第32話 甲殻類と鋏角類

「ん? ただいまー」


 なぜか家の鍵が開いていたことに驚き、玄関の靴を見ながら奥へと声をかける。


「お帰りお兄ちゃん、今日はぼろぼろだね……大丈夫?」

「ん? ああ、ちょっと危なかったけど今日は大怪我とかはしなかったよ」


 リビングでテレビでも見ていたのか、スマホ片手にこちらへと歩いてくるスズ。

 しかしちらりと視線をこちらへ向けた途端、少し驚いたような顔つきになって駆け足気味に寄ってきた。


 ゴブリンと初邂逅を遂げたあの日以降、俺は基本的に窒息暗殺戦法によって安全な帰宅を心がけていた。

 今回は久しぶりに死に掛けたのでちょっと驚かせすぎたようだ。


今日は・・・?」


 だが彼女は足をぴたりと止め、まるで俺の言葉を吟味するかのような鋭い視線をこちらへ飛ばす。


 あっ、やべ。


 ついつい気を抜いていたせいで、まるで今日以外は死に掛けた日があるかのような物言いになってしまった。

 まあ、あるんだけど。ここ最近だと具体的には、今日を合わせて二回ほど。


「ねえお兄ちゃん?」


 じりりと一歩近づかれ、俺は一歩後退。


 スズちゃんディモールトとっても賢いのは良いけど、こういうのまで即気づいちゃうのは困っちゃうなぁ!


