第35話 言葉足らず!

「シキミさん、貴方に質問があります」


 突如首元へと刃が突き立てられる。


 はて?

 俺は数分前まで楽しい食事をしていたはずなのだが、一体なぜこんなことになってしまったのだろうか。

 何か冗談かと思ったが、どうにもここに来るまでのヒマリが纏っていた雰囲気からして、あまりそっちの可能性は期待できない。


 ゆっくりと両手を自分の前で上げる。

 何が何だか分からないが俺は彼女の動きや発言に従うことにした。大丈夫だとは思うが、彼女がその気なら俺は蟻の様に叩き潰されるからだ。


「あー、質問ならお好きにどうぞ。俺に答えられる範囲でな」

「先ほどの食事をしてから、私は痛覚に関する感覚を喪失しています。腕を見れば貴方も同じようですね」


 俺の腕からつぅ、と一筋の血が浮かんで零れ落ちる。

 確かに手首の部分を浅く切りつけられたようだが痛みを感じない、ヒマリが言う通り俺は今痛覚を失っているらしい……まあ俺はそれ以外のことに意識が向いていたのだが。


 剣振ったの全然見えんかったわ。

 すげえ、これがトップの探訪者か。


「私に何をしたのですか」

「何もしてねえって」

「傷が増えますよ」


 ぐぅ、と首元へ突き付けられた剣が一層近づいた。

 若干密着した状態、彼女が指先を俺の目の前へと差し出し一言何かを唱えた瞬間、空中に突如として紫炎が生まれた。


「この火は嘘を嫌います……二枚舌は不要な分を焼き切ってしまうかもしれませんね」


 なんてサービス精神が豊富なのだろう。

 首元の剣で十分恐怖体験なのだが、追加で炎の脅しまでもらってしまった。


 彼女の言葉から推測するに。要するに俺は何か一服盛ったのではないかと思われているようだ。

 今の俺や彼女が痛覚を喪失しているのも、俺が何か毒を盛ったせいではないかと考えているらしい。


「本当に知らねえよ。ただその痛覚が消えた原因はクモの肉だ、予想だけどな」


 炎が俺の顔へ一層近づいた。

 暗闇の中で紫焔は蠱惑的に揺らめき、しかし本来炎から感じる熱気は一切放たれていない。

 さながら化かす炎、狐の火といったところか。


 嘘を嫌う炎、ね。


「カプサイシンは唐辛子の辛み成分だけどな、あれ治療薬にもなるんだよ」

「何が言いたいのですか」

「お前が痛みを感じない理由知りたいんだろ? 俺の予想だけどな」


 目の前で瞬くそれを静かに眺め、俺はゆっくりと語る。


「辛みってのは痛みだ、辛み物質ってのは神経を刺激する毒なんだよ。神経にカプサイシンが作用すると痛みを感じるが、上手く使うと神経がぶっ壊れて逆に痛みを感じなくなるんだよ。感じなくなるまではクソ痛いらしいけどな」

