第34話 とことん加熱されたカニとかエビのまずさは異常
「うーん……これ難しいなぁ」
すっかり肉を食べ切った二本目の脚を生ごみ袋へと突っ込み、俺は静かにため息を漏らした。
ヒマリが勝手にパクついてから一時間、俺たちは蜘蛛足の肉に含まれる推定毒成分、つまり辛みを抜こうと試行錯誤していたのだが……
「無味……とまでは言いませんが、食感もぼそぼそとしていて心地いいものではありませんね」
もそもそと、どこか耳の動きすら気が抜けた動きのヒマリ。
しかし実際問題彼女の言う通りで、毒抜きの家庭で辛みと同時に味まですっかり抜けてしまった上、加熱で食感がぼっそぼそになってしまったのだ。
参った、こりゃ難しすぎる。
「料理というのは難しいものですね」
「いやまあこれの毒抜きが難しすぎるだけだな、普通は適当でも大体何とかなる」
頭をポリポリと掻きながら残った足を見やる。
三人で食う分にはまだ十分な量があるが、仮にこれを全部毒抜きの実験に費やしても上手くいく気がしない。
解決の糸口すら見えていないのだから当然だ。
「いっそのこと鍋にでもしたら? ちょっと煮ても多少は汁に毒溶けるだろうし」
「――! スズ! それだっ!」
なんとなく、といった様子で提案したスズの案。
それを聞いた瞬間俺の思考に雷鳴が駆け抜けた。
つまり逆転の発想だ。
毒抜きがだめなら、毒を楽しむ調理法をすればいい。
加熱で毒が抜けやすいってのも具合がいい、さっとしゃぶしゃぶするだけで結構な毒は抜けるはず。
この唐辛子を何倍にもしたような激辛、これが蜘蛛肉の毒性なのは確信している。
何故か? そもそも蜘蛛は神経毒である粘液を吐き出していたが、辛さとはつまり痛覚を刺激するもの、つまり辛み物質とは神経毒の一種と言えるからだ。
あの吐き出していた粘液の毒性と蜘蛛肉に含まれるこの辛み、これはおそらく同じ成分だ。
しかしこれだけ毒抜きの工程で肉を摂取しても特に何もないあたり、筋肉内に含まれるのはごく微量なのだろう。
「えーでは今日の献立を発表します」
俺はマイク代わりの使い古したお玉を手元に、ぱちぱちと二人が拍手。
「今日は『みそ仕立てのピリ辛しゃぶしゃぶ鍋、カニを添えて』です!」
冷蔵庫の中から味噌(カクマメ製、1パック五百円)を取り出し高らかな宣言。
盛大な拍手が吹き荒れ……ずボリュームダウン、あれ? とスズが首を捻った。
「クモじゃない?」
「クモっぽいカニっぽいクモ、な」
「結局クモでは?」
「んもーうるさい子達だね! 一体誰に似たのかしら! そんなに文句があるなら食べなければいいのよっ!」
文句が多い子はお夕飯抜きですからねっ!
チャカチャカと土鍋を用意して水を張り、冷蔵庫内のネギやしなびたキノコ、豆腐なんかをぶち込んでいく。
だしはどうしたもんかと悩んだものの、多少はクモ肉から出るだろうということで昆布茶を大さじ一杯だけ放り込む。
これであとは具材が煮えたらクモ肉をしゃぶしゃぶすることで、肉からうまみと辛さが次第に溶け込んでいく鍋の完成だ。
「んじゃ二人とも、鍋運んでカセットコンロ用意しとけ」
脚の殻をべきべきと調理用のはさみで叩き切りつつ、後ろで様子を見ながら話をしている二人を顎で操る。
「それなら危ないので私が鍋は運びましょう、スズランさんはコンロを」
「え!? ひまっ、ちょっ、ヒマリさん……あわ」
自分が鍋を運ぶつもりだったのだろう、さっさとヒマリが鍋を持ち上げてしまったので慌てるスズ。
というか今もふつふつと沸き上がっている土鍋なのに、こいつ素手で持ち上げてやがる。
二人がわちゃわちゃとやっているのをわき目に、程よいサイズに肉を切り分け皿へと持っていく。
普段なら雑にガッと持って終わりなのだが、まあ今日はヒマリもいるので多少は見た目にこだわり、ちょいと円状に並べてやった。
「こっちは準備できたぞー!」
「こちらも大丈夫です」
「もうお野菜も火入ったよー!」
二人の声がリビングから響く。
キッチンからちゃぶ台へと大皿を運び、さあいざ喰わんとしたその時だ。
「ああ、お土産を持ってきたのを忘れていました」
ヒマリがドドンと、どこからか一本のペットボトルを取り出した。
「コーラです」
「どこから取り出したんだよそれ」
容量2リットル、いわゆるパーティーサイズである。
マジでどっから取り出した? さっきまで持ってなかったよな?
