第18話 救いはなかった
今回の話は少し下品な話題が入ります、苦手な方は我慢して見てください。
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皿の上にずらりと並んだ肉、肉、肉。
サシなどはまるきり入っていない真っ赤な肉だが、特徴的なのは周囲についた脂身だ。
雪の様に真っ白な脂身にぐるりと囲まれたその見た目は、ともすれば極上の赤身サーロインにすら思えるほどで、照明の光を浴びてテラテラと輝いている。
この肉は間違いなくうまい。
ジビエ特有の深いワインレッドの肉色が俺に直観させた。
「脂凄いね」
スズランが少し気圧されたようにつぶやいた。
確かに相当分厚い脂身だ。
流石に全身を持って帰ってくることはできなかったので、今日俺がどうにか切って持ってこれたのは腕肉だけだった。
本来腕の部位は良く運動するので脂肪はあまりつかず筋も多いのだが、今回は指の関節一本分くらいの分厚い脂肪が張り付いている。
「おう、スズはどうする?」
「うーん……私は赤身だけでいいや」
ううん、間違いなくこの脂が最高にうまいんだが……スズにはちょっと重いかもしれんな。
「よし、じゃあちょっとトリミングするから待ってろ」
皿の上で手早く脂を切り落としていく。
ちょっと勿体ないが、まあこの後のお楽しみに俺が使ってやればいい。
「さあ食おう! おかわりもいっぱいあるからな!」
「いただきます!」
肉をつかむ用の箸をスズへ手渡して祭りは始まった。
十分に熱された鉄板の上へ先ほど切り落とした脂を一切れ。
見る間に香ばしい香りが部屋中へ広がり、じんわりと透明な油がにじみだしたのを確認し、どんどん肉を並べていく。
「まだだ」
「えー!」
まだ赤色の残る肉へ箸を伸ばし
俺の予想が正しくて、この熊肉の毒性がタンパク質に起因するものだとすれば、しっかりと加熱をしないで食べた場合毒が残ってしまう。
一応スズにはちゃんと毒消しを飲ませるとはいえ、それでも念には念を入れていきたい。
にしても……こいつはもはや見る拷問だなこりゃ。
バチバチとはじける油、鉄板の上でぎゅうと縮んでいく赤身、焼目から漂う肉の香り。
それを目の前に焼肉のたれをもって、限界まで腹を減らした状態で待て? 頭がおかしくなりそうだ。
「タンパク質性の毒なら良く焼かねえとな……よし、いいぞ!」
「もらいっ!」
瞬間、スズの前にあった肉が消えた。
こんもりと山盛りに掴んでいった彼女は、その一枚をタレ、そして白米の上にバウンドさせ――もにゅりと一口噛み、ゆっくりとサムズアップした。
肉とタレ。
俺たちに必要なのはそれだけだ、言葉は求めていない。
俺は自分用の脂身が付いた肉を一口頬張り、サムズアップを返した。
うまい、うますぎる。
野生の熊肉は栗やどんぐりをたっぷり食って脂肪を蓄えるので、脂肪からはどこかナッツのような香りとコクを感じる。
けれどこいつは違う。
たしかにあの香りは存在しない。けれど、それ故にこのどこまでも素直な、脂肪と肉の焦げた芳醇な良い香りが楽しめる。
臭みは一切ない。ただただ、赤身肉としての素直なうまさ、脂身としての純粋なコクが口いっぱいに広がる。
「スズ、ごはん山盛りで」
これは……ご飯を食わなければ無礼というもの。
無言で差し出された俺用の茶碗には、彼女の手でこんもりよそわれた炊き立てのコメ。
脂でテカった箸先を俺は静かに差し込み、大口を開けてもっさり掻き込んだ。
ふんわりと鼻腔をくすぐるコメの甘い香り、炊き立てご飯の少しねっとりとした触感、甘み。
ひと噛みするごとに肉の旨さと共に渾然一体となり、至福が満たしていく。
コメ、ニク、コメ、ニク、コメニクコメニクッ!
「桃源郷はここにあったんだ……」
「早く食べないと焦げちゃうよ」
「おっと」
すこし浸りすぎてしまったらしい。
脂身がすこしカリカリになってしまった肉を一切れ持ち上げ、俺は半分に割ったピーマンの上へとそれを乗せ、一つまみの塩をぱらりと振りかけ頬張る。
途端に口内へ広がる濃い脂身と肉のうまみ。
しかし噛むほどにピーマンの青臭さが追いかけてくる。
けれどそれが全く嫌じゃない。むしろこの青い風味と生ピーマンのフレッシュなジューシーさこそが、続ければくどいと感じる脂をさっぱり流していく。
こいつはピーマンも足らんぞ! もっと勝ってくりゃよかった!
