第44話 死ぬほど愛してる
「諦めないでシキミ君、ほら立つんだ!」
優男がまっすぐにこちらへ走ってくる。
「バカ野郎が……なんで逃げなかった、ツムギ」
「なんでだろうね」
目の前でモンスターが蠢いているというのに、その行動に躊躇いは何一つとしてない。
彼は俺の横まで走ってくるとこちらの腕を肩へと回しかけ、さあ立ち上がれと引っ張り上げる。
だが俺はふと、違和感に気付いた。
待て。
ツムギは今の俺ほどではないとはいえ、相当に怪我を負っていたはず。
何故こんなに動き回れるんだ? 先ほどまでは瀕死だったじゃないか。
視線を落とすと服はやはり変わっていない。
大きく避けた脇の服にはべったりと血が張り付いている、しかしその下から垣間見える肌には傷が見えなかった。
「怪我はどうした」
「全力で外に出てすぐ、回復魔法の指輪を持っている人にかけてもらったんだ。運が良かったよ」
「なるほど、ね」
引き上げられた瞬間、わき腹から脳天へ突き抜ける痛みに呼吸が一瞬止まる。
「さあ一緒に逃げるよ」
「あ゛ぁ……さっきまでは、俺の方が元気だったんだけどなぁ……」
回復魔法の指輪。
俺がヒマリから貰った指輪のように魔法が込められた指輪だが、その価値はけた違いだ。
なにせ魔法を習得せずとも回復ができる、これだけで誰しも喉から手が出るほど求めるのは言うまでもなく、他の指輪と同じ制作難易度だとしても需要に対して供給があまりに少なすぎる。
運が良かった。
ツムギの言う通りだ。そんなのを持ってるやつが、ましてやDランクダンジョンにいるなんて。
だが……
「……その運の良さをこんなことに使うなんてな、分の悪い賭けが本当に好きだな」
「この行為に価値があるかはボクが決めるよ」
「へへ、死んだら価値もクソもねえけどな」
マジで笑っちまうぜ。
最高だ。こんな笑えることはねえ。
外まで逃げて、運よく回復魔法を施してもらえて、それでわざわざ死に掛けた場所に戻ってくるバカがいるかよ。
「いっ……あぁ。足手まといがいるんだ、あいつらから逃げんのは無理だ。ツムギも移動速度は見ただろ」
「やって見なきゃ分からない」
いいや、分かり切ってる。
たとえこいつが俺を背負って逃げたところで、間違いなく追いつかれる。
線路の上で新幹線と鬼ごっこだなんてガキでもしないだろう。
……だが、やって見なきゃ分かんない、ね。
「ツムギ、今のお前は戦えるか?」
「今の君よりは、ね」
だるい腕をどうにか動かし、ツムギの肩から外して刀の柄へと手を回す。
はあ、困った。
どうにもこのイケメンは俺を逃がしたくてたまらないらしい。
間違いなく逃げ切ることなどできないというのに、モテる男は困るね本当に。
「……準備がいる、元気なお前に頼み事だ」
「準備? 一体なんのだい?」
「分かってんだろ?」
クラゲどもへと視線を向ける。
ツムギが来てから数十秒。たったその程度の時間で、もう大半の組織の見た目は治り切っている。
下手に近づくことはできない。あの大量の触手が今すぐにでも襲ってくるだろう。
全くふざけた連中だ。
サイズからして質量は数トンは下らない連中が、互いに推定時速数十キロで正面衝突。
大型のトラックでもぐちゃぐちゃになるであろう衝撃を食らって、もう見た目は治りかけてやがる。
「あのバケモノどもをぶっ殺す準備だよ」
そいつらをぶっ殺そうとしてる俺は、もっとふざけてるかもしれねえけどな。
◇
「……帰りてぇ」
アツアツのご飯とみそ汁を食いてぇ。
それと納豆。でも和食だけだと物足りないだろうからステーキも食いてぇ。
あのぐにゃぐにゃした脂身を一生噛んでてぇ。
刀を片手に仁王立つ。
三十秒だ。
