第8話 パワーピッチャー

 直史からすると、昇馬が目指すべきは武史のようなスタイルである。

 あのピッチングスタイルに、昇馬のメンタルが加われば、かなり上杉に近くなる。

 ただ正月に対決した司朗のことも、思い出さずにはいられない。

 もちろん直史は、あの時点ではまだまだ回復しきれていなかった。

 ゾーンにも入っていなかったので、それは打たれても当たり前だ。

 しかし配球自体はそこそこ考えたのだ。


 帝都一でジンに鍛えられて、一年生の夏から四番を打っている。

(でもジンが四番に置いてたのか)

 MLBでは二番最強論などがあるが、一時は三番最強論などもあった。

 現在では三番よりも四番重視となっているが、これもまたデータの蓄積で変わっていくかもしれない。

 そもそも大介は、日本にいる間は高校でもプロでも、ほぼほぼ三番を打っていたのだ。

 MLBに行ってからは、二番が一番多くて次が一番。

 三番を打ったこともある。


 これが国際大会になると、また三番が多かったりする。

 司朗は足もあるので、守備ではセンターを守るようになった。

 確かに体格的にも、内野の二遊間はやや厳しいか。

 司朗が明確に大介に劣る部分は体重だ。

 もちろんそれは筋肉の量が増えることも意味するが、同時に負荷が大きくなることも分かっている。

 人体の必然と言える。


 体重が重くなればなるほど、その足も太くならなければいけない。

 なぜなら体格は、高身長であればあるほど、それだけ筋肉をつけることが出来る。

 体重の重い選手に怪我が多いのは、このあたりに理由がある。

 腱や靭帯は筋肉のように、都合よく鍛えることは出来ないのだ。

 トミージョンが増える理由でもある。




 そんなパワーピッチャーの代表例が、今はスターズに所属となった武史である。

 全盛期は170km/hを投げたというその左腕も、今では169km/hが年に一度出るかどうか。

 それでも試合の際どいところで165km/h以上を安定して出すので、やはり怪物ではある。

 どうしてこれで去年は、七試合も負けがついているのか。

 MLBには速球に強いバッターが多い、と言うのは確かな事実ではある。

 それでもこのスピードを打つことが出来るというのか。


 オープン戦やブルペンでの投球を見ていても、今年が40歳のシーズンとは信じられない。

 だがMLB屈指の奪三振投手であったランディ・ジョンソンも40歳を過ぎてなお、まだまだ三振を奪っていた。

 時々長打を打たれるが、それよりはずっと外野フライの方が多い。

 ちょっと力を入れて投げれば、167km/hぐらいは出てしまうのだ。

 スターズの怪物投手伝説は、まだ終わらない。


 そんな武史は、沖縄から本土に戻ってきてご機嫌である。

 調子に乗って、また球速が上がる。

 怪物っぷりを見せ付けるが、本人は謙虚なものだ。

「兄貴に比べれば俺は平凡よ?」

 いや……その……なんだ、確かにそれはそうかもしれない。

 170km/h近い球速よりも、ほとんど毎試合ノーヒットノーランクラスというピッチャーなら、後者の方が珍しいのであろう。


 キャンプのホテル暮らしも気楽なものではあったが、やはり家族と暮らすのはいい。

 アメリカではペットでも飼おうかと思ったこともあるが、遠征続きの自分に任せられるものではないと思って諦めていた。

 こちらにはペット以上に大切な子供たちがいる。

 そして今年のうちには、また一人増えるのだ。




 武史はメンタルがそのまま、ピッチングに反映されるピッチャーである。

 ならばそのメンタルを崩せばいいのかというと、そういうわけでもない。

 そもそも打たれて点を取られても、メンタルが崩れないのだ。

 粘っていくにしろ、それも限界がある。

 160km/hオーバーのストレートだけではなく、140km/hほどで大きく落ちるチェンジアップに、ナックルカーブまでもがあるのだ。


 今年の開幕戦は、大阪ドームでライガースが相手となる。

 いきなり大介との対戦で、武史としてはそれは避けたい相手であった。

 だが彼我の戦力差を、首脳陣にはっきりと知っておいてもらう必要はある。

 オープン戦ではまだ武史の調整が完璧ではないため、対戦の機会がなかった。

「勝負をしたらどうなるのか理解してもらうため、この試合では逃げませんよ?」

 最初に武史は言っておく。

 自分では大介を抑えるのは難しいと分かっているのだ。


 ピッチャーなどと言うのはプロ野球の中でも、かなりプライドが高く我が強い。

 しかし武史にはそういった点がなく、スターズ首脳陣を不思議にさせる。

 本質的にはピッチャーではあってもエースではなく、スポーツ選手ではあっても野球選手ではないところがある。

 休みの日にはNBAを見に行っている姿が、よく目撃されていたものだ。


 大介とまともに対戦したらどうなるか。

