第6話 遠く離れて

 オープン戦も後半になると、他のチームとの対戦が入ってくる。

 レックスは沖縄にいる間に、タイタンズ、ライガース、東北ファルコンズの3チームと対戦することになる。

 だがその前に直史は、少し気を取られることがあった。

 集中力を欠いているような直史は、この数日は自分でも理解しているのか、簡単なことしかしていない。

「何か考えてるんすか?」

 大平の言葉にも、直史は曖昧な顔をする。


 隙のない人間、というのが周辺の直史への感想である。

 だがこの数日は、どこか緊張感が途切れているというか、他に懸念を持っているような感じである。

「俺に出来ることがあれば」

「残念だが、俺もどうにもならないんだ」

 そうは言ったが、直史はもう少しだけ説明をする。

「娘の高校入試があってな」

 今は結果待ちの状況である。


 既に昇馬の白富東進学は決まっている。

 だが昇馬のボールを、捕れるキャッチャーはいないだろう。

 真琴がいなければ、他のキャッチャーを鍛える必要が出てくる。

 それは相当の労力が必要になる。

 とりあえずは、真琴がいなければどうしようもないのだ。

 そのあたりのプレッシャーが、真琴にはあるのでは、と直史は思っている。


 一応滑り止めの私立は、二つ合格している。

 だが本命は公立であるのだ。

「公立が本命なんすか?」

 東京の都心近くに住んでいた大平からすると、進学校は私立という意識があるのかもしれない。

 確かに千葉でも一番の進学校は私立であったりする。

 しかしその私立よりも、人気の高い進学校が白富東。

 単純に有名大学への進学率が高いというのもあるが、伝統的にレベルの高い生徒が揃って教師もそうであるのだ。




 東京に限らず都会ではない場所であれば、公立校が県内一番の進学校であるということは珍しくない。

 普通に考えれば大学など、公立は難関が多いことを考えれば当たり前であろう。

 もっとも今は東大でも、どこの高校からの出身か、などという派閥が出来ていたりする。

 直史はこういうことが問題であると考える、とても珍しいプロ野球選手である。


 本人は地元の国立を受けるつもりで、県内最難関の公立を受験し合格した。

 まさかその後の人生が、あんなことになるとは思っていなかったが。

 私立の中でもかなりの難関であるが、重要なのは大学に入ることではなく、司法試験に合格することであった。

 このあたり他のインテリプロ野球選手とは、一線を画すところである。

 同じことが樋口にも言えたであろう。


 樋口は今は、高校時代の相棒であった、上杉正也の秘書をしている。

 そもそも官僚を目指していたのだが、女のために進路を変えたあたり、その後の浮気しまくりを考えると、少し不思議な感じもする。

 直史の場合は、女がきっかけになって進路が決まった。

 当初の予定では地元で公務員になる予定であったのだ。


 完全に骨を故郷に埋めるつもりであった。

 プロ野球はおろか、甲子園さえも行こうなどとは思っていなかった。

 ただ勝ちたいという気持ちだけがあって、それが奇跡のピッチャーを誕生させることになった。

 何度も本人は道から外れようとしたのだが、その度に野球が直史を連れ戻した。

 まさに運命であるかのように。

 だがそんな運命であっても、もう終わりは見えてきている。




 子供たちが高校野球をやって、甲子園を目指すようになったのだ。

 それは成長を感じさせて嬉しいものであるが、同時に物悲しくもなる。

 自分が大人になったということ。

 そしてこれからは衰えがどんどんと進み、社会人としてそれに相応しい振る舞いが期待される。

 自分の力ではなく、自分の力でこれまで作ってきた、人とのつながりが重要になってくるのだ。


 子供の成長を見て、初めて自分が大人になったのだ、と確認できる。

 直史にしても、それは変わらない点である。

 そして自分の子供たちだけではなく、大平を見てもそれを感じる。

 彼もまた、自分の子供であってもおかしくない年齢なのだ。

「娘さんですか」

「ちょっと前までは反抗期でな。まあ色々あった」

 直史はそして、大平にスマートフォンを見せたりする。

「ああ、可愛いですね」

「……」

 普通に誉められただけであるのだが、なんとなく不安を感じる直史である。


 思えば野球ばかりして、浮いた話のない娘であった。

 男の集団の中にいて、むしろ不思議に思うべきであったのだろうか。

 女子の中では身長がかなり高いというのも、中学生ぐらいまではマイナス要素であろう。

 だが高校生になれば、釣りあう男も出てくるのではないか。

「嫌だなあ」

「え、何がですか?」

 答えたくない。


 これが娘を持つ、男親の心境であるらしい。

 ただしこれが30歳ぐらいまで独身であったりすると、今度は逆に心配になるそうだ。

 少しずつ付き合ったりして、いずれは結婚して子供でも産んで、直史もまた祖父になる。

 それは人の人生のサイクルとしては、当たり前のことのはずだ。

 しかしそれを現実的に考えると、なぜかまだ早いなどと感じてしまう。

(もう、人生の半分は終わったんだよな)

