第17話 絶望をまだ知らぬ赤子

「ただいまー」


 すっかり日が暮れる頃、玄関からスズランの声が響いた。


 やべっ!


 玄関からこのリビングまでは一直線だ。

 開けっ放しのごみ袋に慌てて駆け寄った俺は、がさがさと大きな音を立てて口を縛り付ける。


「どうしたの、その袋?」

「あーダメダメ! 触んないで! 危ないから!」


 予想通りというべきか、スズランは目ざとく俺が縛っていた袋に目をやると、興味深げに近寄って覗き込んできた。


 この中身を見られるのは大分まずい。

 なにせ俺が死にかけた時に身に着けていた服を、捨てるために放り込んでおいたのだから。

 当然血がべったりとくっつき、さらにはあちこちが切り裂かれているのだから、一目見れば誰だってただ事じゃないってのが分かるってもんだ。


 これを見たスズランは間違いなく泣く、泣きながら俺が探訪者をやめるまでリビングに居座り続ける。

 以前一度、スライム相手に手ひどくやられたときは、次死にかけたら絶対に探訪者をやめると二時間説得を続け、ようやく許されたのだから。


「ふーん……」


 まずい……この態度、何かに気付きかけている……!


「きょ、今日は変わったモンスター肉を仕入れたんだぞ!」

「きゃっ」


 素早く危機的状況を察知した俺は、スズランの肩に腕を回しキッチンへ誘導した。


「うわっ、なにこれ!?」

「ああ、熊肉だよ。モンスターだけど」


 キッチンのカウンターに並べられていたのはこんもりとした大量の肉塊だ。

 もちろん俺が狩ってきたあの熊の肉だが、毛皮を始め、解体をしていたので骨や毛が散らばり、ちょっとばかし凄惨な光景になっている。


 スズランもさすがに驚いた声を上げたものの、彼女自身じいちゃんによる解体作業などを何度か見ているため、そこまで大騒ぎすることはない。

 すぐに落ち着いた態度を取り戻した。


「ふぅん……え!? まさか熊を倒したの!?」

「た、たまたまな」


 あっ、まずい。


 気付いた時には遅かった。

 獲物の解体などを何度も見ているということは、当然スズラン自体じいちゃんから熊の危険性については、耳にタコができるほどよーく聞かされている、というわけで。


「怪我は!? 熊ってすごい危ないっておじいちゃんが」

「うおっ! 落ち着けスズ! 台所だから! 危ないから!」


 目をかっぴらいて俺へ飛びつき、服をまくり上げ始めた。


「危ないのはお兄ちゃんでしょ!? 熊と戦うなんて!」

「弱ってたんだって! だからケガもしてないだろ!?」


 嘘である。

 元気ビンビンで襲い掛かってきて、つい数時間前まで限界ギリギリまで戦っていた。


「そう、なんだ……あんまり危ないモンスターと戦っちゃだめだよ」

「おう! まかせとけ!」


 両腕でサムズアップ。


「本当にだめだよ」

「おう!」


 とどめのパーフェクトスマイル。

 これにはスズランも納得したようで、深々とため息をつき、首を振ってもういいと目をそらした。


 やれやれ、なんとかごまかすことができたらしい。

 俺は額の汗を腕で軽く拭い、目の前の肉へと手を伸ばした。


「どうせ毒あるんでしょ?」

「いやソレが……なんも症状出てないんだよなぁ」


 スズランの疑問に俺自身、内心で首を捻りながら答える。


 俺は基本的に腕に接触させるパッチテスト、口内での刺激の確認、そして直接摂取による毒の検査をしてから毒抜きの工程に入る。

 しかし今回の熊肉、直接摂取までした上でスズランが帰ってくるまで二時間ほど経っているが、これと言った症状が何一つ出ていない。


 となればあり得るのは、熊肉が持つ毒性の特異性だ。

 毒と言っても簡単にまとめられるものではなく、有害な反応が出る物を人類は『毒』と総称しているに過ぎない。


 有名な例を上げるとウナギだ。

 ウナギは高価でうまいと多く流通しているが、刺身で食べたことがある人は少ないだろう。

 なぜか? ウナギの血液や粘液には毒が含まれているからだ。


 ここで浮かぶ疑問は、それならばなぜかば焼きとして親しまれているのか、という点にある。

 これは酷く単純な答えがあって、ウナギの毒はタンパク質性であるということだ。

 加熱した卵が生卵へ戻ることはないように、ウナギの毒も加熱によって性質が変わってしまい戻ることもない。


 よってウナギは安心してかば焼きで食えるというわけ。


「もしかしたら熊肉もタンパク質性の毒なのかもしれん」


 正直自信がないので、ついつい声が小さくなってしまった。

 断定はできない。

 毒の中には遅効性、半日から数日後に出るものだって少なくはない。


 まあ、毒消し飲めば毒はどうとでもなるだろ。

 最悪もっと高い毒消しも俺の部屋にあるしな。


「んー……良く分かんないけど食べられるの?」

「たぶんな」


 スズランに頷いて、肉へ手を伸ばす。


 直接鼻に近づけて匂いをかいでやるも、あまり強烈な獣臭はしない。

 こいつは腕肉だが、切り取ってすぐにダンジョン脇へ備え付けられた水道で血をしっかりと抜いてやった。

 獣肉ジビエの匂いは血が痛んだことで生まれる。探協でもしっかり冷やしてもらったから、今回は全く臭みがないまま持って帰られたようだ。

 これなら手間暇をかけずとも十分だ。


 俺は笑みを浮かべ、スズランへ宣言した。


「よし、今日は焼肉にでもするか!」

「わーい!」


 満面の笑みで両手を上げるスズへ、棚の奥へしまい込まれたホットプレートを引っ張り出してくるよう伝え、俺は肉へと包丁を伸ばした。


 この熊の魔石代、五百円で買ってきた長ネギ、キャベツ、ピーマンは既に切りそろえてある。

 俺だってたまにはがっつりと厚切りの肉を食いたかった、特に最近は倹約続きでちょいと欲がたまっていた。

 今日は食って食って食いまくるぞー!



 もし、だ。

 もしこの時、毒の症状がないことに疑問を覚えていたら、念のため食べるのを避けていればあんな事件はなかったのに。


 俺はこの日、一生忘れることのないトラウマを刻み込まれることになる。

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