アリとアブラムシ

井上 表裏

第1話

 「こちらの物件は、、、、」

 家の間取りを一通り説明しながらお客様の反応をうかがう。大抵、一件目と二件目は予算より低く、しかし希望条件を満たしていない物件を当てる。三件目で予算より高いが、条件を満たす物件を当てる。そうすると、人は少し予算を超えてでも三件目に契約をとる。

 冷房の効いていない二件目を出て、灼熱のコンクリートの坂道を少し下り、照り付ける日差しのもとで熱のこもった社用車へと乗り込む。

「どうしてわざわざこんな真夏に物件を探すのですか?もしかして、僕のことを試してるんですか?」

そんなことを気軽に聞けるほど、社会は甘くないのかも知れない。少なくとも、僕はその勇気は持ち合わせていなかった。あるいは、兄ならば、、、。

「ここから10分くらいで次の物件につきますね。」

 ふとした妄想をこもった熱のせいにしながら、三件目に向かう。


 僕には兄がいる。26歳、コンビニとスーパーのバイトを掛け持ちしている兄。彼は弟の僕が心配なのか、頻繁に僕の自宅にけしかけてくる。連絡もなく。

「ゆうたぁ!元気かあ~~。」

「うん。元気だよ。兄ちゃんは?」

「俺のことはいいのよいいのよ。ゆうたが元気ならな。」

「バイト、さぼらずに行ってるの?」

「『仕事』な。まあまあ、遅刻するくらいよ。」

時計に目をやると、ちょうど長針と単針が「1」の少し右で重なっていた。日中、30度を超えていた中でお客様に気を遣いながら家をめぐっていた僕は正直もう寝たかった。しかし兄にはそんなこと関係ない。より正確には、関係できない。

 僕の兄は、度を越えた不眠症だ。何せ彼は、ここ4年間一秒たりとも眠っていないのだから。


 4年前、同じ夏でも今日とは真逆で大粒の雨がアスファルトを叩き、薄暗さを纏う昼だった。僕は大学進学と同時に一人暮らしを始め、大学4年になっても就職活動をロクにしなかった兄は、来年の4月からアルバイトで食いつなぐことが確定していた。彼曰く、実家に帰るのは嫌らしい。「なんで就職活動しなかったの?」「なんで実家に帰るのが嫌なの?」そういうことを聞けるタイプの人間なら、僕はきっと季節外れの物件探しの理由も知ることができていただろう。

 僕と兄は大学が同じ東京都内にあり、電車を乗り継ぎ20分ほどで行き来することができた。当時から貯金ができない兄は、40分かけて自転車をこいで行き来していた。

 いつもなら兄のほうから押しかけてくるのだが、その日は僕のほうが兄の家に呼び出しを食らった。大学が3限で終わった後、貯金をしている僕は電車を乗り継いで兄の家に向かった。大学の門を出て、人の波に乗りながら駅に向かって歩いていると急に暗雲が空を覆ってきた。「傘持ってきたらよかったかな。」心の中で呟きながら、雨にぬれても最悪大丈夫だと意を決した。

 大学終わりの人で詰まった駅のホームは、「同じ大学」という仲間意識を否定してくる。見知らぬ金髪の男が、隣の女性と話をするにはあまりに大きな声で会話している。

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