 直史はここのところ、何度もそう思う。




 人間というのは遺伝子を運ぶだけの存在だ、などと言ったのは誰であったであろうか。

 直史は家というか血統というか家風というか、そういうものを残そうとした。

 少なくとも自分の世代は、あの実家を守ろうと思っていたのは事実だ。

 しかし子供たちにとって、実家は田舎ではあっても、実家とは思えないであろう。

 日米を移動してはいたが、MLBを引退してからは、市内に近いところにマンションを借りた。

 あそこが子供たちにとっての実家、故郷になるのだろうか。

 直史自身は、田舎の実家を守るつもりだが。


 どうにもセンチメントな気分になるのは、直史としては珍しいことかもしれない。

 だがそもそも情の濃い人間でなければ、そのようにこだわることはないであろう。

「つーわけで三月中旬までは、オープン戦でも投げないから」

「子供の受験が気になって投げないって、なあ」

 豊田も呆れているが、直史は真剣な話をしている。

「俺はもう、調整のためにわずかでも集中力を乱すことはしたくないんだ」

 鋼鉄のメンタルを持つ直史としては、珍しく慎重になっている。


 わずかな心の油断が、大きな怪我になりかねない。

 だいたい怪我というのは、集中力が途切れた瞬間に起こりやすい。

 なので直史は、万全を期す。

 この冷徹とも思われる男が、意外なほど子供のことには弱い。

 豊田も首脳陣も思ったが、普段の直史はそうでもないのだ。


 純粋に真琴に関しては、明史の病気に加えて下の弟のこともあって、あまり構ってやることが出来なかった。 

 その中でも非行に走ることもなく、しっかりと成長してくれた。

 ちょっとぐらいの反抗期は、むしろ健全に育っていると思ったぐらいだ。

 そういう直史の態度が、逆に真琴には悪かったのかもしれないが。

 そして去年一年間の、プロ復帰生活。

 あれで真琴は、かっこいいお父さんを見せ付けられてしまった。




 男の子であれば、父親に対するコンプレックスが出たかもしれない。

 ただ明史はそもそも、スポーツの分野では戦おうとしない人間だ。

 そして女の子にとっては、父親が誉められるということは、とても嬉しいことであるらしい。

 少なくとも真琴は、そういうように考える少女であった。


 関係が改善してからも、直史は真琴が心配でたまらない。

 そもそも生まれた瞬間から、長生きは出来ないなどと言われた娘であるのだ。

 そんな子供が二人も続いたこと、そして末子だけは健常であることは、不思議な偏りを感じている。

 直史のこんな思考を、豊田としては親馬鹿と思ってしまう。

 豊田にも子供はいるが、ここまで深くは考えてない。


 豊田も少し、スカウトなどを経験した上で、またユニフォームを着ている。

 つまりそれだけ、教育は妻に任せてしまっているのだ。

 これは野球選手としては、どうにもならない当たり前のことである。

 直史の方が、むしろ例外であるのだ。

 もちろん世間一般からすれば、直史の方が普通である。


 直史はこの間、試合にも出ずにひたすらブルペンとトレーニングルームを往復している。

 少ない日は10球も投げないが、キャッチボールだけは毎日100球はしている。

 トレーナーの意見も聞きながら、サプリメントを摂取している。

 純粋に食事だけで回復するのが、直史の理想であった。

 だが今はもう、そんなことを言っていられる状況ではないのだ。

 肉体の限界が近い。




 直史のボールを受けるのは、迫水だけとは限らない。

 ブルペンキャッチャーは支配下登録の選手だけでなく、長年キャッチャーをした人間をスタッフとして雇っていたりするのだ。

 そんな彼らが、共通して言うこと。

 それは球速は上がっていないが、球威は増しているように感じるというものである。

 なんだそれは、とキャッチャー以外の者は思うだろう。


