第60話 ぴょ
「ふぃー…やっとついたぁ」
海遊びでくたくたの体でチャリを漕いで一時間。
毎日探訪者として歩き回っているとはいえ、デカい巻貝を持っては投げ込んでを繰り返していればさすがに疲れた。
額の汗を腕で拭いながら探協の自動ドアを潜り抜け、全身に巻き付く心地のいい冷気に目を細める。
あー疲れた。
「ふぁぁ……」
あくびをしつつ無機質な白い廊下を超え、受付へと足を運ぶ。
時間は三時を回る頃合。
海の都合でどうしてもこの時間帯になってしまったが、やはり受付に並んでいる人は多い。
どの窓口も大盛況の行列だ……一つを除いて。
そう、
ピン、とまっすぐに背筋を伸ばして正面を向いている。
くそっ! 今まではただ無表情で怖いからかと思ってたのに!
支部長だと分かっちまったからには死ぬほど並びたくねえ……!
「あっ」
目が合った。
今絶対目が合った。
間違いなくこっち見た。
「後ろ失礼しまーす」
俺の選択は早かった。
ポケットに手を突っ込み、いかにも当然といった態度で長蛇の列の一員へと転じる。
いやぁ~今日の探協は混んでるなぁ~!
しかし怜悧な声が俺を呼び止めた。
「そこの方、刀を持っている今来たばかりの貴方。こちらが、空いていますよ」
ニ゛ゴォ……と擬音が聞こえてきそうなほど歪な笑顔とともに、受付のお姉さん、もとい佐竹支部長がこちらへと手招きをしている。
「アッ……ハイ」
行きたくないなぁ!
本当に行きたくないなぁ!
ちらちらと後ろを見ながらちんたら歩く俺。
今まで気にしていなかったが、よく周囲を観察しているとこちらへ何人か視線を向け、少し哀れんだかのような目つきをしている奴らがいることに気づく。
奴らは全員彼女の正体を知っているのだ。
「通り道の邪魔になりますよ」
「ウッス」
なんて常識的な指摘なんだ。
列の最後尾から俺を衆目の場へと引きずり出したとは思えないほどだ。
俺は泣きながら素早く彼女の前へと立った。
「れ、レベルチェックと換金おねがいしまーす…」
魔石がある程度詰まった袋を手渡し、できる限り最小の手数会話数で帰ろうと心に決める。
あー俺忙しいんだよなぁ!
なんたって今日はイソギンチャクと巻貝の二種類を持ち歩いてるし!
最近どんどん熱くなってきてるから痛みそうで怖いなァ!
「なぜ避けるのですか?」
だが俺の祈りなど関係ないとばかりに、しれっと佐竹支部長が俺へと会話のボールを投げつけた。
「支部長だからですかね」
「たったそれだけの理由で?」
たったそれだけの理由です。
ただでさえ定期的に会話の合間で
佐竹さんの前では俺は風前の灯火……ってコト!?
権力のあるゴリラとか最強だろ、鬼に金棒の類義語といっても過言ではない。
すると魔石を数えていた彼女は少し眉を顰め、いたって悲しげな掠れ声をあげた。
「私とあなたは三か月も共に過ごした仲だというのに」
言い方ァ!
ただの受付嬢と一般探訪者としてしか触れ合ってねえよ!
なんなら名前知ったのも昨日だろがッ!
「ばっ!? あまりに語弊がありすぎる!」
「そろそろ親しさを込めてクーちゃんと呼んでくれてもいいんですよ」
「クーちゃん!?」
クーちゃん!?
『佐竹』『クレハ』の二択からあえて苗字じゃなくて名前のほうを!?
せめてさっちゃんで我慢しろよ!呼び名で距離を縮めるってレベルじゃねえぞ!
宝くじのマスコットキャラクターみてぇなあだ名提案してきやがってよォ!
驚愕したまま彼女の手元を見ると、すでに魔石は机の上から取り下げられている。
どうやら減らず口を叩きつつも換金は終わっているらしい、そこはまじめにやっているのが死ぬほど悔しい。
だがこれは幸運だった。このまま佐竹さんの話に付き合っていると、俺は間違いなく狂ってしまう。
「あ、あの支部長……? もう換金も終わったみたいですしそろそろ……」
そこはかとなく目の前にあったトレーをそっと彼女の側へと押し込み、遠回しなアピールも欠かさない。
「クーちゃん」
とんとん、とテーブルを人差し指で叩きながらニ゛ゴっと笑顔。
あまりに下手くそすぎるその笑顔は邪悪そのものだ。
この女無敵か?
だれだよこの人に権力持たせた奴。
「く、クーちゃん……?」
「初々しい恋人同士のようですね、シーちゃん」
「やめろ! 俺を呼ぶ時まであだ名を使うな! どこの世界に換金を盾にしてあだ名を強制する恋人がいるんだよ!」
もういいからさっさと終わらせてくれよ!
「シキミさん」
「いきなりまともに戻るじゃん、こわぁ」
「本日の清算金、8760円です。それと探協ではもう少しお静かに」
「誰のせいだよ! お金はいつも通り銀行でお願いします!」
◇
「はぁ~~~……ただいま」
家に足を踏み入れた瞬間乱雑に靴を脱ぎ、天井を仰いで大きなため息。
鍵が閉まっていた時点で分かってはいたものの、家の中から返ってくる声はない。
スズはまだ高校から帰ってきていないようだ。
なんか無駄に疲れた気がする。
言わずもがな主に佐竹さんのせいで。
はたしていったい誰が初見でわかるだろうか、彼女がコミカル無表情女であるということに。
「大丈夫そうだな」
ハンカチを巻いていた部位をまじまじと眺め、何も変化がないことを確認する。
俺がハンカチを腕に巻いていた理由。
それはなにかケガを負ったとか、見せられない事情があるわけでもなく、このハンカチの裏に貼っておいた巻貝とイソギンチャクの肉片だ。
あの海のダンジョンから帰ってくるまでに一時間、その時間何もしない、というのももったいないので、いつもは家で行っているパッチテストを行っていた。
結果は良好。
少なくとも肌がただれたり、何か痙攣、赤く腫れあがるといったことはなさそうだ。
「んじゃさっそく一切れ……っと」
小型のナイフを巻貝の奥へと突っ込み貝柱を切除、上手いこと貝殻を回しながらくりぬくと、中からどぅるん! と盛大に大きな身と内臓が飛び出してきた。
でっっっ……か!
サザエ、アワビ、ほら貝。
巻貝の中でも大型になる連中というのは、どうにもお高く貧乏家庭では手を出せないやつが多い。
だがこいつはそんな連中をはるかに凌ぐサイズ、持って帰ってくることすら一苦労だったにもかかわらず無料というのが素晴らしい。
内臓……は少し怖いな。
今日は筋肉だけにしておこう。
筋肉の部位、所謂巻貝の足を薄くそぎ切りにし、醬油を薄く垂らしてそのまま口へと放り込む。
まずは少量、毒性のチェックもかねてのファーストアタックだ。
「こ、これは……!!!!!!!」
常に這いずり回る巻貝特有のクニュ、コリっとした歯ごたえ。
ぐいぐいと歯で押しつぶすと口の中へあふれ出したのは……
「ぴょ」
海の匂いという名のすさまじい腐敗臭と舌先の痺れるえぐみ、突き刺す酸味だった。
俺は気絶した。
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