第56話 一旦後回し

 覗き込んだ双眼鏡七百円の奥、夕方も深まり薄暗くなってきたにもかかわらず、あくせくと幾人もが門を出入りしていく。


「んー……」


 人多すぎだろ。


 諦めきれずサカウラへと訪れていた俺は、覗き込んでいた双眼鏡から目を離し、小さく木の上でため息を吐いた。

 佐竹さんの話は残念ながら本当のようで、やたらと物々しくガタイの良い連中がさっきから様々な機材を運び込んでいる。

 きっとどれもちゃんとした研究用の機材なのだろう。


「はぁ……帰ろ」


 こりゃ無理ですわ。


 クラゲ汁はすさまじい効果を持っていた。

 だが侵入しても間違いなくバレるし、そうなれば探索者の資格を喪失することとなる。さすれば当然ダンジョンへ潜ることも無理だ。

 モンスター肉の成分研究のために、肝心の資格を失ってしまえばわけない。


 冷静になれ、最優先はスズの大学費を集めること。

 どうせ一週間か、一か月もすれば入れるようになるんだ。

 せっかくレベルも27になったのだから、今しばらくは他のダンジョンで別のモンスターをいじるしかないか。


「おーい君―! ちょっと降りてきなさーい!」

「ん?」


 耐えがたい悲しみを背負った俺の足元で、突如誰かが大きな声を上げた。

 最初は他のだれかに声をかけているのかと思ったが、降りてこいと言っているあたりどうやら俺に対して言っているようだ。


 いったい誰だよ……なんかこの声、どっかで聞いたことがあるような無いような……


 足元に向けた俺の目に飛び込んできたのは、青を基調としたあの・・制服だった。

 警察だ! しかもあの顔、見覚えがあるぞッ!!


「あっ、アンタはっ!?」

「ん? 君、どこかで見たことが……?」


 いぶかしげにこちらを見る警察。

 奴はそう、俺が魔物喰い亭を開いてから爆速でやってきて、俺を署まで連行した警察官だった。


 畜生っ! なんでこいつここにいるんだよッ!

 まだ・・俺は何もやってないってのにッ!!


 ヤツを視認した俺は早かった。

 爆速で木から飛び降り、こびへつらった笑みを浮かべ警察官の横へとすり寄り、実に好青年な笑顔を浮かべる。

 どれだけ偉ぶろうと国家権力には逆らえない、我々は権力の飼い犬に過ぎないのだ。


「んー? ……ああ、君確かモンスターの肉を扱った店を出していた。まさかまた何か」

「い、いやだなぁー! 俺は見ての通り完全無欠の平民野郎ですよ?」

「一般的に完全無欠の平民野郎は、そんな怪しげな格好で双眼鏡を覗いていないんだけどねぇ」


 なんか疑われてる!

 流石ポリ公、勘がウルトラ鋭いでございますねぇ!


「いや実はですね、普段潜ってるダンジョンがなぜか封鎖ということで、ちょっと気になって見てただけなんスよ」

「なるほどねぇ、何かくだらないことは企んでいないのかい?」

「く、くだらない事って……」


 取り消せよ……!! 今の言葉ァ……!!!

 こいつ、俺を笑いやがった……!


「何もしてないっすよ! じゃあ自分忙しいし帰るんで!」

「あっこらちょっと待ちなさい!」


 爆走遁走さらば警察!


 くそっ! 今に見てろよ国家権力!

 いつか何もできる予定はないけど覚悟しやがれッ!!



「ハァ……! ハァ……!」


 結局捕まって普通に職質された。

 自転車には勝てなかったよ……しかもめっちゃいろいろ疑われた。


 人をまるで犯罪者かのように言いやがって!

 まだ今のところはおそらく比較的何もしてないってのにッ!


「……はぁ、ただいまー!」


 すっかり上がってしまった息を家の前で整え、すこし明るい声を装って家の中へと踏み込む。


 クラゲとポリスの一件は残念だが切り替えていく。

 俺は巷で切り替えのシキミとして名を馳せる予定の男、これくらいの切り替えはわけない。


「おかえり」

「今からちゃちゃっとメシ作るわ、ちょっと待ってろ」

「……うん」


 返事は返ってくるも、しかしどこか元気のない声。


 リビングのちゃぶ台、そこにスズはいた。

 丁度彼女も帰ってきたばかりなのだろう、傍らには鞄、そしてセーラー服を着こんだまま、ぼうっと薄暗い部屋でテレビを見ている。


「目悪くすんぞー!」


 部屋の電気をぱちぱちと付けつつ奥へ。


 暗い部屋で物を見るとはなんという大罪を犯しているのか。

 スズの目が悪くなったら……お兄ちゃんはもう……お兄ちゃんはもう……!