 球速ではなく、スピン量も変わらず、スピン軸は安定している。

 それなのになぜか、キャッチする瞬間の衝撃が大きい。

 ホップ成分が高いのか、ここのトラッキングシステムでは分析しきれない。

 だがそうとでも考えなければ、この威力の違いは説明がつかない。

 キャッチャーとしては意味が分からないのは、気持ち悪いのだ。


 直史としては自分のボールがようやく、本来の意味を持ち始めていると思う。

 極限までの集中などという状態にならないため、メカニックを微調整しているのだ。

 単純に言えばその微調整のたびに、キャッチャーは分からないから衝撃を感じている。

 直史としても一つずつわずかに変えているのを、キャッチャーには説明しない。

 これが樋口であれば、すぐに原因まで分かってしまっただろうが。

 いない者は仕方ない。


 肩にも肘にも問題はない。

 だが肉体全体の出力は、まだ上がらないのだ。

 そんな状態でも、開幕までには間に合わせる。

 そういった変態的なことが出来てしまうのが、直史という人間であるのだ。

 古今東西、そういったピッチャーは出てこなかった。

 ピッチャーという生物の中での変異種。

 なので従来の常識では、決して打つことが出来ないのである。

 非常識さがいつまで続くか、それが投手生命の限界であろう。




 試合を外から見るというのは、直史にとって悪いことばかりではない。

 他のピッチャーを見ることによって、自分自身すら俯瞰できるからだ。

 思えば今までは、これを無意識にやってきた。

 どこか野球に対して、一歩離れた感じで見てきたのだ。

 自分が壊れるまでどれぐらいか、それすらも分かっていた。

 上杉のように、限界で散るはずであったのだ。


 その後の日本シリーズのことなど、考えていなかった。

 そもそもライガースも負けていたのだから、クライマックスステージでどちらのチームも、本当に限界までだして、限界を超えて抑えこまれたのだと思う。

 ただレックスとライガースであれば、完全に打線が沈黙したライガースよりは、まだしも直史が外れただけのレックスの方が、いい勝負をしたかもしれない。


 あの時は必死であった。

 燃え尽きるつもりで投げていたが、今から思えばあの先には何があったのだろう。

 肩や肘が壊れる程度ならば、それは問題はなかった。

 だが筋肉や骨に、血液まで異常値が出てしまうと、あるいはもっと恐ろしいことになっていたのではないか、とも思う。

 あの状態の自分は、おそらくドラッグをやっている精神状態にあったのではないか。

 自分自身による脳内分泌物質が過剰になるのは、果たして脳などにどういったダメージを与えるのか。


 直史は大麻やシャブで逮捕された人間の、弁護を担当したことがある。

 脳の機能がぐちゃぐちゃになっているという点では、あのあたりも同じことなのではなかろうか。

 もちろん実際にドラッグをきめたわけではないので、そこまでひどくはならないとも思える。

 だが脳に与えるダメージは、ドラッグと比較していいものかどうか。




 あと一打席、大介と対戦していれば。

 実際にやってみないと結果は分からないが、勝負自体には勝てたと思う。

 大介のまだ見ていない、地平線のない世界。

 いや、彼方の全てまでが掌握できる、奇妙な感覚。

 あれは無限の世界であった。


 かつてはトランスと呼んだ、森羅万象を知覚するような感覚。

 だがあれともまた、違うものであるのだ。

 トランスは全てが存在した世界であった。

 だがあれはまさに、無限の世界。

 知覚が拡大しすぎて、森羅万象と言うよりはさらに先、未来を予知までするようなもの。

 無神論者の直史をして、神の領域とでも呼ぶしかないものだ。


 実際のところは、全てがゾーンであるのだろう。

 ただその深度だけが違うだけで。

 トランスからあそこへは、スムーズに移行できていたような気がする。

