第2話

「それで、つまりどういうこと?」

「だから、おれは、いつか自分が世界を救う、その瞬間のために緊張して眠れねえんだよ!」

「えっと、、、昨日は寝てないってこと?」

「昨日も寝てない。おとといも、その前も、その前の前も、そのまえのまえの、」

「ごめんわかったありがとう。それで、体調は悪くならないの?」

「なってねえのよ、それが全く。やっぱり俺はいつか世界を救う存在なんだよ!」

 悪い予感通りに電車に揺られているときに降り出した雨に濡らされながら到着した兄の家で、僕は丸々悪夢のような話を聞いていた。いや、兄は寝られないから悪夢とは言えないのだろうが。

 しかし、普通には信じられない話は、ちょうど付け合わせのパーツを嵌め込むように、不思議と僕の中にすんと入ってきた。兄ならあり得ないこともない。その話が僕の中に納まると同時に、あまたの疑問が噴出してくる。「寝れないだけで眠くはなるの?」「ほんとに体調は悪くないの?」「そもそも、人体にそんなことできるの?」「というか、世界を救うって何?」「しかもなんで兄ちゃん?」

 そのあたりの疑問を一通り兄にぶつけてみたが、兄も自分の不眠に関して詳しくわかってはいない様子だった。ただ、確かなのは「俺が世界を救う、その瞬間のために緊張して眠れないんだ」ということだけ。根拠も何もないが、彼は直感したみたいだ。また、普通の人のように夜には眠たくなるが、眠れないらしい。体調は良いわけではないが、悪くもない。一日徹夜した後の、少しぼんやりした感覚があるらしい。

 試しにその日の夜は兄とともに過ごすことにした。



 時計がカチカチと音を立てている。せわしなく動く秒針は、時計の中心の留め具から解放されたがっているように見える。太く腰を据えた短針は、2と3のちょうど中間を指している。畳まれていない衣服や雑に開封された段ボールが6畳半の部屋に散らかっていた。簡素な学習机の上には、三島由紀夫の『花ざかりの森』が置かれている。

 しんと静まった街からは、音とも取れない音がする。

「それで、救う世界に検討はついたの?」

「なんというかこう、『救ってみよう』と思ってみると救うべきものが多すぎる。」

「例えば?」

「地球温暖化とか。」

「まだまだ寝られなさそうだね。」

そろそろ眠気の限界が来ていた僕は、部屋の床に毛布を敷いて眠る準備をした。

「寝るんか?」

「世界を救うのは、兄ちゃんに任せるよ。」

「任せときやあ。」

そういうと兄は、電気を消して自分の布団に入った。

「布団には入るの?」

「寝てるふりだけな。」

 次の日、目が覚めると不思議な夢を見た気がした。何となくさみしいような、どこか心地よい目覚めだった。


 僕は大学を卒業し、兄はフリーターを続けている。

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