 それをよく知っておくべきなのは、自分ではなく他のピッチャーだ。

 結局去年は、ライガースとポストシーズンでは当たらなかった。

 だがもしも当たったとしたら、どうすればよかったのか。

 その回答を出すのがこのタイミングなのだ。




 開幕はまだ先とはいえ、既に武史の仕上がりは上々と言えるだろう。

 それでも本人曰く、まだまだであるらしい。

 そもそもMLBとNPBでは、キャンプでの仕上げ方が違う。

 また武史は試合中も含めて、肩が出来るのに時間がかかるタイプなのだ。

 逆にしっかり肩を作っているので、大きな故障がなかったとも言える。

 そのあたりは燃え尽きていった上杉とは、正反対の精神性を持っていると言えるだろう。

 エースではあるが、チームを支える存在ではない。


 MLBに長くいた武史は、だいたいあちらの流儀に染まっている。

 本質的に日本の野球選手ではない武史は、むしろMLBの方がやりやすかった。

 30登板して28勝したシーズンというのが、全盛期と言える。

 もっともサイ・ヤング賞がリーグごとに決まっているものでなかったら、この年は取れなかっただろう。

 直史がトレード直前まで、ア・リーグで25勝して無敗の後、30セーブもしていたからだ。

 むしろ日本の沢村賞の方が、両リーグを通じて一人なので、珍しいものだ。


 武史は上杉や直史と違い、クローザーの適性はない。

 昔から立ち上がりが微妙で、そこに球数を使うことが多かった。

 だが全力で100球を投げても、150球ぐらいまでは球威が落ちない。

 つまり序盤でどう、肩を作りながら投げるか、というのが重要な配球となるわけだ。


 50球も投げてようやく本調子、などというのはキャッチャーの立場からしたら頭が痛い。

 どうやら肩もだが、むしろメンタルがようやく、試合に合っていくというものであるらしい。

 なるほど確かに、リリーフには使いづらいピッチャーだ。

 生涯先発宣言。

 そんなことを言っているわけではないが、ローテーションを完全に回していく以外の使いようがない。




 オープン戦で一度、どの程度のことが出来るか、と試してみた。

 三月も半ばとなり、相手は昨年の日本シリーズでライガースを破った福岡。

 今年も選手層の厚さは、日本一と言われている。

 これは地理的な要因もあるのだ。

 日本で一番西、九州唯一の球団。

 それは国内の移動には不利かもしれないが、野球強国である韓国や台湾は、九州から近い。


 二軍や三軍を遠征させたり、逆に招待したりと、そうやって経験を積ませる。 

 もちろん親会社の、潤沢な資金があってこそ有効なのだが。

 だから育成枠でもたくさんの選手を取って、玉石混淆の中から選び出す。

 かけてる手間の割には、あまり効率がいいとは言えないとも言われる。

 だが裾野が広ければ、頂点も高くなりやすいのだ。


 福岡ドームにて、アウェイでの試合となる。

 スターズは上杉を失ったが、その残した意思はまだしっかりと受け継がれている。

 これが失われた時こそ、真に上杉が過去の存在となるのだろう。

 一回の表から先制し、リードをもらって武史は投げることが出来る。

「さてと」

 それなりに肩を作ったが、ベンチから出て来た武史は、まだ左肩をぐるぐると回していた。


 上杉が去った今、日本人最速。

 そして外国人投手を含めても、日本最速。

 それがどの程度のスピードを出してくるのか。

 福岡も今年の、日本シリーズで当たる可能性が、それなりに高い相手と認識している。

 最初から本気で、ストレートを叩いていくつもりだ。

 だが見るからに、速いのは間違いない。




 NPBのレベルは上がった、と言われている。

 特にセのバッターが強くなったのは、上杉を想定してバッターは覚悟するようになったからだ。

 そしてバッターが強くなれば、自然とピッチャーも強くなる。

 遠い海の彼方に、MLBが見えていると思えばなおさらだ。

 なんだかんだ言いながら、日本人が一番、大金を稼げるスポーツであるだろう。


 直史や大介クラスと、武史はほぼ変わらない。

 そもそもサイ・ヤング賞を八年連続で取っていたのだ。

 最高で直史と同じぐらいの年俸にはなった。

 直史が安かったのだ、という言い方も出来るかもしれないが。なにせたったの五年間のMLB生活である。

 なのでもう、一生遊んで暮らせるぐらいの金は持っている。

 ただそれをどう使うか、武史は分かっていない。


 そのあたり基本、松涛の家に住むお嬢様である恵美理は分かっている。

 正直なところ武史の人生全体で言えば、恵美理と結婚したことが、一番の優れた選択であったと言えるだろう。

 ここしばらくは単身赴任であったが、ようやく日本に帰ってこれた。

 そしてこうやって、日本の空気の中で投げている。

(落ち着くな~)