 海の深いところへ、どこまで潜っていけるか。

 それが肉体や精神までを含む、人間の限界を測るものであるのだろう。

 そして潜りすぎれば、おそらく帰ってこられない。

 どこまでが限界なのか、あの時には分かっていた気もするのだが、同時に万能感も感じてしまっていた。


 おそらくピッチャーであれを感じられるのは、直史ぐらいではないだろうか。

 むしろバッターの方が、その打席に集中するため、あのゾーンを体験しやすい。

 ピッチャーはそこまでの高度なものを求めなくても、統計的なピッチングをしていれば、それなりの結果は出てくるのだろう。

 武史は気合が乗ったときはすごいボールを投げるが、それはまた違うものだと思う。

 この感覚を教えるのは、おそらく危険である。

 そもそも教えて分かるものであるのか。




 ボールが止まって見えたとか、選手の位置が全て分かったとか、相手の次の動きが予測出来たとか、色々なスポーツで証言がある現象である。

 しかしそれは果たして、才能なのか努力なのか経験なのか。

 直史の場合は少なくとも、経験ではないなと言える。

 なぜならプロで投げている実働期間自体は、それなりに短いものであるからだ。

 努力の量もそれに比例している。質はどうかは分からないが。


 集中力というのは脳の構造の問題もあるので、ある程度は才能と言っていいだろう。

 特にツインズたちなどは、日常的にこの能力を幼い頃から使っていた気がする。

 おそらく才能というのは、ある程度は必要だろう。

 だが総合的な、幾つもの要素の蓄積となるのが正しいのではないか。

 それに直史も、完全に自由自在に使いこなせるわけではない。

 強敵と対峙したときなどに、スイッチが入るのだ。


 大介とはもちろん、ブリアンなどもそうであった。

 他には織田も隙を見せられない相手であった。

 もっとも大介を相手にしても、常にスイッチが入るわけではない。

 単打までならいいか、などという余裕があるとダメなのだ。

 追い込まれないと発揮されないというあたり、必殺技にも似ている。


 今の状態でそんな、危険なゾーンを使うわけにはいかない。

 自分の状態だけではなく、相手の状態。

 そして遠くに存在する、娘の状態。

 瑞希には毎日連絡しているが、真琴の様子はプレッシャーを与えないために間接的な接触がほとんどだ。

 だがそれももうすぐ終わる。

(高校時代が、本当に一番忙しかったかな)

 直史の体感としては、そういうものであったと思う。

 あの三年間に、多くの人々と出会ったのだから。




 間もなく沖縄でのオープン戦も終わる。

 三月になれば本州へ戻り、そこからオープン戦が開始される。

 真琴の合否判定は、3月7日となっている。

 しかしその前に、レックスはなんと千葉のマリスタで、オープン戦を行う予定になっているのだ。

 真琴本人としても、もはや受験が終わったのだから、ここから先は何も出来ることなどはない。

 なのである程度はネット通話で話すこともある。


『人事を尽くし天命を待つ』

 画面の向こうで真琴はそんなことを言っている。

 確かにもう結果を待つだけなのだから、何もやることはない。

『しょーちゃんと一緒に見に行こうかって思ってるんだけど、お父さん投げる?』

「投げる予定はあるが、調整がまだ不充分だから、打たれる可能性はあるな。それにせいぜい3イニング程度じゃないか」

 直史としては開幕まで、まだ三週間はあると考えているのだ。

 開幕戦の相手のカップスは、今年はかなり期待されているらしい。

 去年は大介の打球のせいで、最下位に終わったが。


 実のところ土日であるため、瑞希も直史の出番があるなら、見に来るつもりであるらしい。

 直史が投げるとすれば、どちらでもいいのだろう。

 ちなみにそのオープン戦二連戦が終わった翌日が、合格発表であったりする。

(なんだかタイミングがいいのか悪いのか)