 いや、考えたら眼鏡も悪くないな。


「……ありがと」

「どうした、元気ないな」


 冷蔵庫を覗きながらスズへと声をかける。


 キャベツと玉ねぎ、にんじんの冷蔵庫三銃士はどうやら健在のようだ。

 毒抜きして冷凍しておいた鉄鋼虫の肉もあるので、時間もないし軽い野菜炒めとみそ汁で決まりだ。


「ううん、なんでもないよ」


 指先で髪の毛をいじりながら、彼女はこちらへ目もくれずに小さくつぶやく。


「スズ、髪」

「あ……」

「言えよ、楽になるぞ」


 ちゃかちゃかと料理をしつつ彼女へ話をせっつく。


 髪の毛をいじるのはスズの癖だ。

 それも不満や不安、心理的に弱った時の。

 親父達が死んだときは特にもうすごかった、髪の毛を指先でいじりすぎて全体に軽いパーマがかかっていた。


 まあそんな癖見ずとも俺なら一言喋るだけで気付いてしまうけどね。

 何故なら俺が最強のお兄ちゃんだから!


 さて、一体何がそんなに不安なのだろうか。

 勉強で心配事が出来たのか、それともいじめか。いや、まさか恋か……!?

 殺すか。


「その、ね。他のクラスの男の子なんだけど、近くのダンジョンに入っちゃって……」

「え!? おいおい、まさか」


 殺そうかと思ってたらもう死んでた。


 想像だにしえない重い話が出てきてしまったことに、ついついデカイ声が出てしまう。

 スズの高校はここいらでもトップクラスの進学校なのだが、実はほぼ隣と言っていい場所にダンジョンが存在する。

 難易度は確か……CだったかBだったか、どちらにせよでもレベル50は最低でも必要な、比較的難易度が高いダンジョンと言える。


 おそらく今の俺では太刀打ちがまともにできないだろう。

 そんなダンジョンに高校生が?


「い、いや! 死んではいないよ! でも……結構重傷だったみたい」

「そう、か」


 幸い死にはしなかったようだ。

 現代には回復魔法がある。病院や探協に運ばれるまでの延命措置さえ間に合えば、外傷による死はめったにない。

 おそらく件の男子高校生は、一生忘れることのないトラウマを刻み込まれただろうが。


 まあぶっちゃけそっちはどうでもいい、顔すら知らん赤の他人だ。

 それよりも――


「――やっぱり学校変えるか?」


 スズの心の方が大事だろう。


 俺達の両親はダンジョンで死んでいる。

 正確にはダンジョンが突如として周囲の空間を取り込む、『改変拡張現象』によって囚われ、俺の持つ懐中時計以外は肉体の一片すら残らなかった。

 スズは表面上乗り越えたように見えても、きっとその心の奥底にはまだあの恐怖が、絶望が、怒りがこびりついている。


 転校の話は何度かしているものの――


「だ、大丈夫! それに転校すると特待生無くなっちゃうし……」


 やっぱり今回もこれだ。

 私立の特待生で入ったスズは現状学費があまりかかっていないものの、転校するとなれば今までかかったであろう金を返済することになる。

 俺は今までそれを払うことが出来ず、スズの大丈夫という言葉に甘えてきた。


 だが今は違う。

 探訪者としてこの半年着実に実力をつけ、凄まじくギリギリではあるが、一括でなければ学費を返済するくらい可能だ。

 妹に気を遣わせずともどうとでもなる。


「まだそんなこと気にしてんのか!? 大丈夫だ、全部俺が用意しちゃるけぇのぉ!」


 よし、やめさせよう。

 明日から他の私立か空いてる公立を探そう、スズの学力ならどうとでもなる。

 腹を決めた俺は爆速でスマホを取り出し、登録しておいた電話番号を連打した。


 ええと、確かスズの担任の名前は……っと。


「あ、もしもし? 毒島ぶすじまスズランの兄で」

「い、いいって! というか行動が早すぎるって!」

「ああっ!? なにをするんだスズ!」


 ぴょい、と俺の横で小さくジャンプしたスズがスマホをむしり取り、電話を切ってしまった。


「もー! 勝手に退学なんてさせたら嫌いになるからね!」

「いいぞ」


 そして禁じ手ともいえる一言。


 俺はそれを聞き……首を振った。


「お前が悲しむくらいなら、死ぬくらいならいくらでも嫌っていい」

「お兄ちゃん……お願い」


 まっすぐな茶色い瞳が俺を貫いた。

 奥に見えるのは硬い意志。たとえ俺が何を言おうと、決して縦に首を振りはしないという決意。


 まったく、この妹は……


「もし何かあったら俺を呼べ」


 本人がここまで言うのなら、強制はできまい。


「絶対に助けに行くから」

「うん」


 ぽんぽんとその頭を叩いてリビングへと送る。


 いつからこんなこいつはデカくなったのか、昔はもっと小さい気がしたが。

 さて、メシもできたし食うか。

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