第6話 「ようこそプロスパシア」

 道中で軽いトラブルこそあったものの、俺は無事にプロスパシア家の屋敷へと辿り着く事ができた。


 屋敷の外見や内装、大きさは俺が元いた屋敷と大差ない様に思えるが……どこか重圧の様なものを感じるのは、プロスパシア家の重ねてきた歴史の重みなのだろうか。


 兵士達によって俺と共に連行されてきた彼女、プロスパシア家の三女であるレクシー・スティル・プロスパシアの姿が屋敷に入ってから見つからないのは気掛かりだが、俺が気にした所で意味は無いだろう。

 

 それよりも、俺が今考えるべきは––––––––


「よくぞいらっしゃいました、ノベル君。私はアストロ・スティル・プロスパシア。肩書きとしては一応、107代目のプロスパシア家当主なのですが。君の義理の父でもあるのだから、気負わずに接してくれると助かります」


 自分も執事と一人だと言わんばかりの自然さで俺の事を出迎えてきた、レクシーと同じ灰色の髪と眼鏡が特徴的な紳士に対する正しい対応だ。

 最初に話すのが当主だなんて考えていなかったし、予想以上に爽やかかつ穏やかだし、なのに腹の中で何を考えているのかが分からない不気味さがある。

 ……より正確に表現するのなら、この人からは一切笑顔を崩さずに理詰めで説教してきそうな怖さを感じてしまう。


「ありがとうございます。プロスパシアの名を頂くのは恐れ多いですが、その名に恥じぬ人間となれる様日々邁進したく思います」

「……君は本当に真面目だね。私が子供だった時なんて、親を困らせてばかりだったのに。それじゃあ、屋敷の案内がてらに君の今後について話しますね」


 そう言うと、彼はかなり早いペースで歩き始める。


「まず初めは、今の君の立場についてです。うちの養子になった、というのは聞いていると思いますが……身も蓋もない事を言ってしまうとですね、君は人質なんです」


 言いやがった。

 俺が思っても絶対口にしてはいけないと思っていた言葉を、何の躊躇いもなく六歳児相手に言い放ちやがった。

 しかもこの間、表情は笑顔のままなの恐怖しかない。

 ……一応、言葉の真意については確認しておこう。


「人質、とはどういう事でしょうか」

「言葉通りの意味ですよ。君の父が裏切った時の交渉材料、と言った方が平和でしょうか?もしもの時の保険でしかないですから、ノベル君はあまり気にしないでください。それよりも、君にとって重要なのはの話ですよ」


 そうだ、俺がただの養子なのは今だけの話。

 そもそもの話、”六歳の時点で婚約は早すぎる” ”でも結婚させる事で両家の同盟を強固な物にしたい”という二つの事情によって生まれた折衷案が、俺を養子にするという物の筈だ。


「いつ結婚するのか、そもそも相手が誰なのか。ノベル君、不安ですよね?」

「……そうですね。恥ずかしながら、やはり不安は大きいです」

「ですよね。しかし、今すぐ答えられるのは前者……時期の話だけです。申し訳ないですが、相手は未定ですので。私の娘達……今は四女まで居るのですが、君が成人する時期に誰かと婚約して頂こうかと考えているのですよ。ノベル君、どうですか?」


 どうですかも何も、本当に時期しか分からない状態でどう反応すれば?

 それに、最低でも俺とお相手の二人分の人生が掛かっている話題を、そんな気軽なノリで話されても困る。

 ……この世界の成人年齢は十五歳、つまり九年しか猶予は無いわけだ。

 長い様な短い様な、なかなか微妙なラインだな。


「結婚については一応分かりました。……参考までに、誰が居るのかお聞きしても?街の方で会いましたから、レクシーの事だけは知っていますが」

「ああ、また屋敷から抜け出していたのですね。彼女が何か迷惑を掛けませんでしたか?彼女は少し人見知りな面もありますから、親としては色々と心配ですよ」

「人見知り、ですか?話してみても、あまりそうは感じませんでしたが……」

「おや?私であってもあまり目を合わせてくれないのですが……余程気に入られる様な事でもしたのですか?」


 ……とても言い辛いのですが、それは人見知りではなく反抗期なのでは?