 さすがにここで、直史がいいピッチングをしても、合否判定が変わるとは思わない。

 そもそも合格の範囲内ではあるのだ。


 直前になって、投げる予定になったら見にいく。

 そんなことを言われてしまえば、ちょっといいとこ見せてみたい、と思ってしまう父親は単純であろうか。

 真琴は気づいていないし、直史も気づかせないようにしているが、生まれつきすぐにも死んでしまうかもしれなかった真琴を、直史は実は溺愛している。

 ただその下の子も、問題があったためにそちらに手をかける必要があっただけだ。




 直史をここで投げさせるか。

 首脳陣としては千葉は、直史の出身地であるために、露出が多くなることに賛成である。

 そもそも復帰と決めた時に、レックスではなく千葉もその候補になったのだ。

 それが選ばれなかったのは、単純に移動時間がもったいないという話である。

 在京圏に3チームが存在するセ・リーグ。

 それに比べるとパ・リーグはどうしても、北海道から九州まで、チームが散らばってしまっている。


 かつては人気のセ、実力のパなどとも呼ばれたものだ。

 だが論理的に考えれば本来、移動に時間のかからない、セ・リーグの方が練習や休養に時間を取れるということになるのではないか。

 それがそうなっていなかったのは、一つにはDH制が挙げられる。

 ほぼ自動アウトのピッチャーのところに、打撃に振ったバッターがいるため、それに対応するためにパのピッチャーは自然と鍛えられた。

 また自分の打順だから、という理由で交代もしないので、より多く投げたというものである。


 あとは精神論になるが、移動距離の長さなどが、逆にメンタルを鍛えたり、過酷な状況に慣れさせたという話もある。

 もっとも昭和まで遡れば、一時期は北海道にも九州にも、球団のない期間はあったりしたのだ

 するとやはり、DHに理由があるのだろうか。

 MLBでは既に、両リーグにDH制が導入されている。

 日本もこれを追いかけていくのだろうか。




 ただ日本の場合は、あのピッチャーがバッターになったらどう打つのかを見てみたい、という声もあるらしい。

 実際に上杉などは、プロ入り一年目は三割を打ってホームランも七本という成績であった。

 パ・リーグであれば投げるとき以外はDH、などという無茶が通ったかもしれない。

 本人としてはあくまで、ピッチャーという意識が強かったらしいが。

 だから高校最後の夏も、四番を一年の樋口に譲ったのだ。


 直史が考えるのは、リーグ全体のこと。

 上杉に託されたことになっている役割は、大介とも話したものだ。

 武史には話していない。無駄なので。

 賑やかしとしてはとても役に立つ人間ではあるが。

 これからのほんの数年で、スーパースター引退後のことを、どうにか出来るものであるのか。

 上杉のいない今、直史と大介が去れば、野球人気はどうなるのか。


 よりにもよって考えていない、武史の息子の司朗が、新たなスターとして登場している。

 そういえばもう少しで、センバツも始まるではないか。

(圧倒的な実力を持つ選手は、やっぱりスターになってほしいよな)

 ただ司朗は頭もいいので、大学に進むかもしれない。

 そうなるとスーパースターの誕生は、先に大学野球を盛り上げることとなるのか。


 確かに自分の時も、大学野球が盛り上がったと言われたな、と直史は思い出す。

 あの時は明日美とツインズの力によって、東大が躍進した時期でもあった。

 その後に芸能活動を主眼に入れたため、わずかな期間ではあったが、輝きに満ちた時代であったことは間違いない。

(うちの真琴も、甲子園に行けば注目されるんだろうな)

