もう「始まってる」んだよね

第19話 となりとまちがえてますよ

「よし。スズ、夕飯にしよう!」


 じゅわじゅわと跳ねる醤油ベースのソースを、パリッと仕上がった『狂い鳥』のもも肉へたっぷりと回しかけてやる。

 王道だが結局コレが一番メシの進む料理だ。

 それにナスのみそ汁、千切りキャベツ、昨日のあまりをちょいと食卓へ。


『いただきます』


 いつも通りの食事、あまり派手には変わらない献立。

 けれど今日は違った。

 体は弱かろうとなんたって成長期だ、いつもは勢いよく食事を進めるスズランだが、箸がどうにも進んでいない。


「どうしたスズ、最近食欲がないみたいだが……」

「うん……その、ね」


 彼女は薄い茶髪をくるくると指先でもてあそび、視線をあちこちへ飛ばして躊躇っている。

 言い出したいが、しかし気が引けるといったとこか。

 体調が悪いだとかではおそらくない。今日は俺より早く目覚めて退屈そうにテレビを眺めていたし、どちらかと言えばこれは食事に不満があるのだろう。


 俺はできる限り軽い笑みを浮かべ、肩をすくめてやる。


「なんでもいいけどそう気にするな、言えって」

「その……」


 なおもためらうスズラン。

 けれどついに、彼女は箸をゆっくりとちゃぶ台に置き、実に申し訳なさそうな顔つきで告げた。


「とり肉飽きた」

「だよなぁー! 超わっかるぅー!」


 やっぱりそうだよなぁー!

 俺もそうだろうなってずっと思ってたんだよなぁー! 情けないお兄ちゃんでごめんねぇー!


 熊肉ワックスエステル事件。

 苦しい戦いを経てさらに俺を襲った悲劇は、俺自身の心にすさまじく大きな傷を与えていった。

 正直に言ってしまえば、俺は挑戦を恐れるようになってしまったのだ。


 ケツから油を漏らすのが怖い……!

 また俺はあんな無様な姿をさらすのか、そう思うだけで涙腺と括約筋が震えた……!


 あの日、幸いスズランには俺の無様な姿はバレなかった。

 どうにか諭し、彼女が学校に行ってからすぐ俺はすべての汚れたものをごみ袋へシュート、タオルを巻いて爆速でドラッグストアに行き介護用紙おむつを買うことで、どうにか難を逃れた。

 けれどもし匂いでバレたら、気付かぬうちに紙おむつすら貫通するのでは、そう思うだけで三日は生きた心地がしなかった。


「やっぱり……そろそろ新しいダンジョンに行くか」


 手を組み、俺は深々と呟いた。


 狂い鳥。 

 ニワトリに似た姿をしており、少し鋭い爪で飛び蹴りをしてくる以外大した危険性がなく、何より加熱するだけで食える。

 こいつの血や生肉を飲み食いすると酔っぱらったみたいになるのが名の由来だが、加熱するだけで毒性が消えるため、俺が探訪者になってから我が家の食卓に並ぶ肉はほぼこいつだ。

 近頃は鉄鋼虫の肉も並ぶようになり若干豊かになったものの、鉄鋼虫の肉は毒抜きの工程が少し面倒なので、毎日食べるには向いていない。


 必然、俺たちは狂い鳥をひたすらメインデッシュとして食べる日々が続いていた。

 狂い鳥だって味は良い、柔らかくジューシーな肉質は何にだって使える。

 けれどどれだけバリエーションを変えようと、同じ肉を食い続けるという行為には避けようのない『飽き』が生まれてしまう。


 探究には犠牲が付きものだと割り切らなくては、俺は二度と前に進めなくなってしまう。

 そろそろ、立ち上がるべきなのかもしれない。

 怯え続ける日々からいつかは立ち向かう日が来る、それは今日なのかもしれない。


「……新しいダンジョンを探すか」

「普通にスーパーでお肉買うのは?」

「だめだ、今月は厳しい……」


 というか今月どころか来月もその先もずっと厳しい。

 正直色々支払っていないものが溜まっている。事情を説明して大分温情をかけてもらっているが、それでもかなりかさんでいる。

 武器だって買いたいし、色々必需品が欠けている。


 両手を合わせて頭を下げ、俺はきゅっと顔をしぼめた。


「とりあえずしばらくは我慢してくれ、明日探協で新しいダンジョンの情報を」


 仕入れに行くから。


 そう言いかけた俺のセリフを、玄関からの大きなチャイム音がかき消す。


「スズか?」

「いや? 特に何も頼んでないけど」


 なにか通販でも頼んだのかと思いきや、どうやら違うらしい。

 もちろん俺だって記憶はない、そもそも通販なんぞ贅沢はできませぬ。


「お前は食ってろ、俺が出るわ」

「はーい」


 しぶしぶ肉をつっつき始めたスズランを横目に、はて一体誰だと小首をかしげ廊下を往く。

 

 知り合いなら電話の一つよこすだろうし、どうしようもなく毎月払わなくてはいけないものはしっかり銀行引き落としにしてあるはず。

 となれば想像つくのは……宗教の勧誘とかか?



「はい、どちらさんで?」


 しぶしぶ開いた俺の目に飛び込んできたのは、はっとするような美人だった。


「お久しぶりですね、少し話がしたいのでおじゃまします」


 あまり大きな表情は見せないもの、黒髪の上にぴょこんと突き出した三角のケモ耳、そしてなにより目立つ大きな尻尾が機嫌よさげにふぁさりと揺れる。

 その姿は探訪者の中でも一握りの存在、高レベルの存在だけが至ると言われている『獣人化現象』を起こしたのだと、一目で理解できた。


 機嫌よさげにゆらゆらと揺れる大きな尻尾をしばし眺めた俺は……


「すみませんウチそういうのやってないんスよ」


 そっと玄関を閉めた。


 こりゃたぶん宗教勧誘だな。

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