりがい搾取ではない、と思いたい。
直史はキャンプ期間であるが、一日だけ家に帰る。
土日の連休が取れないというあたり、プロ野球選手というのは因果な商売だ。
もっとも先発ローテに入っていると、かなりの自由が利いたりする。
そこで遊んでいたりすると、あっという間に転落していくのだろうが。
まだ直史の調整は終わっていない。おそらく開幕までには終わらないであろう。
それでもまず、開幕戦は任されるのだろうが。
真琴の進学が確定して、ほっと一息の佐藤家である。
娘は嫁に出る、というのが田舎の当たり前の価値観であるが、果たしてそれはどうなるものか。
もっとも子供の頃の男勝りっぷりに比べれば、今はまだしも女らしくなった。
白球を追いかける球児というあたり、やはり例外に入るのかもしれないが。
最近はさすがに、祖母も昔ほど体が動かないと言っている。
だがそれでも、毎日畑を見に行くのだ。
農作業で鍛えられた肉体は、結局寿命を長くするのかもしれない。
直史としては今年こそ、と周囲から期待される。
だが今の実家には大介一家がいるので、完全に直史の応援だけというわけでもない。
男系社会が基本の田舎だが、それでも婿取りなどがないわけではない。
そもそも大介の方が、実父はほとんど没交渉で、実母は再婚済みという状況がある。
おそらく将来的には、このあたりに大きな家でも建てるのではないか。
もっと都市部にいてもいいのだが、大介と昇馬がこのあたりを気に入っている。
ただこのあたりも当然のように、少子化がさらに進んでいるそうだ。
直史自身はそうでもないが、司法修習の同期などから、色々と問題は聞いている。
政府の法整備が遅いのだ、などと管を巻いていたこともあった。
直史自身はアメリカ西海岸を経験しているので、日本語を使う日本に、移民をつれてくるのはかなりの無理があるな、などと思っていたりする。
海外からのものを受け入れて強くなった、というのは確かに日本の歴史はある。
だがそれは大陸や欧米の、最先端のものを取り入れてきたからだ。
歴史好きの直史は、そのあたりにも価値観に偏りがある。
弁護士ではあるが、法治国家と日本を盲信しない。
瑞希と子供たちは数日だけ、実家にいる。
だが間もなく、高校の野球部の活動に合流する。
その前にセンバツが開始されるが。
この大会は夏の覇者帝都一が、どういう試合をしていくか、ということが話題の中心になるだろう。
久しぶりに現れた、スマートなタイプのスーパースター。
個人情報がしっかり守られているのは、もしそれが洩れたら誰が報復の法的措置を取るか、関係者が分かっているからだ。
直史としては、司朗の試合がかなり気になる。
確かに正月、全く回復していない状態で、散々に打たれた。
ただ出力の手抜きはしていても、組み立てはかなり考えていたのだ。
昇馬もたいがい怪物であるが、年上の司朗の方がむしろ、成長の伸び代があるようにも思える。
そのあたりは指導者次第であろうが。
母親の恵美理は、かなり直感的な人間である。
主力を抜いていたとはいえ、あのバッテリーは最強時代の白富東を封じたのだ。
芸術家であり、しかしながら浮世離れしているわけでもない。
父親の武史由来の、身体のバネとも言える瞬発力。
それと恵美理のあの、よく分からない直観力を、どうやら併せ持っている。
昇馬のようなタイプとは、あまり相性は良くないだろうが。
直史は娘のいるチームを応援する。
それは自分の母校でもあるから、当然のことだ。
しかしながら春は、まだ白富東を応援する必要もない。
今度の甲子園で、果たしてどういう記録を残すのか。
もっともバッターの成績は、一年の夏に甲子園に行っていない大介を、誰も抜けないとは思うのだが。
(子供たちの世代か……)
楽しみであるのは間違いないが、自分たちのような無茶をするようであれば、とめなければいけない。
そのあたりの自覚はちゃんと、備えている直史である。
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