「あ、あー! そういえば今日はスズ学校なかったのか!?」

「もぉ~!」


 こういう時は有耶無耶にするに限る。


 俺が完全に逃げの体勢に入ったことが分かったのだろう、これ以上の追及に意味はないと察したのか、スズは怒った様子を見せつつも矛を収めた。


「今日は土曜だよ!」

「ああ、昼までしかないのか。ならちょうどいいや、昼飯は食ったか?」

「まだだよ、何食べるか決まらなくて」


 冷蔵庫を覗き込むとネギ、しなびたキノコ、豆腐にちょっとした作り置きの総菜がいくつか。

 なるほど、確かに少し悩ましい冷蔵庫事情だ。

 冷凍庫の方には俺が狩ったモンスターの肉が、毒抜きを終えた状態で蓄えられているとはいえ、ぱっと思いつく料理はない。


 だがこの具材ならちょうどいい、今日狩ってきたモンスターとも合うかもしれない。


「何か作ってくれるの?」

「ああ、今日新しいモンスター倒したからヒマリ呼ぶぞ」

「え!? ほんと!? やった!」


 冷蔵庫の横で覗き込んでいたスズランがぴょん、と跳ねた。

 その顔は喜色一色。ご機嫌にスマホを抱え鼻歌交じり、おそらく友人であろう誰かへメッセージを送り始めた。


「そんなにアイツが好きなのか」


 普段俺には絶対見せない態度でお兄ちゃんは心から悲しいよ。

 あんな変な奴に近づいて、スズまであんな刺激を求める変態になってしまわないか、心から心配だ。


 特に一番心配なのは、憧れて探訪者になりたいだなんて言い始めること。

 これが本当に冗談になっていない。あの夜の出会い以降、スズはヒマリのことをめちゃくちゃに話すようになった。

 あれの来歴から踏破したダンジョンまで。


 これが一時のものならいいが、前までは危険なだけだと言っていた探訪者に対して、妙な憧れを抱きだしている気配が会話の節々からする。


「だってヒマリさん綺麗だし、すごい話いっぱいしてくれるし! 逆になんでお兄ちゃんそんなに冷たいのか全然わかんないって! あの『剣姫』なのに!」

「うーん……」


 お前へ悪い影響を与えそうだから、とは言えない。

 たとえそうであったとして本人の憧れの対象、それを目の前で悪しざまに罵るだなんて。

 スズに嫌われたら俺は死ぬ。


「そういえばどんなモンスター倒したの?」


 彼女の問いに俺ははた、と思い出し、バッグの中からそれ・・を引っ張り抜いた。


「そうだなぁ……スズ、カニは好きか?」

「え、もしかして!?」


 俺が取り出した物のシルエットは細長く、時々売られているタラバガニの脚に似た姿だ。


「ああ、そうだ。今日はカニみたいなもんだな」

「おおお!」


 袋に包まれているのでその全貌をスズランは拝んでいないものの、俺の言葉とシルエットだけで祭りが確定されたようなもの。

 その横で俺は大鍋に水をたっぷり注ぎ、コンロへと乗っけて火力を最大に回した。


「カニとヒマリさん、ダブルで豪華! 友達に自慢しちゃおうかなぁ~!」


 その時、チャイムが鳴り響いた。


「あ、わり。ちょっと対応してるから火の様子見といてくれ」

「はーい!」


 ちゃんと聞いているのかどうなのか、ちょっと心配なくらい浮かれている声。

 まあなにせ今日のメシはカニっぽいやつだ。ただでさえ特別な日にしか食べられないものだが、親父たちが死んでからというもの節制の日々が続いている。

 ついでにあこがれの人が来るとなれば、今日くらいは仕方ないのかもしれない。


「入っていいぞー!」


 玄関へ歩きながら声をかけた瞬間爆速で扉が開き、ひょこりと白い狐耳が覗き込んだ。

 ヒマリだ。

 顔は相変わらず何を考えているのかわからないが、せわしなく耳が動き回っているので少し緊張しているのかもしれない。


「お邪魔します」

「気にせず上がってくれ。さっき電話で話したけど、実は今日ダンジョンで新しい敵と戦ってな――」


 ちょっとした話しを交えつつ、以前は急ですっかり忘れていたが、来客用のスリッパを差し出してやる。

 彼女は少し戸惑った様子で足元のそれを眺め、少し恥じらいながら……


 ……おずおずと白い足を差し出した、なぜか俺の前に。


「え?」

「……履かせてくれるのでは?」

「なんでだよ! スリッパごとき自分で履けよ! 先行ってるからな!」


 シンデレラの生まれ変わりかっての!


 適当にヒマリの前へスリッパを蹴っ飛ばし俺は彼女に背をむけた。

 飯を食わせてやるとは言ったが今日の食材は俺もまだ未経験、どんな毒が含まれているか詳しくは分からない。

 いつも通りのことではあるが、毒性の検査を見るにも5、6時間はかかると見ていいだろう。


 さて、スズはおとなしく火の様子を見ているだろうか。

 そんなことを思った次の瞬間だ。


「みひゃあああああああああああっ!?」


 彼女の大きな悲鳴がキッチンから伝わってきた!


『――!?』


 ヒマリと俺が顔を見合わせ、同時に駆け出した。


 湯を零したか!?


「大丈夫かスズっ!?」

「スズランさんお怪我は――」



 だが、予想していた光景はなく、彼女はキッチンで一人へたり込んでいるだけだった。


「こ、こ、これっ……ナニ!?」


 怯え、震える声。

 潤んだ瞳で見つめる先には、俺が袋を被せておいたものが露になっている。


「ああなんだ、見たのか」


 はあ、心配して損したぜ。


 特に何もなかったことに少しの安堵。

 けれど取り越し苦労であったことに、それ以上の疲労感を感じながら、無駄に大騒ぎしている妹へちょっと呆れた視線を送る。


「蜘蛛の脚だよ、大体カニみたいなもんだろ?」

「全然違うよっ!!!」


 ピターン! とスズが握っていた蜘蛛の脚をボウルの中へと投げ込み、まだ筋肉が生きていたようで一斉に蜘蛛の脚たちがビクビクと痙攣を始めた。

 再び彼女の悲鳴が家中へ響き渡る。


 全く、この程度で悲鳴を上げるとは情けない。

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