 久しぶりの日本であるのに、武史には全く違和感というものはない。

 彼もまた、日本人であるのだ。


 その初球を、さすがに打とうとは思っていない福岡の先頭バッター。

 承知の上なので、キャッチャーの福沢もサインを出す。

 ど真ん中へのストレート。

 唸りを上げてボールは、キャッチャーミットに吸い込まれる。

 軌道の途中からは、プロのバッターにさえ消えて見えた。

 そして球速表示は、いきなり168km/hとなっている。

 現役の日本人選手の最速を、いきなり更新してしまった。

 本人はあまり気にしていなかったが。




 この福岡での三連戦のオープン戦が終われば、またしばらくは本拠地から移動できる範囲で試合が行われる。

 また今日はそれなりの球数を投げて、出力を確認することも目的としている。

 果たしてどれだけのスピードが出るかというのは、既に今確認出来たという気もする。

 だが重要なのは、試合を通じてどういうピッチングになるかということだ。


 武史は大卒でプロ入りしたにもかかわらず、既に300勝を達成している。

 あと三年もこの調子を維持すれば、三人目の400勝投手になるかもしれない。

 本人はあまり気にしていなくても、こんな大記録は周囲が放っておかない。

 さすがに上杉の出した新記録を、更新することは出来ないであろうが。

 MLBでの試合でも、武史の勝率はかなり高かった。

 もっとも勝ち星や勝率では、もう評価しないのがMLBのシステムである。

 それよりはまだしも、奪三振数の方が、サイ・ヤング賞の選出の条件としては重要なものとなっている。


 スロースターターでイニングイーター。

 こんな武史であるから、MLBでも相当に完投の数は多かった。

 完投の数であれば、上杉を上回る可能性がある。

 なにせ上杉は、肩を故障して以降は、かなり完投数は減ったからだ。

 もっともリーグで一位の完投数でありながら、減ったというのが正しいあたり、やはり上杉はおかしかった。


 ムービング系も合わせて160km/hオーバーが続く。

 かろうじて当てることは出来ても、カットというわけではない。

 ツーストライクになってしまうと、ホップ成分の高いストレートで、簡単に空振りを取られてしまう。

 初回は三振二つと内野フライ一つであっけなく終了。

 九球しか必要としていない。




 あるいは上杉以上では、と言われることもある武史。

 ただ上杉は高校生の時点で勤続疲労があったとも言われているし、またプロでも酷使がすごかった。

 故障する前の上杉も、確かに武史に沢村賞を取られたことがあったが、サイ・ヤング賞と違う沢村賞は、表面的な実績を重視する。

 リードする捕手の性能差なども、大きかったであろう。

 武史と上杉を比較すると、人間力も含めて上杉に軍配が上がる。


 ただそういった比較は、蟻たちが巨象の対決を見て、微妙な実力差を比べるようなものだ。

 MLBで長期間活躍したというのを評価基準とすれば、武史が上であってもさほどは不思議ではない。

 とりあえず今は、間違いなく武史しかいないのだ。

 福岡も自チームに、160km/hオーバーのピッチャーを持っている。

 だがストレートの165km/hオーバーや、160km/hオーバーのムービングというのは、MLBにさえほとんどいない。


 試合の中でも、特にシーズン戦が近づいていくと、どの選手も肉体と共に感覚も仕上がっていく。

 すると武史の強さが、なんとなくちゃんと分かってくるのだ。

 キャンプの間などでは、むしろ気配が薄かった。

 今もスーパーエースクラスの気配は感じないのだが、気配ではなく単純なパワーではっきりと分かる。

 なるほど、やはり化物以外の何者でもない。


 こんな化物が二人も同じ親から生まれたというのは、ちょっと研究するべきではなかろうか。

 もっとも下の双子もたいがい化物で、さらに遺伝子の不思議さを感じるものだ。

 肉体や頭脳などの平均値を比較すると、一番おかしな結果を残している、直史が一番普通であるというのが不思議だ。

 普通とは。(哲学