「彼女とはもう少し話したかったのですが……屋敷に入ってすぐにどこかへ消えてしまったんですよね。こういうのも、良くある事なんですか?」

「はい。ですが夕食の場にはちゃんと顔を出すので、話したいならそこを狙うと良いですよ。今日は君が屋敷へ来た事を記念して、食事も普段より豪華な物の予定ですから、ぜひ旅の疲れを癒してくださいね、ノベル君」


 豪華な食事か……仕方がない事なのだが、この世界の食事は前世と比べるとどうしても味気ない物が多い。

 それでも、ここに来るまでの道中は塩漬けや燻製にされた肉と、とんでもなく硬いパン。正直そこまで得意ではない酢漬けの野菜ばかりを食べていたので、今食べると多分めちゃくちゃ美味しく感じるだろう。

 この世界に来てから初めて、食事が待ち遠しくなってきた。


 * * *


 その後も、アストロ氏の話は続いた。

 内容はもっぱら、アストロ氏の娘……つまり、俺の義姉や義妹であり、婚約者になる可能性もある方々についてだった。

 

 彼女らの趣味や特技、悩み事から細かい癖まで、彼は自分の娘の情報を極めて事務的に説明し続けたのだ。

 一応出来る限りは記憶したが、淡々と話し続ける彼には、正直なところ恐怖を覚えてしまった。


 ……その恐怖が顔に出ない様にしていたせいで、結果として紳士と六歳児が笑顔のまま淡々と話す不気味な光景が出来上がったのだが。


「さて、西館の案内もここで最後です。最も、部屋ではないのだけどね」

「そうなのですか?確かに、他の部屋と扉が違いますね」

「この先はバルコニーとなっているのですよ。三階の奥まった位置ですから、少し来るのは面倒なのですが––––––––」


 少し古めかしい木の扉を、彼はゆっくりと押し開く。

 扉の先は、特に特筆すべき点のないバルコニーだった。

 作りは普通、広さもこの屋敷なら普通。


 ––––––––けれど、この場所は間違いなくだった。


「綺麗……まさか、この屋敷にこんな場所があるとは」

「でしょう?この場所は……私の祖父が屋敷に増設したんですよ。海に沈む夕日が見たい、なんて我儘で建築家に無理を言って。作った人間以外は最高の場所ですよ」

「ははは……でも、本当に綺麗ですね」


 前世では絶景という単語から程遠い荒んだ生活を送っていたせいか、美しい風景に対する語彙を碌に持ち合わせていないのが悔やまれる。

 

 ……この世界には、これを超える絶景があるのだろうか。

 もしそうなら、探してみたい。

 今世の俺が貴族である以上、叶わぬ夢かもしれないが。


「にしても、アストロさんってそんな表情出来たんですね」

「おや?私はずっと微笑んでいたでしょう?それと、私の呼称は父上にして頂けますか?お父様でも、パパでも良いですが」

「……今後ともよろしくお願いします、父上」

「ええ、こちらこそ。それではホールに戻りましょうか、ノベル君。これ以上は、皆を待たせてしまいますから」


 この世界における二人目の父親と、バルコニーを後にする。


 今日だけに絞っても、困った事に分からない事しか無い。

 養子だとか、結婚だとか言われても実感は湧かないし。

 街で実に衝撃的な出会いをしたレクシーの事も、当然ながら一切知らない。

 先ほど、ほんの少しだけ人間的な笑みを見せてくれたアストロ氏の事も……やはり、分かった気にすらなれやしない。


 何よりも。

 俺は、自分が分からない。


 やりたい事もやるべき事もよく分からなくて。

 自分が善人なのか悪人なのかも不明瞭。

 ここにいるのが俺ではなくて、ノベル・サルファー・アルフレッドという、一人の少年だったのなら––––––––


 は、何を思ったのだろう。



 

 

 









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