第2話 機上の人

1946年9月15日。



死んでしまいたい。

どこで私は死ぬのが一番良いのだろう。



戦に敗れた今、私に居場所などあるはずもなく、生きる希望もありはしない。


でも、せめて一度、日本の土を踏みたい。そうだ、日本に着いたら自決しよう。


乗っている飛行機の外を見ると、海・・・恐らく日本海だろう・・・が広がっていた。日本海・・・と呼んだが、もう敵の支配下にあると思うと心が一層沈んだ。


視線を機内に戻すと、ソ連軍の将校がじっとこちらをにらみつけているのに気が付き、視線を自分の膝の上に落した。これからのことを考えると心がとても重い。


そうしていて1時間たったろうか、ぼんやりと自分の運命について、死に場所について考えると、不意に隣の窓側の席の松村少将が、私の肩を叩いてきた。


「菅野、見ろ、日本が見えるぞ!!」


その声に思わずまた左窓を見ると、眼下にひときわ大きな湖と山、そして山の北に大小の湖沼群が見えた。


松村少将は食い入るように見ながら、

「あれはどこだろうか」


と尋ねた。


猪苗代湖だ!!!磐梯山だ!!!


菅野の胸は急に熱くなり、思わず座席から立ち上がり、じっとその景色を観察した。


まさかまた、故郷の姿を見られるとは!!

そして、親兄弟、友人知人がこの下にいると思うと、不意に涙が出てきた。


みんな、元気にやっているのだろうか。ああ、できるならばここから飛び降りたい気分だ。


その時、不意に先ほどにらみつけていたソ連軍将校がやってきて、


「Занимайте свои места и молчите!(席につけ、静かにしろ!!)」


と怒鳴りつけた。


菅野は毅然として言い返した。


「Это наша Родина! Разве есть что-то плохое в том, чтобы увидеть нашу Родину?(ここは私たちの母国だ!母国を見るのに悪いことはあるか!)」


と流暢なロシア語で言い返した。


ソ連軍将校は、不意にピストルを額に押し付け

「Если мы не будем делать то, что вы говорите, вы не хотите, чтобы с нашей страной что-то случилось?(いうことを聞かなければ、母国にいかなることがおきようともよいというんだな?)」


と嘲笑の表情をしながら迫ってきた。


くそ。これが敗戦国か。


菅野の高揚感はこのソ連軍将校によって一瞬に冷めた。母国のことを持ち出されては分が悪い。また、敗戦国となった側の人間としての屈辱を受けたのだった。


菅野はソ連軍将校のことをじっと睨みつけたまま、席につき、ベルトを締めた。


ソ連軍将校は勝ち誇った笑みを浮かべて、また自分の席に向かい合わせの自分の席に戻っていった。


と、その時、ばらばらと何かが叩きつける音がした。そして乗っている飛行機・・・Li-2型・・・は、急に大きく小刻みに震えだした。


先ほどのソ連軍将校が少し動揺した顔で、操縦席に

「どうした!」と聞くと、機長は、


「急な低気圧です!抜けるまで我慢してください!」


と必死に機体の制御を行っている様子だった。


ああ、ここで死ねたら最高だな…。


と菅野は思った。例え生還できないとはいえ、日本の地で死ねることは本望である。

シベリアに大勢の部下たち、そして満州の地で別れた家族がどうなるのか、気がかりではあったが、自分自身としては、ここで生涯を終えることに一片の悔いはなかった。


ガクガクと動揺する機体、そして隣の松村少将や向かいのソ連軍将校は必死になってつかまっているが、菅野は不思議と冷静な気持ちでいた。


機体は左翼に傾き、急速に高度を落としていった。



そして、

「緊急着陸します!衝撃に備えて!!」


という機長のロシア語が聞こえた瞬間、菅野の意識は途絶えた。

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