 今の千葉県の高校野球の勢力図を見ると、それも不可能ではないらしい。




 戦後のプロ野球は、実は学生野球よりも人気がなかった、と言われる時期がある。

 六大学の学生野球の人気が、今よりもずっと高かったというのだ。

 その大学野球の人気選手が、東京の球団に入ったため、そのまま人気を引き継いだ、という認識があったりする。

 スーパースターの活躍。

 巨人、大鵬、卵焼きなどと言われた、一球団による支配的な時代であった。


 現在のプロ野球は、フランチャイズの時代である。

 人口密集地に球団を置いて、そこからファンを得る。

 そのため全てのチームが、人口100万以上の都市にいる。あるいは付近にその人口がいる。

 それを考えるなら、関東にも関西にも、もう一球団ぐらいは作れなくはない。

 また新潟なども、それに近い人口があったりするので、候補となったりもする。

 しかし新球団が作られないのは、既得権益に近い。


 サッカーのチーム数などを考えれば、作れないはずはないのだ。

 だがプロ野球は一軍と二軍は、同じチームの中にある。

 サッカーのように負ければ降格、勝てば昇格というものではない。

 三軍制を作れるチームには、資本力が必要となる。

 NPBが本格的に人気を取り戻すのは、そもそも野球人口が減っている今、本来ならば不可能なのだ。


 人間を超越した存在がいる。それだけが野球人気が戻った理由だ。

 直史としてはそれ以外に、要因が思いつかない。

 ただ重要なのは、この野球人気が国内だけにとどまらなかったということであろう。

 先に織田やアレクが成功していたとはいえ、国外で大介が圧倒的な結果を残して見せた。

 日本とは完全にマーケットの規模が違えば、それだけ収入というものも変わる。

 アメリカンドリームを達成するのに、一番近いのが野球であるのだと、改めて思わせたのだ。




 直史は野球のみならず、その存在自体に虚実を兼ね備えている。

 なくても生きていけるが、人生を彩るためには必要。

 その意味では野球も悪いものではないと思っている。

 ただ若い頃からずっと、直史は実業で生きることを考えていた。

 公務員などというのは、まさに実業であろう。

 儲けを出すためにやるのではなく、人間に必要であるからやる。

 だから尊いものだと思っていた。


 農業法人にしても、日本の弱い一次産業を、政策の転換に合わせて強くしようとしたものである。

 日本は経済が弱くなったとか、少子高齢化がどうとか言うが、直史からするとそれらは本質的な問題ではない。

 純粋に日本人から、活力が失われていってしまっているのだ。

 もっともその原因も、難しい問題ではある。

 虚業が大きくなりすぎて、実業に人数が回らない。


 あとはプラットフォームをアメリカに握られているのが、圧倒的にまずい。

 虚業においてはアメリカは、世界で一番の国ではある。

 だからこそ、そのアメリカで直史と大介が世界一を争ったことは、日本にとってはいいことであったのだ。

 日本人には、日本には可能性が残されている。

 そう考えるのが、まさに日本人的な直史だ。




 上杉の言葉を、直史なりに色々と考えはした。

 そして選手でいる間は、自分の影響力は強いだろうと考えた。

 特に沢村賞を争えるレベルにある限りは、絶対的なピッチャーと言ってもいいだろう。

 これから先、負けることは仕方がない。

 衰えれば全ての試合に勝つことは、とても難しくなる。

 本来ならばどのピッチャーでも、ある程度は負けてしまう。調整に失敗するからだ。

 だが直史はこれまで、全力で調整を成功させてきた。

 その結果、削られすぎたということはある。


 今後の直史は最終的な勝利のために、負ける試合があるだろうと思っている。

 シーズンを通してチームのことを考えるなら、直史が全勝しなくてもいい場合はあるのだ。

 全ての試合で全力が出せるようにしていれば、逆に最後には息切れする。

 もっと余裕をもって、レギュラーシーズンを戦っていくべきだ。

 もっとも去年の場合は、ポストシーズンに勝てなかったことも、レギュラーシーズンで優勝できなかったことも、本当に運が悪かったと言えるのだが。


 レックスが優勝出来なかった理由は、いくつかある。

 先発の枚数が微妙であったことや、打線の決定力がなかったこと、あとは怪我人が出たことなどか。

 つまり言ってしまえば、選手層が充分な厚みを持っていなかった。

 何か一つというわけではなく、直史を含めてなお、戦力が全体的に足りなかっただけなのだ。

 今年はキャンプの時点から、直史はその弱点を克服するために動いている。

 ピッチャーだけではなく、バッターの方も強くなっている。


 ただチームが強くなっても、他のチームがより強くなっていれば、結局は同じ結果になる。

 本当に余裕があるなら、他のチームの状態も確認したかった。

 だが直史としてはさすがに、そこまで気を回すことは出来ない。

 さしあたっては関係ないが、もうすぐ春のセンバツも始まる。

 そこでは未来のスターが誕生するのか、あるいはさらに力を見せ付けるのか。

 そんなところにまで考えが回ってしまうので、頭を使っている余裕がない。

 いっぱいいっぱいのまま、チームは本土へ帰ってくる。

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