 無理のない範囲で、どこまで投げられるのか。

 かつての武史の圧倒的なピッチングを知っている者がいても、今年で40歳のシーズン。

 特に武史は四月生まれであるのだ。

 ただ毎回三振を奪っていって、むしろイニングが進むごとにピッチングは圧倒的になっていく。

 球質としては、上杉のような斧に比べると、鉈のようにやや切りやすくなっているのか。

 キャッチャーの福沢としては、明らかにブルペンよりもボールの力は上がっていると感じる。


 本番に強いタイプ、というのとは違う。

 試合の雰囲気に、最初は適応しきれていないのだ。

 だから試合の前に肩を作るのは、あまり意味がないとも言える。

 もちろん最低限、暖めておく必要はあるのだろうが。

 七回を投げても、まだ100球に届かない。

 ヒットは運の悪いものが二本ほど打たれているが、失点には至らない。


 直史や上杉と同じ、また真田も入るであろうが、この年代のスーパーピッチャーたちの特徴と言うのは、フォアボールが少ないことだ。

 直史は別格にしても、武史も狙ったところに、ほぼ完全に投げることが出来る。

 アウトローへのストレートに、インハイのストレート。

 このホップ成分がえげつないのだ。

 肩の駆動域は、直史にも匹敵する。

 元々は武史の方が、そういった部分では優れていたのだ。


 結局九回まで投げ抜いてしまった。

 被安打二本の、失策一つ。

 17奪三振であるが、試合の中盤には三者連続三振もあった。

 相手は中軸であったのに。

 武史としては、球数が100球ちょいであったのがよかったな、という感想である。




 去年の上杉は、最後の輝きでもってセ・リーグにおいて二番目のピッチャーであった。

 直史と投げ合った試合は、レギュラーシーズンでは一試合だけ。

 その時は直史が途中で降板したので、直史自身は負け投手になっていないが、試合には勝つことが出来た。

 ただその前の二年間は、さすがに衰えを感じさせるものであった。

 しかし武史は、まだ全盛期である気がする。

 確かに勝ち負けだけを見れば、14勝7敗で奪三振王を取ってはいるのだが。


 あまりにも獲得が続いたため、逆張りで票が入りにくくなったというのもあるだろうか。

 あるいは武史がアジア系だからだ、というなんでもかんでも人種差別に結びつける勢力もあったりした。

 確かに疑惑の選考ではあったが、その前の年と比べると、確かにパフォーマンスは落ちていたのだ。

 それは単純に、大介たちもMLBを去ってしまったことで、武史が寂しくなったという、メンタル的な問題が大きい。


 カウンセラーにでも相談した方がよかったのかもしれないが、解決法は簡単であったのだ。

 日本に戻れば、それで問題なくなる。

 メンタルの問題というのは、そういうものだ。

「明らかにブルペンより速くないですか?」

 そう言ってきたのは、去年直史からホームランを打った末永だ。

 バッピをしてもらった時は、武史からもそれなりに打てたのだが。

「練習と練習試合は違うしな」

 武史の考えである。


 段階的に状態を上げていって、シーズンが始まるまでに仕上がればいい。

 武史としてはもうすぐ、これが20年になる。

 ただセ・リーグにいる限り奪三振以外のタイトルは、とても取れないだろうなとも思ってしまうが。

 自分の役割ということを、武史は考えていない。

 直史と違って、勝手な期待に応えるつもりはないのだ。

 純粋に力だけの存在であろう。




 去年の優勝チームの強力打線を、完全に封じてしまった武史。

 もしも去年、日本シリーズに進んだのがレックスであったら、などと福岡は考えたりする。

 もっともそれは過去のことで、問題は今年だ。

 千葉が力をつけてきていて、神戸もかなり侮れない。

 埼玉は完全に再建中だが、チームと言うよりは球団規模での問題らしい。

 シーズン前にはなんとでも言えるが、今のパはそういう状態である。


 圧倒的にセ・リーグ優勢と言われている。

 上杉以来日本シリーズなどはおおよそセが優勢であったが、この数年はその影響力も衰えてきていた。