こいつ鞄とか何も持ってきてないぞ? いやマジでどこから取り出した?
謎の技術でただのコーラを取り出したヒマリは、ふん、と少し鼻息を荒くし勝手に語りだした。
「一般的な若者が二人以上集まった時、炭酸飲料を飲み交わし腹を割って話す文化があると聞いています」
「ただダチで集まってジュースで乾杯するだけだろ」
厳めしい顔つきで一本二百円もしないであろう、二リットル入りのコーラを手に語るヒマリ。
確かに彼女の言う通り一般的な若者が二人以上集まっているのは間違いないが、ただジュース飲んで駄弁るだけで、なぜそこまで荘厳な物言いになっているのだろうか。
「さすがヒマリさん! ジュース欲しかったんだぁ!」
「まあそうだな、せっかく誰かと食うのにただ水ってのも味気ねえか。ちょっと待ってろ」
全員の手に氷がたっぷりと入れられたグラスが回り、ようやく季節外れの鍋が始まった。
『かんぱーい!』
ごくりと鮮烈なのど越し。
さわやかな甘みと同時に心地のいい炭酸が喉を駆け抜け、調理中、そして今もカセットコンロの火に炙られ火照った体には良く沁みた。
「けふ」
横を見る。
恥ずかしそうに耳がしおれているヒマリ、顔色が少し赤い。
「……炭酸は苦手です」
小さな呟きは衝撃の内容だった。
なんでコーラ持ってきたんだよ。
「無理して飲まなくていいぞ」
「しかしこれを飲まないと文化に逆らうことに」
「バカなこと言ってねえでお茶飲め」
ヒマリの飲み物は緑茶に変わった。
ちなみに鍋はとてもうまかった。
予想通り軽く湯に通すだけでも毒は相当抜け、辛さも程よくやわらぎ非常に食べやすくなった。
しめにご飯と卵を入れて雑炊にしたが、俺とヒマリが麻痺してちょっとぶっ倒れたりしたが、つつがなく鍋パーティは閉幕した。
◇
「それでは」
食事が終わり一時間ばかし。
三人でお茶や、今日の帰り際に買ってきた軽い茶菓子をつまみつつ雑談をしていたが、ヒマリの『そろそろ時間ですね』、の一言によってお開きとなった。
すっかり暗くなり、ぼんやりと街灯が照らす外をちらりと見て、彼女が少し寂し気に手を振る。
「おう、じゃあな」
「また今度!」
ヒマリがゆるりと玄関から外へ歩み、ふと振り返る。
「……シキミさん、少し話したいことが」
その耳はピン、と尖っている。
どうやらスズには聞かれたくないらしい。
しかし俺と彼女はまだ出会って三度目の邂逅なわけで、ぶっちゃけ特に何か大事な話など思い当たらなかった。
「おん? 別にいいけど。スズは戻ってていいぞ」
いったい何の用だと首を捻りつつ、横で話を聞く体勢のスズをちょいと家へ押し込む。
「え~? 二人ともお熱いねー!」
「あほなこと言ってないで戻りなさい!」
全く思ってもいないことではやし立てる、小学生じみた精神のヤジに思わず口がへの字に曲がった。
「少し出ましょう」
スズが自室へとすっこんだのち、ヒマリが不意にゆっくりと歩き始める。
どうやらついてこいと言いたいらしい。
いったいどうしたもんだか。
普段、といってもそう大してあってないないが、の彼女とはまた違う、それこそスズの言う『剣姫』のような鋭い気配に困惑しつつ、履き慣れたスニーカーの踵を踏んで彼女の背を負う。
しばらく無言で歩く彼女の後ろをついていると、少し薄暗い道へ差し込んだあたりだった。
「――!?」
彼女の姿が突如消えた。
間違いなく今目の前に、それも手が届くあたりにいたはずなのに。
「
声がかかったのは背後、さらに俺の耳元。
「――!」
気付けば俺の首元には、純白の刃が当てられていた。
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