残り三十秒。もしかしたらそれより早いかもしれない。
やつらが体を修復させ、移動可能に至るまで残された時間。
ツムギに頼んだのはたったひとつ。
三十秒以内に、とあることをしてもらう。
もし
これだけは絶対の約束とした。
「十一……十二……あぁ、早えよクソッ」
動き出しやがった。
内部の組織もある程度修復が終わったのだろう。
先ほどまでのむやみやたらと揺蕩っていた触手たちが、明確な意思をもって周囲へと広がり始める。
その中で一本。細いものの、その分長く動かしやすいのであろう触手が、ふと俺の頬へと掠り熱が広がる。
だが動かない。
今の俺はたとえその時が来ないとしても、待ち続ける以外に選択肢はない。
「二十一……二十二……」
閉じた瞼の裏に広がる無限の暗闇。
深く吸った呼吸、冷え切った空気が肺を満たしていく。
零れる砂の音。
浮かび上がった奴らの触手が地面を舐めまわし、ついぞ明確な意思を持つ。
来る。
あの速度で。
来るぞ。
「――シキミくん!」
「……ジャスト三十。待ってたぜ、死ぬほどな」
猛然と迫るバケモノども。
それ待ち受ける俺の頭上へと、一筋の影が背後から飛びかかった。
「『水よ』ッ!」
ためらうことなく頭上へと剣を突き上げる!
ずぶりとした確かな感触。俺が突き刺したのは――蜘蛛の死骸だ!
指輪から巻き上がった水流が刃を伝い蜘蛛の全身を包み込み、薄い青の血と共に、その体へと残った体液をすべて巻き込み回転していく。
最後、脳天に存在する毒袋を破り、麻痺毒がすべて水流へと飲み込まれたのを確認した俺は――その刃を自分の脇腹へと突き刺したッ!
「ク゛……うっ……!」
瞬間、突き抜ける衝撃。
神経が焼かれる激痛に意識が飛びかける。
だが飛ばない、飛ばせはしない。
目を見開き、即座に刃を抜き、真横へと刀を構え俺は走り出した。
「はぁ……! はぁ……ッ! 行くぞァ!」
走り出した瞬間、俺の目前に広がっていたのは触手たちの襲撃だ。
どれもこれもクソほど極太、頭や胸に巻き付かれればあの巨大な刺胞で貫かれて、毒が回る前に死に掛けるだろう。
当然真正面から受けるわけにはいかない。俺は片腕を真正面へと突き出し、しかし速度は一切抑えずに直進。
腕は犠牲にする? いいや違うね。
「――効かねえよボケ!」
確かに巻き込まれたはずの俺の腕。
十数本という大量の触手に包まれた俺の腕は、しかし刺胞によって貫かれることはなかった。
理由は単純。
奴らの飛び散った体の一部、それを体へと塗りたくっておいたからだ。
一般的なクラゲに刺されたとき、決してやってはいけないことの一つに真水をかけてはいけない、というのがある。
これは手などに残っていた触手が、浸透圧の差で刺胞を射出してしまい、より怪我が酷くなるためだ。
空中に生きる奴らにこんな理論は関係ないと思っていたが、先ほどの絡み合いで反応しなかったのなら、やはり似たような自分は刺されない機構を備えているに違いない。
なら、衝突で飛び散った傘の一部を塗っておけばいい。
俺は衝突で飛び散った傘の一部へと飛び込み、転がりまくって全身へ塗りたくった。
こんなに水分のあるものを塗りたくったのは、幼稚園の泥んこ遊び以来だ。
「ガチ恋距離だ、俺と愛し合おうぜクソクラゲェ!」
無数の触手が体の正面へと触れるが、俺は迷わず更に一歩クソクラゲへと踏み込んだ。
今なら触手の中に仕舞われた刺胞の一つすらよく見える。
本当に馬鹿かってほどデカイ。
デカい、が、
「――『一閃』ッ!」
体のど真ん中で刀ぶん回されたら、多少は効くだろうがよ!
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