大本営参謀の女子高生生活
@fusakichi
第1話 慰霊碑の前で
ああだりぃ。
ベッドの中で転がりながら桧原成美は考えた。考えてみれば何のとりえのない人生だったと齢17にして思う。この先どうやって生きていけばいいかわからないし、特段やりたいこともない。ただただ生きるのがだるい。
外は夏。会津盆地に差す8月の日差しはとても暑くて湿気を多く含み、不快度指数で言うと間違いなく日本屈指であると思う。ニュースでは毎回最高気温のランキングで埼玉の熊谷が上位に食い込んでいるが、若松も決して負けていないと思う。盆地でフェーン現象によってゆであがるような暑さが外に出る気力を失わせる。
加えてこんな田舎町には遊ぶところも少ない。いや、田舎町は言い過ぎか。曲りなりも会津地方で一番の地方都市だから、こんなことを言えば高校の同級生たちに嫌味を言われるに違いない。田舎だから電車も全然ないし、娯楽もない、盆地だから自転車で何処かに行きたいと思ってもだいたい山に阻まれる。ああ、東京に出てみたいなぁ。なんで私はこんないなかで高校生やっているんだろう。できるならば東京でキラキラした学生生活を送りたいなぁ。
しかし、エアコンの効いた部屋は快適だ。彼女の夏休み生活と言えば、朝起きて、冷蔵庫に親が買ってきてくれたパンを食べて、YouTubeをみてダラダラして、昼間になったら適当なスーパーに行って適当に安い物を買ってまた自室に戻って食べる。そしてタブレットを片手に電子書籍で買ったマンガを読みながらまたダラダラしたり惰眠をむさぼったりすると気が付くと夕飯となる。夕飯中は親と趣味の合う刑事ドラマか歴史ドキュメンタリーを見る。そして適当な時間に自室に引き上げてダラダラネットサーフィンをしているとまた眠くなる。
ああ、こんな生活しているから成績も上がらないし、運動も好きではないから人気者になれないし、さえないんだなぁと思う。都会に行けば違うのかなぁ・・・・。
そんなことを思いながらベッドでダラダラしていると、とんとんとドアを叩く音がした。
ドアを叩いてくる人物など、この時間だと母親以外に考えられない。
「はい」
「あんた、夏休み中何もしてないじゃない。ちょっとは散歩でも行って運動してきなさい」
ありがたいご指摘を受けた。
・・・面倒くさい。
でも、母親の言うことももっともである。夏休みが始まってから運動という運動をしていない。
「わかったぁ、もうちょっとしたらいく」
と適当に返事をしておいた。
「そこらへん1周するだけでいいから行っといで」
と言われた。
とりあえず昼過ぎに出るか。
午後2時。
成美は外に出た。行く先も特に決めておらず、とりあえず自転車に乗って行ける場所くらいに適当に漕ぎだした。
「ああ、あっちぃなぁ・・・」
服装も上から麦わら帽子、Tシャツにズボンにサンダル、という軽装だ。正直おしゃれとかどうでもいいし、日焼けも気にしない。服も高校の制服と私服数着くらいしか持ってない。
とりあえずよくいく本屋にでも行って適当に立ち読みしてまた戻ってくればちょうどいい運動になるだろう。
とりあえずお城のほうを目指してみるかな。
お城。
会津若松に住む人間が差す「お城」とは若松城のことである。地元の人間は「鶴ヶ城」と呼ぶその城は、白亜の壁に赤瓦が映える5層の天守閣を持つ風光明媚にして会津人の心のよりどころである。
風光明媚なだけではなく、城としての機能も十分であり、戊辰戦争では新政府軍を相手に籠城戦を繰り広げ、結果的に降伏はしたものの、武力で城を破られることは遂になく、城の頑丈さという点においても会津人の誇りとするところである。
鶴ヶ城はいつみても美しいなあ。
成美は自転車を走らせながら、城内に茂る木の隙間から遠くに少しだけ、「ちょっとだけよん?」というくらいほんの少しだけ見える天守閣を見てぼんやりそんなことを思った。
自転車を漕いで10分くらいだろうか、ふと進行方向右に神社の鳥居が目に入った。
町中にある何の変哲もない神社で、成美は以前から知ってはいたが、お参りしたことなぞ一度もなく、よくあるお稲荷さんの一つくらいの認識だった。
そして神社のほうを覗くと、普通の本堂の他に、そこそこ高い石碑が目に入った。
いつもならなんとも思わずに過ぎるところだけど、ふとその石碑が気になった。
