第59話 なにあれこわい

 ふと周囲を見回すと、あれだけ遠くにあった波打ち際が自分のすぐそこにまで来ていることに気が付いた。


「大分満ちてきたなぁ……」


 このダンジョン、『サクラ臨海防砂林』に足を踏み入れてから四時間。

 そろそろ文字通りの潮時だろう。


「そろそろ上がるか」


 俺は足の切り刻まれた巻貝を持ち上げ、最後の一個の魔石をほじくりだす。


 海のダンジョンは探訪者に嫌われがちだ。

 なにせ金属は手入れをしっかりしなければ錆びてしまうし、しっかりした海水浴場と異なり真水を浴びれるような施設はない。

 それに砂や濡れた岩は足場として不安定であり、戦う場としては最悪の部類に近いだろう。


 故に、俺はここに来てから他の探訪者をだれ一人見ていない。

 サカウラが封鎖された影響で多少は来るかと思ったが……皆低い難易度のダンジョンで我慢しているのだろうか。


「まあ大丈夫だとは思うけど……一応やっとくか」


 ひょこっと覗とタイドプールの底にたまった大量の鱗。

 その合間からイソギンチャクがあちこちから頭を出し、今も元気に周囲を切り刻んでいる。


 地獄の切り刻みタイドプール。

 俺が三十分くらいで作り出した、モンチャクをぶち込みまくることによってなんでも切り裂く、巻貝専用処理施設だ。

 人気のないダンジョンではあるが……まあ誰かが間違って足でも踏み込んだら一大事だ。


 俺は刀を逆手に握りしめると――タイドプールを何度も突き刺した!


「おらおらオラっ!」


 突き刺す! 突き刺す! 突き刺す! 突き刺す! 突き刺す!

 わが社では労働の対価に死を与えます!

 よーく頑張ったなぁお前らァ! これがご褒美だァ!


 最初は切っ先からモンチャクの抵抗だろう、連続した衝撃が伝わってきたものだが、一分ばかし突き刺しまくっているとすっかり感触もなくなってきた。

 まあこれくらいやっときゃ十分だろう。


 小さなカニと共に陸へと歩いていき……ちょうどいい岩場に腰掛け俺は一息ゆっくり吸い込んだ。


「よっこいしょ」


 水平線へ吸い込まれていく白い雲、海と交わる空の青。

 それは日本中、どこの海にでも存在するような何の変哲もない光景に見えた。

 だがここはダンジョン、決して俺の知る世界とは同じと言えない。


 例えば空。

 この晴れ晴れとした空は、たとえダンジョンの外が大嵐でも、そして暗闇に包まれた深夜であろうと変わることはない。

 そして今目の前に広がる海。

 天は決して姿を変えようとしないのに、月の引力によって生まれるはずの潮汐がなぜか起こる。

 それはすべて、決まって昼の十二時を起点としたもの。


 まるでいつか記憶されたままの景色を、何度も何度も再生しているみたいだ。


「ふぁぁ……『水よ』」


 巻貝を転がしていただけとはいえ、あいつら自体結構な重量感があった。

 疲労感からついつい出てしまったあくびを噛み殺し、すっかり海水や砂利の入り込んでしまった靴を、生み出した水で洗い流していく。


 そう、ダンジョンの光景はいつも変わらない。

 モンスターは狩りつくされようと気が付けば復活している。

 木は切り倒されても元に戻っているし、地面は深く掘り起こされても気が付けば埋まっている。


 すべてがまるで、時計の針でも巻き戻したかのように元通り。

 何もかもが不思議な、不思議なダンジョン。

 どれだけの人が命を落とし、それでもなお無数の人を魅了してしまうのは仕方がないのか。


 いや、俺自身も惹かれ切っているのだ。

 正直なところこの『サクラ』に広がる広大な海、ボートひとつで漕ぎ出してみたいとすら思っている。


 現状フィールド型のダンジョンの果ては確認されていない。

 噂じゃ同じ場所に戻ってきてしまうとも言われているが、じゃあ行ってみようというやつはいない。

 もしかしたら果てなんてなくて、帰ってこれなかっただけかもしれないけれど。


「今日はここでメシでも食うか」


 ふと、ゆっくり近寄ってきた波のさざめきを聞いていたら、そんな気分になった。


 いつもの俺なら決してこんなことしない。

 だってそうだろう、ダンジョンは難易度にかかわらず少し気を抜いたら死ぬような環境だ。

 多少レベルが上がった今の俺ですら、もし無防備にスライムの攻撃を受ければきっと致命傷になる。


「外で弁当を食うなんて久しぶりだなぁ」


 具のないおにぎり、千切れたたこさんウィンナー、熱の入りを確認するため真っ二つになった唐揚げ、卵焼きの切れ端。

 どれも余り物を詰め込んだウルトラあまりもの弁当である。


 普段はこんなに余り物など出さないのだが、なぜか今日はやたらと多く出たため弁当を作ったのだ。

 もしかしたら……海に俺の心は無意識ながら惹かれてしまって、敢えて作ってしまったのかもしれない。


「やっぱ海っていいよなぁ」


 潮の香りと少し湿気たべたつく風。

 見ろ、このどこまでも続く水平線を。


 本当に、ボートでも浮かべたいものだ。

 釣り糸なんか垂らしながらのんびりと飯を食って、持ち込んだ漫画を読みながらジュースでも飲むのも悪くない。


 あぁ……


「……ぁぁぁぁあああああああ!?!?!」


 海が、爆発した。


「なに!? なんなの!? 何が起こったの!?」


 サメ!? クジラ!? いや、そんな連中よりもっとバカでかいぞありゃ!?


 突如海を割って現れたのは、あまりに雄大な体を持ったバケモノだった。

 火山の様に天へ突きだすのはモンチャクだ。だが俺が戯れていた雑魚など比べ物にならない、体積比で数万倍、いやそれ以上はあるに違いない。

 とんでもなく太い触手をぶんぶんと振り回し、周囲の空気を切り裂く音がここにまで届く。


 しかもう、動いてる!?


「なんだありゃぁ……」


 唖然とした。

 水の底に隠れているのだろうが、多分あのイソギンチャクの下にはなにか・・・がいる。

 それもあのクソデカイソギンチャクすら比べ物にならない、とんでもない化け物が。


 一瞬で俺は察した。

 やつこそが、あのモンチャクの下にいる怪物こそが、このダンジョンのボスであると。


 え。

 この海ってあんなのいんの?

 地獄じゃん、こわ。


「……うーん」


 もっちゃもっちゃとおにぎりを食いながらバケモノの闊歩を遠目で眺め、俺は小さく唸った。


 ボート浮かべたら死ぬわ、やめよ。

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