それから焼肉祭りは一時間続いた。
スズは割とすぐにお腹いっぱいになって部屋に戻ったが、俺がずっと楽しんでた。
特に最後、鉄板に残った油で厚切りの生ニンニクと玉ねぎをたっぷりと炒め、ごはんに醤油だけの味付けで作ったガーリックライスは、天にも昇る旨さだった。
もちろん毒の症状はそれから数時間後も出ず、最高の気分で俺は装備の整備を終え、就寝した。
.
.
.
「ふぁぁ……」
心地のいい朝だった。
ニンニクには疲労回復効果もある。
部屋の中に漂う異臭。
「え……?」
俺の背筋に冷たい何かが走り抜けた。
慌てて立とうとした俺の足元で、ぬるりと何かが触れる。
「う、うそだ……」
それを見た時、俺はすべてを理解した。
すべて全て全て失敗だった、と。
もっと確かめればよかった。無知だ、無知こそが命を奪い去るのだ、と。
「誰だよオマエ……」
触覚も、嗅覚も、この六眼に映る情報が絶望だと言っている。
だが俺の魂がそれを否定していた。
「うわあああああああああああああうそだっ!!!! うそだぁあああああああっ!!!」
家中に俺の絶望した声が響き渡り、それでも俺は叫び続けた。
すぐにドタドタという激しい足音が廊下へと響き渡り、無意識に後退っていた俺は、背に当たっている部屋の鍵をゆっくりと閉める。
金属のカチャリとした音と同時に、ドアノブが激しく回された。
「お兄ちゃんどうしたの!?」
「スズ……その態度、君には何の問題もなかったんだね。ああ、そうか……本当に良かった……」
「っ、扉が閉まって……! なんで閉めてるの!? どうして嫌だよ開けてお兄ちゃん!!」
扉を何度もたたかれる。
衝撃が伝わる度、俺の下半身にも生ぬるい感覚が走り抜ける。
やめてくれ……やめてくれスズ……
たとえもう遅くとも、俺は祈り続けた。
けれどその衝撃は強くなるばかり。彼女が必死に俺に呼び掛けている、でも俺は顔を合わせたくなかった。
「決してその扉を開けてはいけない。君にだけはこんな姿、見ないでほしい」
「っ、どうしたの!? お願いお兄ちゃん話だけでもさせてっ!」
「俺たちは……いや、俺は気付くのが遅かったんだ……全部俺が悪いんだよ……俺のせいだ……」
脂までとことん楽しんだ俺のせいだ……すべて、なにもかも。
……一般的に脂肪と呼ばれるものは、脂肪酸とグリセリンという二つの物質から成る。
端的に言ってしまえばグリセリンには三つの手があり、一つごとに脂肪酸が一つずつくっつく形であり、人はこの形であれば体内で分解して栄養とできるのだ。
一方で深海魚などの中、有名なものではバラムツやオオメマトウダイには、時にこの形ではない脂肪を持つヤツが存在することがあるのだ。
その脂肪の仲間をワックスエステルという。
グリセリンを基とする脂肪が櫛のような形をしてるとすれば、ワックスエステルは長ーい紐だ。
が、細かな形なんぞは心底どうでもいい。
大事なのは、ワックスエステルタイプの脂肪の場合………………人はそれを分解できない。普段摂取する脂肪と形が違うのだから当然だ。
分解されないということは、食道、胃、小腸大腸の消化器官にて一切分解されず……そのまま出てくることとなる。
消化されないってのはつまり油が油のままで出るということで、当然液体のそいつらはケツの筋肉である括約筋さんがどれだけ頑張ろうと、隙間からするりと
以前体験した人間は語った。
なにも、意味はなかったと。
気が付けば漏れ出ていた。努力はすべて無に帰した。みんなは知らない、バラムツの味。
「は、はは……アハハハハッ! そうか、そうだったんだ……そうだったんだぁ! お前も……同じだったんだ」
あの熊の脂肪分は、ワックスエステルだったんだ。
朝目覚めてすぐに俺は気付いた。
布団のこの汚れも、下半身のこの匂う汚れも、全部ケツから滲み出した脂なんだ。
留まるを知らない彼らは、スズの扉をたたく衝撃にすら反応し、いまもなおあふれだしている。
俺はケツからは油、顔からは涙をだらだらと垂らしてその場にしゃがみ込んだ。
たっぷり脂を楽しんだのだ、一体どれだけの油がこの先漏れるかなんてわかりもしない。
スズランは脂身を嫌がって食わなかったから大丈夫だ。でも俺はもう、助からない。
「もうモンスター食はこりごりだよ~~~~~~!!!!!!!!!!!」
黄色く染まった下半身と布団をそっと抱きしめ、俺は絶叫した。
第一部 完。
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