神社の石碑と言えば、だいたい戦争の慰霊碑か何かかなぁ・・・。
成美は歴史が好きだ。歴史と伝統ある会津の町に生まれ育ったことに誇りを持っている。日本史の授業でたびたび会津という単語が出てくるたび、会津が如何に重要な場所であるかがわかり、別に自分が何をしたわけでもないのに、どことなく誇らしい気持ちになる。
だから、会津に関する歴史だったら、どんな些細なことも知りたいと思っており、たまに図書館に行って会津の歴史の本なんかを読むのが好きだ。
そんな成美だから、神社に寄ってみようという選択をするのはそう難しいことではなかった。
神社は広くもないが狭くもないが、石垣の上にちょこんと本堂があり、石碑は本堂の横にある。石垣はまぁまぁの高さがある。かつての総構えの外門があったらしく、周辺の石垣は既に宅地化されているが、その一部が残されている感じだ。
成美は石垣の下の適当な場所に自転車を止め、石垣の上に通じる階段を上った。
別に観光地というわけでもなく、看板も特にないその石垣には、特に人がおらず、石垣の上に到達すると、生えている木陰と石垣の高さ分さえぎる建物がなくなったためか、少しだけ涼しさを感じた。
その神社は、本堂は手入れされているが、周辺は雑草と樹木でおおわれており、ちょっとした林を形成していた。町中にあるはずが、そこだけが別世界のような感じで、時折近くの道路からの車の音が聞こえなければ、どこか神秘的な場所であった。
成美は神社の神様に挨拶をしないのは失礼だろうと思い、本堂の賽銭箱の前に立つと、ズボンの左前ポケットから財布を出し、小銭入れから10円玉を取り出すと、賽銭箱に10円を投げた。賽銭箱は鈴から微妙に離れた場所にあったが、一度ふちで反射して箱の中に投げ入れることに成功した。
ジャラジャラと鈴をならし、二回拍手して、二回礼をした。
「いつもありがとうございます。これからもよろしくお願い申し上げます。」
と心の中で唱えると、もう一度深く礼をしてその場を去った。
神様って別に深く信じているわけではないけど、どこかで見守ってくれているような気がしている。だから、神社に行った時、何も願い事がない時はいつもお礼を言うことにしている。そうすることで、引き続き身を守ってくれるだろうと期待して。
さて、お参りが終わると、くだんの石碑の前に立った。
石碑には、表に「鎮魂」と楷書体で書かれていて、左下に「昭和57年 有志一同」と書いてある。そして、裏に回ると、この慰霊碑を立てた理由について書いてあった。
また、更に裏には墓誌のような石碑があり、名前がずらりと書いてあった。
さて、この慰霊碑は何のためのものだったのか。
簡単に言えば、戦前に満州や朝鮮半島に渡ったが、戦争末期にソ連軍侵攻によって、長く抑留され、それに伴って犠牲になった人々を追悼しているものだということが分かった。
碑文には、会津から大陸に渡り、志半ばで亡くなった同胞に対しての鎮魂の言葉と、会津人の心の支えであるお城と磐梯山が同時に見渡せるこの場所に慰霊碑を建てたことが記されていた。
成美は、一通り石碑、いや慰霊碑を見分し終えると、たたずまいをただし、慰霊碑の正面に立つと、なんとも言えない気持ちになった。
昭和戦前期、東北の農村は貧困にあえいでおり、飢餓に苦しんでいた。そこで政府の政策の一環として、日本が進出していた大陸や南洋諸島に開拓団として移住することが勧められたのであった。農家の長男でない限りは、自分で稼ぎ口を見つけなければならぬ。そういったものの中には、外国で、自分の土地が与えられて、自分たちで土地を切り開くということに大きな夢を抱いた。更に国が薦め、お国のためになるといわれれば、もうそれしかないと思うのが自然である。
そういった夢を抱いて渡ったが、戦争に巻き込まれて犠牲になったり、命からがら逃げ出せても心に深い傷を負った人が何人もいたことだろう。そういった人々の人生を思うと、成美は心が締め付けられるような気持ちになった。
成美は慰霊碑の前に手を合わせると、目を閉じてただ無言で安らかに眠るよう祈りをささげた。
その時、成美は気が付かなかった。
彼女に向かって、その慰霊碑がバランスを崩して倒れてくることを。
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