第5話

 翌日、大きな窓に差し込む日の光で目を覚ました。スマートフォンの電源をつけると9時11分だった。時刻表示の下にある通知に目をやると、兄からLINEが来ていた。「昨日は邪魔したな。仕事頑張れよ。」彼女からの返信はなかった。

 軽い朝食を食べ終えると、僕は彼女の機嫌をどう取り戻すか考えを巡らせた。昨日の夜を何度振り返ってみてもやはり彼女が起こっている理由は兄の発言と態度に違いなかった。しかし、そうであれば彼女の機嫌を取り戻すには兄に謝ってもらうしかないのではないか。とりあえず、自分の考えもまとまっていない状態で彼女に電話をしたとして、状況が改善するとは思えなかった。動画サイトをテレビに接続して映画を見ることにした。洋画を字幕で見るのが好きだが、ふと目に留まった邦画の再生ボタンを興味本位でクリックした。


 それは、予知夢を見る青年の映画だった。そのことは彼を苦しめ、普通とは程遠い人生へと誘った。彼は仕事をしておらず、彼の周りでは人が死に、暴力が渦巻いていた。加えて彼は友人が少なかった。僕は瞬きも忘れてその映画に見入っていた。エンディングテーマとともに役者の名前が流れると、寂しい気持ちがしたが同時に少し安心した。いつか、遠くない過去に同じ感覚を覚えた気がした。

「ああ、そっか。」

 知らずと声に出ていた。予知夢を見る青年は、兄に似ていた。兄が不眠症を打ち明けた5年前の日、その日に見た夢はきっとこの映画に似ていたのだろうと思う。



 夜になっても、彼女からの返信はなかった。僕は意を決し、彼女に電話することにした。彼女に電話をかけ、スマートフォンの呼び出し画面を見つめる。5回目のコールが鳴った直後、「呼び出し中」の表示が通話時間に切り替わった。

「もしもし」昨日も聞いたはずの彼女の声が、1か月ぶりにも1年ぶりにも感じられた。

「もしもし。ちょっと、昨日のことで謝りたくて。」

「お兄さんのこと?それは怒ってないから大丈夫。」

 少し拍子抜けした。1日中悶々と頭をめぐっていた沢山の謝罪の言葉に用無しのラベルが貼られた。

「いやでも、嫌な気持ちにさせてしまったかなと思って。本当にごめん。」

「お兄さんの言葉が?」

「うん。」

「大丈夫。」

「そっか。ありがとう。」

「うん。こちらこそ。」

 それ以上言葉が見つからなかった僕は、「じゃあね」と言って電話を切った。その後も、悶々と考えが僕の頭をめぐることを止められなかった。



 彼女と顔を合わせない日々は3週間に達していた。その間、兄が僕の部屋に押しかけてくることもなかった。彼女からの返信が遅く、淡白になった気がする。「!」や絵文字の数が減っている気がする。兄と鉢合わせた日の前後で使われている絵文字と「!」の数を比べてみようかと思ったが、結果に直面するのが怖くてやめた。既読無視や未読無視をされているわけではないから、と楽観視してみる。なにか、話し合う機会が必要だと感じている内に、新しい金曜日を迎えていた。彼女とのLINEは変わらず仮初の平穏を保っていた。

 大学を卒業してから、各段に会う機会は減っていた。大学時代は平日と週末を問わず時間を見つけてはSNSで話題の場所に二人で行った。幾度となく喧嘩もしたが、数日と経たずに話し合い仲直りをしていた。僕と彼女は立ちはだかる困難を、二人で乗り越えられる関係になっていた。社会という大きな困難は、気づかぬ内に大きく立ちはだかっていた。仕事の都合で一週間会えないことなどざらになった。できる限り電話をし、彼女の抱える苦しみを軽減しようと努めていたつもりだった。しかし、社会人という立場はそうとは知られることなく二人の関係の地盤を弱めていったのかもしれない。

 彼女とのLINEが途切れることが多くなった。機会をうかがって僕からメッセージを送ってみるが、彼女からはテンションの低い返事が返ってくるのみだった。


 ピロン。


 水曜日の夕方、静まった部屋に大きな通知音が響いた。彼女からだった。

「今週の日曜日、空いてる?」

「空いてるよ」

「上野動物園いかない?」

「いきたい、いこう。」

 彼女はもしかしたら、何かを覚悟したのかもしれなかった。時間と集合場所を決めるやり取りをしている中、僕は6年前の高校時代を思い出していた。

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