第40話 罪な男達

「そろそろ行こう、薬も効いてきただろ」


 一時的に借りていた地図を折りたたみ、視線を横へと向ける。

 そこには立ち上がりしばらく体の調子を見ていたツムギが、じいとこちらを見つめていた。


 顔色は随分とましになっている。

 もちろん傷が傷だ、まるきり万全健康体とは言えないものの、毒による神経が焼かれるかのような痛みがなくなるだけでも相当楽になっただろう。


「傷の痛みはどうだ」

「……大丈夫、戦闘だって」


 腰へ下げた柄へと手を伸ばし、さも余裕だといった表情で振る舞っているが、あのケガと状態を見て問題ないと判断できるほどこちらも目が腐っちゃいない。

 柄頭に手を当て、そっと首を振る。


「戦闘は出来る限り避ける。さっさと二階層の階段まで行かねえと、俺の腹が減って持たねえだろ」


 代わりに胸元へ、先ほどまで俺が見ていた三階層の地図を突き出してやる。


「道案内を頼む。餓死しそうだから最短ルートだ、お前が頼りだぜツムギ」


 追撃に飛び出す俺の華麗なウィンク。

 何か役割の一つでも渡してやらなければ、こいつは必要もない気を負ってしまうだろう。


「……君は嘘つきには向いていないね」


 しかしわずかな静寂の後帰ってきたのは、実にあきれたような顔つき。

 いやはや困った、頭をポリポリと掻いて笑う。


「やっぱ勝手に滲み出しちゃうんだよね、素晴らしい人間性ってやつがさぁ」

「素晴らしい人間性を持つ人は普通そんなこと言わないと思うよ」

「いーや言うね。俺の周りにはそんな奴がいっぱい居たからな」


 くだらないいつも通りの会話を交わしつつ、角から顔だけを出し周囲を見渡す。

 敵影はない、出るなら今だ。


「ふふ、見たことないよ」

「じゃあちょいと後で語ってやるか、ここを出てカフェででもよ」

「……うん」


 俺は鞘から刀を引き抜いた。


.

.

.



「次の曲がり角で右、直ぐに左」


 地図を眺めるツムギの指示に合わせ通路を往く。

 彼の指示は的確だ。何度か角で出会ってしまったため戦闘に入ったものの、基本的には多少通路を迂回するだけで済んでいる。


 初めは緊張感の漂う移動だったものの、俺の戦闘の安定感、そして彼の指示の的確さから、次第に俺たちの間には落ち付いた空気が流れだした。

 となれば、ついつい口を開いてしまうのも人間の性だろう。


「いったい何があったんだ? 道中に妙なスライムみたいなのがあったんだが」

「っ! 君も見たのかい!?」

「ああ、本体っぽい奴には出会わなかったけどな。触ったらなんか飛び出してきてビビったわ」


 話題のやり玉に挙がったのは、やはり三階層に挙がってから真っ先に見つけたアレ・・だろう。


「この地下迷宮のボスだよ、まさか出会うなんて想定外だった」

「ふむ……」


 その対象はやはり、というべきものだった。

 なにせ二階層まででは見たことのない痕跡、そして何よりツムギの受けていた傷。

 その症状からして俺が受けた、あの突然飛び出してきたナニカと似たようなものを受けたのは明白。


 しかし一つ気になる点がある。

 ツムギ本人も語ったが、もしそれがボスモンスターだとしたら、そこまで動き回っているのはかなり珍しい例だと言える。

 ボスモンスターが縄張り内を動き回ることは多々あるものの、迷宮型のボスは大部屋に居座ることが多いからだ。


 無論ゼロとは言わない。

 しかし三階層に踏み込んでいるツムギたちは当然情報を集めているはず、そんな彼らが想定外というのだから本来は違うのだろう。


「ダンジョンだから、で片づけてもいいんだけどな」


 俺の言葉にツムギが頷く。


 結局まだダンジョンが生まれて三年ばかし。

 分かっていないことなど数多あって、それこそ今まで自分が普通だと思っていたことが、他人にとっては未知の知識なんてことしょっちゅうだ。


 色々探りたいがあまりに情報が足りない。

 今回の一件は特に重要だ、なにせこのサカウラ地下迷宮はここいらでも多くの探訪者が集まる。

 探協に報告して、より強い探訪者に調査してもらう方がいいだろう。


「――シキミ君、正面気を付けて」

「おう」


 彼の警告と同時、やかましい鳴き声が冷たい回廊に響く。ゴブリンだ。

 だが幸いにして一匹らしい。何か妙にテラテラとぬれているソレが俺へと突撃をかまし――横を駆け抜けた。


 っ!?

 不味いッ! 後ろには戦えないツムギがいるッ!


「っ!? 逃げろっ!」


 くそっ、さすがに腑抜けすぎたか!?


「きゃっ……」


 しかし襲われたであろう一瞬悲鳴を上げかけるも、続く声がない。

 慌てて振り向いた俺が見たのは、唖然と口を開け目を丸くするツムギの姿。

 ゴブリンは見当たらない。


「あ、れ……逃げたみたいだ」


 尻もちをついて両手で顔を覆っていたものの、ツムギの体に傷はなかった。

 奥の通路へ視線を向けると、なるほど、確かにゴブリンが背を向けてどんどん奥へと走っていく。

 まるで俺たちのことなど目にも入っていなかったかのようだ。


「……なんだ? あんな様子見たことねえぞ」

「他の探訪者がいたとか、なのかな」


 戦闘音はまるきり聞こえなかったが、ツムギの言葉以外で特に思い当たる可能性はない。

 どちらにせよ幸運だった。当たり所が悪けりゃ散々弱っているツムギだ、ゴブリンの一撃でも最悪死にかねない。


 それから俺らは再び気を引き締め、無言でダンジョンを歩いた。

 二十分ほど経っただろうか、ふとツムギが口を開く。


「シキミ君! そろそろ階段が見えてくるはずだよ!」


 少し気分が高揚しているのだろう、一オクターブ高い声で彼がうれしい言葉を伝える。

 実は俺も気づいていた。なにせこの地面に散らばるプルプルとした物体、これは俺がダンジョンに侵入したとき見かけた奴だ。


「おお、そかそか! そういやツムギ、ところでボスってどんな見た目だったんだ?」

「そうだね……」


 ついつい俺の口調もテンションが上がってしまう。

 そして聞こうと思っていたものの、先ほどのこともあってなかなか聞けていなかったことを口にした。


 が。


 笑みをこぼしていたツムギの顔から表情が抜け落ちた。


「とっても大きなクラゲ、かな」


 その視線はまっすぐ、この通路の先へ向かっている。


「なるほど、丁度あんな感じって訳だ」


 二階層へ向かう階段につながる通路は一本だけ、横道などは一切ない。

 ヤツはその路地の真ん中へ居座っていた。

 悠然と非常に長く、巨大な触手を無数に揺蕩わせ、静謐に溺れたままその半透明の巨体を空中に浮かばせて。


 一度どこかの映像でエチゼンクラゲを見たことがあるが、世界最大級と言われるアレですらこいつとは比べ物にならない。

 いったいどれだけだ。傘だけでも俺の身長4、5人分はあるだろう。


 てっきり散らばってる破片からスライムの仲間かと思っていたが、そうか。

 こいつが、このバカみたいに巨大な水母クラゲがこのダンジョンのボスか。


「……ああ、どうしてこうなっちゃうんだろう」

「モテるイケメンは辛いねェ」


 水中のお母様まで魅了してしまうとは、マジで俺達ってば罪深い男だぜ。

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