 それが、怪物が二人もセのチームに復帰したのである。

 もっとも去年はその潰しあいで、パが漁夫の利を得たとも言えそうだが。

 今年もまたセは三つ巴になるのではないか。


 福岡との試合が終われば、スターズは一度関東に戻ってくる。

 ここから数試合は、ホームでの試合があるのだ。

 武史は少し休みながら、調整を続けている。

 やはり家に帰ると、家族が待っていてくれるというのは、とてもありがたいものである。

 ご機嫌な日々が帰ってきたのだ。


 そんな武史を見ていて、次のエースと目されていた兵頭という先発が声をかけてくる。

「タケさん、すごく調子がよさそうですね」

 上杉とはスタイルが似ているように見えて、実はまったく違う武史。

 その気さくさから、普通に話が成立している。

 もっとも上杉もであったが、このあたりのレジェンドには偉ぶったところがない。

 プライドが高い選手は、もちろんいたが。




 武史は気さくと言うよりは、ほとんど軽薄である。

 もっとも犯罪につながるような、そういう軽薄さではないが。

 もう一生遊んで暮らせるような、そんな年俸を稼いだわけだ。

 ならば次は何をするのか、とむしろこれから稼いでいく選手などは思うわけだが。

「兵頭は結婚してるのか?」

「いえ、まだ独身ですけど」

「じゃあ分からないかな。これ、うちの奥さん」

 そうやってスマートフォンを見せ付けるのだ。


 かつて恵美理は、年齢の割には大人びていると言われていた。

 今では逆に、若く見えると言われている。

「……美人ですね」

「高校時代は上杉さんの奥さんと組んで、最強美少女バッテリー組んでたからな」

「えっ」

「日本女子野球の歴史、義姉が書いてたし、その中に記述あるぞ」

 実はそんなところにまで、手を伸ばしている瑞希である。

 実際のところ、この分野は女性が手を出さないと、呆気なく消えていきそうなものなのだ。


 嫁が美人で優しいというだけで、既に勝利である。

「子供さんは、女の子ばっかりなんですか?」

「長男だけ、ここに写ってないんだよな。写真嫌いだし」

 実際はもうちょっと考えているのが司朗であるのだが、武史は雑な理解をしていた。

「それに、今年また一人増えるんだ」

「えっ」

「家族はいいぞ。MLBは後半単身赴任だったから、死ぬほど寂しかった」

「はあ……」

 そうとしか言えないであろう。

 ただ武史としても、ちゃんと自分を分析してはいるのだ。


 誰かのために投げると強い。

 応援がそのまま力になる。

 武史は本来、自分が強烈に勝ちたいと考えている人間ではないのだ。

 そもそもすぐに結婚してプロの寮も出ているので、野球においての団結力などはあまり信じない。

 そういうのは高校野球までにしておけ、という立場である。




 嫁自慢は散々にする武史であるが、息子が可愛くないわけもない。

 そもそもキャッチボールは教えているのだから。

 火おこしと釣りは教えていない。アメリカなら育児放棄で訴えられるかもしれない。

 甲子園大会期間中に、大阪を訪れる日程になっている。

 上手く日程の都合がつけば、見に行こうと思っているのだ。

 去年の夏は、本当に画面の向こうで見ているだけで、甲子園を優勝してしまった。


 おかげでオフシーズンには司朗相手に投げてしまった。

 さすがに巧打の司朗であっても、ほぼ武史のスピードには敗北している。

 このまま高卒でプロ入りすれば、あるいは親子対決が実現する可能性が高い。

 大介は自分より一歳年上で、昇馬は司朗より一歳年下であるのだ。

 そしてバッターは、目が衰えると一気に戦力外になる。

 大介はちょっと例外のような気もするが。


 センバツ期間中、ライガースは甲子園を追われる。

 おそらく開幕戦を、武史は任されるだろう。

 その前後の日に、甲子園の試合で司朗の出る試合がある可能性は高い。

 そしたら有給を使って見に行こう、などと武史は考えている。

 アメリカナイズされた彼は、妻子のための行事に出席するため、休みをもらう権利を契約書に書いている。

 本当に、武史らしいところである。


