第3話 これは全て運命だ
緊急停車したせいで、ぐいんと身体が前に押し出され、そのまま背もたれに叩きつけられた。列車の客の中には席から落ちて廊下を転がる人もおり、ほかには荷物が散乱している。
何事だとソレイユが窓の外に視線をやれば、頭が三つある巨大な黒イノシシの魔物が、私達を見て舌なめずりをしていた。
「
「わあい! 美味しそうな人間たちだぁ!」
「へへへへっ、いっぱいだべるぞぉ」
三匹の顔は無邪気に話すが、内容は物騒極まりない。しかも、ぼたりぼたりと彼らの口から垂れた唾液は、野原の草を一瞬にして溶かした。
車内は阿鼻叫喚のまま、皆慌てふためき、家族たちも恐怖で動けず蹲る。その中で、ソレイユは鼻をハンカチで抑えながら、酷い表情で魔物を見ていた。
魔王の、手先だ。
魔王の手先がいるってことは。
たらりたらりと背中に汗を流しながら彼女の頭の中で、嫌な連想ゲームがされていく。そして、出された結論に、彼女の顔が憎悪で歪んだ。もし、そうならばと、黒豚のいる方の空に視線を向ける。
最悪の予想は、空に現れた青白い召喚の魔法陣によって証明された。
「魔王の手先よ、この勇者が成敗してくれる!」
美しく勇ましいボーイソプラノが、この混沌の中で響き渡る。
小さくソレイユはチッと舌打ちをした。
召喚陣から飛び出てきたのは、勇者の証である聖剣を持った少年と、それを取り囲む魔法使いや騎士、聖女たち。
それぞれが、眩いばかりの英雄の証を持っていた。
彼らは各地にいる魔王を滅ぼすために作られた英雄学園で、訓練し卒業した勇者たち。
この世界で、血の鎖を解き、二位以上まで昇級できた英雄たちなのだ。
乗客を貪っていた豚は、勇者を一瞥するが馬鹿にしたように笑うと、別の車両へと食いつく。鉄くずを破壊音と人間の悲鳴、汚い咀嚼音がその惨状を物語っていた。しかし、英雄たちはその惨状に動揺すらしない。
「
騎士の男らしき声に、私の顔はさらに歪む。
彼らは魔王の脅威を取り除くために来てるだけで、四位の人間を助けに来た訳では無い。そして、最悪なことに上位の彼らにとって、電車に乗ってる最底辺の生き物は囮でしかないのだ。
「車両を食ってる今がチャンスよ!」
「ああ、一気に最大魔法をぶつけるぜ!」
最大魔法。ソレイユは慌てて足元の革鞄を手に抱え、それを盾にして車両の窓を破るように外へ出た。他人の事なんか構ってられない。
最大魔法というものは、一瞬にして辺りを焼け野原にするような魔法ばかりなのだから。
そう考えた次の瞬間、予想通り辺り一面に白い光が溢れる。
そして、解き放たれた衝撃は爆風となり、ソレイユの身体を吹き飛ばした。気を飛ばしそうになるのを気合で堪えて、ぐるりぐるりと宙を舞う。
ああ、本当に魔王と勇者に関わると、ろくな事がない。自分の不運に心の中で呆れ笑うしかなかった。
運良く衝撃的な巻き込まれからどうにか生き延びることは出来た。他の人達はどうなったかはわからないが、視界の端に映る列車は見るも無惨な姿だった。
しかし、魔王の手下はそれでも生き残っており、勇者たちは追撃の魔法を食らわせている。
とにかく自分だけでも、勇者や魔王の手下との戦いに巻き込まれないよう、適宜遠回りしつつこの駅まで線路を辿ってきた。
そんな苦労も、この腫れた手の甲も、この眼の前にある顔を見るためだったのかもしれない。
「君は俺の初お客様 ! さあて、金しか見えてないケダモノの巣からはさっさと出よう!」
男は、ソレイユを優しく促し、軽々と横に抱える。更に近づいた男の顔に、ソレイユの頬は赤く染まる。
彼の顔は、この世でも類稀に見るほどの美しい顔立ち。しかも、そんな彼が酷く汚れたソレイユを、何の躊躇いもなく抱き上げたのだ。
「おっと、変態だって思わないでくれよ。女性の抱え方はこうだって、父親に習ったんだ。これでイチコロってね。それを聞いていたうちの母親が『じゃあ私も運んで』って。結果どうなったと思う? 腰やった父親が母親に横抱きにされてたよ。ハッハッハ!」
止まらない寒いジョーク。あまりにも喋り、そして、笑う。でも、なんだか心地よい。横抱きされながら、ソレイユは男の顔をとことん見つめる。そんなソレイユに、男は楽しそうに微笑んだ。
「あんな悲しい表情なのに何度も立ち上がる君から、目が離せなくてね。俺が君を笑顔にしなきゃと思ったんだ。どうか笑っておくれよ、お姫様」
この顔、この美しい顔に出会えただけで、全てチャラになると思えるくらいに。
恋は一瞬で落ちる。
人生最悪だったあの日は、運命の出会いへと変わった。
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