「……確かにあのクモの筋肉は強烈な辛みがありましたね」


 ヒマリが後ろで頷いたのが分かった。


 彼女にはカプサイシンを例に挙げたが、実はほかにも様々な辛み物質がある。

 ちょっと変わった例だとサボテンだろう。

 こいつに含まれる辛み成分は何とカプサイシンの千倍辛いらしく、もちろん少量で致死量になる劇物なのだが、これもまた痛み止めとして研究が進んでいるらしい。


 まあそれはともかく、辛みと麻痺、この二つは遠く離れた要素に思えるものの、実は案外近しいものであるということが分かるだろう。


「普通の食事ならこんなに効く事はねえ。もしちょっとの食事で効果があるってんなら、タバスコをかけたピザを食っただけで一切の痛みを感じなくなっちまうからな」


 だがモンスター肉は違う。

 ソレが魔力のせいなのか、それともほかに含まれている未知の成分のせいなのかは分からないが、圧倒的な効果を持っているのだけは間違いない。

 モンスター肉に含まれる毒は多様だ。摂取することで死に至るものから、痛み、腫れ、様々な反応を引き起こす。


 しかしそれは裏を返せば、多種多様な効果が期待されるということでもある。

 モンスター肉のポテンシャルは高い。恐ろしいほどに。


「気付いたのは俺も最近の話だ、そもそも探訪者になってから二か月経っていないしな。お前と出会ったときは知らなかったよ」


 と、まあ偉そうなことを言ったものの、俺が知っているバフ効果は今回分かったこの痛覚無効を除けば、鉄鋼虫の肉ですさまじい筋力上昇することぐらいだ。

 レベル5、身体能力も普通の成人男性とそう変わらないはずだったあの時の俺が、リンゴを紙屑みたいに握りつぶせるのだからその効果量は推して図るべしである。


「怖いから剣外してくれない?」


 つんつん、と首元に突き付けられた剣を突っつくと、わずかな逡巡を挟み、切っ先がゆっくりと引き離された。

 どうやら俺の言葉を信じてくれたらしい。

 まさかさっきまで鍋を突っついていたのでぶっ殺されるとは思わなかったが、さすがにちょっと緊張した。


 まだ首がムズムズするぜ。

 なんで指先とかおでこに近づけられたりすると、こんな感じでムズムズするんだろな。


「……この話は誰かに?」


 首元を撫でていると、俺の脇からゆっくり歩み正面に立ったヒマリが、ちらりと振り返り呟いた。

 おそらくモンスター肉のバフ効果についてだろう。


「誰にも」

「いい選択です、もし無駄に吹聴すれば多くの人死にが起きたでしょう」


 今のところこの知識を俺は誰にも公開していない、もちろん宇宙一可愛い妹のスズにもだ。

 まあ一番のところは俺だけが知っている、という特別感からもったいなくてというのもあるが、そもそも割と激烈な毒を持つモンスターの肉も多々ある。

 知識のないものがうろ覚えの方法で解毒などして失敗、中毒した場合の対策もしてないなんてなったら目も当てられないからだ。


 バフが欲しいと軽い気持ちで挑戦し、人死にが出たとなればさすがの俺も寝覚めが悪い。

 

「さて、と。ところで俺が毒を盛った可能性に関して、俺は満足いく説明出来てたか?」

「……申し訳ありません。時々似たようなことがあるので、もしかしてと思ってしまいました。では」


 こちらの返事すらまともに聞かず、勝手に話を区切り足早に去ろうとする彼女。

 その顔はうかがえないものの、普段はあれだけ動いている耳や尻尾が恐ろしく萎れている。


「ヒマリ」


 ぴくん、と彼女の肩が跳ねた。


「お前いつもこんな気を張ってんのか?」


 返事はない。


「不器用だな」


 口から勝手に飛び出たのは俺の素直な感想だった。


 剣姫。

 大層な名前を貰い、大層な業績を大層積み上げているらしい彼女。

 さぞかし冷酷な武人なのかと思えば、ただの食事一つを随分と楽しみ、しかし友人とジュースでの乾杯すらまともに知らず、それでいて常々危険に晒されるかもしれないと気を張っている。


 この京極ヒマリという女、随分と不器用な人生を歩んできたらしい。


さようなら・・・・・シキミさん、楽しかったです」


 そして不器用な行為をした彼女は、不器用に去ろうとしている。


「おう、またな・・・。夜はまだ冷えるから腹出して寝るなよ」


 彼女が振り向いた。

 目を大きく開き、耳を尖らせて。

 そしてゆるゆると口元が弧を描き、小さく笑った。


「この私に『腹を出して寝るな』、ですか……ふふ、そうですね。気を付けましょう」


 せわしなく耳が動き出す。

 いつもの調子を取り戻したようだ。


 困るんだよな、いきなり連絡もつかなくなったら俺がスズに殺されるから。


「それでは、また今度・・・・


 溶けるような薄い笑みを浮かべたヒマリは、上機嫌に尻尾を振って暗闇へと消えていった。



「おにいちゃーん! ヒマリさんから届け物ー!」

「あん? 特になんも頼んでねえけど」


 あれから三日後、なんか突然ヒマリから届け物が届いた。

 やたらとデカい段ボールで厳重に包まれたそれを受け取ると、なんだかひんやりと冷たい。


 生モノ注意と貼られているあたり何か食い物のようだが、はて、いったいこれはなんだ。


「この前のお詫びだって」

「ふーん……ふぁぁ」


 いっしょについてきたらしい手紙を読むスズに生返事、頭を掻きながら大きなあくび。

 朝っぱらから来たから全く頭が働かない、クソねむいということ以外何もわからない。


 適当に引っ張って開けた段ボールの中ではさらに厳重な包み、さらに中から露になったのは……やたらと手触りのいい木箱。

 そして表に貼られた三文字が目に飛び込んできた瞬間、眠気の何もかもが吹っ飛んだ。


「こ、これってっ!?」

「オイオイオイオイ! これっ、最高級5等級の牛サーロインだってよ!? しかも一キロ!?」


 貼られていた名前は誰もが知る超高級ブランド和牛だった。


 慌てて木箱を開封した瞬間、パウチに包まれたお肉様が露になる。

 全体へ緻密に入ったサシのなんと美しい事だろう。こんな高級肉、人生で食べたことはない。

 いったいいくらするのか想像もしたくない、間違いなく言えるのはグラムで数千円は確実だろう。こんなのを食っていたら秒で破産する自信がある。


 ま、まさかちょっと脅した程度の詫びにこれを!?


「う…………うおおおおヒマリ最高! ヒマリ最高!!」

「ヒマリさん最高!」


 これなら毎日剣の百本や二百本突き刺されてもええわ!!

 っぱ持つべきは金持ちの友達なんだよなぁ!!

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