 去年までアメリカにいた武史は、大介よりもさらに日本の野球には詳しくない。

 それでも司朗から、あれこれと質問は受けていた。

 プロアマ協定? 何それ? というものである。

 もっとも技術的なことは、ほとんど他人から聞いたのが武史であるが。

 高校時代からずっと、信用できると思った人間を決めて、あとはその人物の言葉を完全に信用する。

 もちろん勘違いなどは起こるが、それで高校から大学、プロと間違っていないのが武史なのである。




 沖縄でのオープン戦などでも、もちろん武史は投げていた。

 ただフルイニング投げたのは、この日が初めてである。

 あまり当たらないパ・リーグの去年の覇者。

 それに対してどういうピッチングをするのか、というのが首脳陣の意図であったのだ。

 そして出た結果は、凄まじいものである。

 さらにキャッチャーの福沢からは、まだ底を見せていない、という印象を受けたという報告を受けている。


 この上杉から始まる数年間に、とんでもない才能が集中していた。

 その中で実績だけを言うならば、積み上げた数では大介がナンバーワンであろう。

 しかし本来の素質ということであれば、武史こそが一番だったのではないか。

 大卒投手が簡単に300勝に到達したのだ。

 しかも多くをMLBでのシーズンにおいてだ。

 このシーズンで40歳になるのに、軽く160km/hオーバーで投げてくる。


 ただ武史の才能の本質はそこではない。

 全くというわけではないが、故障が少ない。

 特に深刻な故障と言えるものが、一つもないのだ。

 これは常に、余裕をもって投げているからではないか。

 そして150球を投げてようやく、球威が衰えてくるという体力。


 メンタル的に、あまり攻撃的ではないのだ。

 しかし高校時代など、甲子園優勝を四回もしている。

 一つ上がSS世代であったということもあるだろうが、五大会全てで決勝に進出しているというのは、全盛期の明訓よりも強いだろう。

 この世代からは、三人の選手がプロ入りして、二人がメジャーリーガーになっている。そんなチームであった。




 武史もちゃんと、福岡の試合は見ている。

 だがこれはまだ、オープン戦なのだ。試合形式の練習だ。

 MLBでもほとんどの選手は、シーズンが始まるまではある程度遊んでいた。

 そこでストイックになれるのが、スーパースターなのだろう。

 武史はその点では、この段階でも才能に胡坐をかいていると言えるだろう。


 対戦相手よりも、むしろ味方の方を見ている。

 去年のスターズがレックスに負けたのは、上杉の使い方のミスだ。

 いや、そうせざるをえなくさせたと言うべきだろうか。

 直史の力によって、上杉は力を使い果たした。

 そしてライガースも、力を封印されてしまった。


 レックスはレックスで、直史の使い方にミスがある。

 正しく直史を使っていれば、レギュラーシーズンで優勝して、アドバンテージを使ってライガースに勝てたのだ。

 なにしろレックスの首脳陣は、攻撃的な判断が出来ていないのだ。

 武史から見てもそうなのだから、直史としてはやきもきしたかもしれない。

 ただ直史は、首脳陣批判はしない人間であるのだ。

(さて、スターズはどうかな?)

 武史としてはもちろん、職場の環境については重要だと考えている。


 そんな武史は、バッティングの練習もしている。

 MLBでは必要なかったが、NPBのセ・リーグではピッチャーもバッターボックスに立つ必要があるのだ。

 マシンの球なら、柵越えは難しくもない。

「いやいやいや」

 何年間まともにバッティングやってないんだ。

 それなのに柵越え連発していては、本職のバッターの立つ瀬がないではないか。

 そう思われてしまっても、打てるものなら打っていた方がいいであろう。

 確かに武史は、甲子園でもホームランを打ってはいる。

 全盛期白富東で、クリーンナップを打てるバッターでもあったのだ。

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