第16話 勝者の末路
「か……は……っ」
いま、何が起こって……!?
自分が馬鹿みたいに吹き飛ばされたんだと気づいたのは、地面に叩きつけられて、脳天まで衝撃が突き抜けたその時だった。
遅れてわき腹から広がる鋭い痛み。掠めただけだが、それでもなおざっくりと切りつけられてしまったらしい。
「……まず、ったなぁ」
視界の端で獣が全力疾走しているのが見えた。
立ち上がって逃げるにはもう遅い。
十秒? いや、そんなにないか。
最悪
躊躇っている暇なんてない。
俺と一緒に吹き飛ばされたのだろう、横に転がっていた鉄鋼虫の殻を左手にあてがい、ぐるぐると着ていたシャツを脱ぎ捨て巻きつけた。
臆せば死ぬ。
――来る!
「オラァッ!!!! ぐ、ゥっ!」
飛び込んできた大顎に、俺は敢えて腕を突っ込んだ。
鋭い犬歯が、固く巻き付けられたシャツへ深々とめり込み――鉄鋼虫の堅牢な甲殻によって阻まれた。
「うおオオオォォ……ッ!」
しかしそれだけじゃ止まらない。
数百キロはあるだろうすさまじい巨体から生み出された突進は、俺の体を猛烈な勢いで押し込んでくる。
鉄鋼虫の肉による異常なドーピングをもってしても、その衝撃波すべてを受け止めるには足らなかった。
その上、勢いは止まったはずなのに今もギリギリと噛み付ける圧力は増すばかり、鉄鋼虫の殻の上から叩き潰して千切り取らんとばかりの勢いだ。
ああクッソ痛えッ!!!! なんちゅうバカみたいな咬合力してんだこいつッ!!!
腕の力を抜けば、筋肉の膨張が一瞬でも緩めば、間違いなく
目の上の一部すらえぐられているこの熊が、これだけの力を生み出しているとは信じられない。
俺とヤツの視線が交差した。
「――なめんな熊公がよォッ!! 俺はお兄ちゃんだぞッ!!!!」
俺が一瞬力を緩めた瞬間、獣の全身が俺へとなだれかかってくる。
荒々しい鼻息、つんと嗅覚をつく生臭い吐息、頬へ垂れかかるヤツの鮮血。
瞬間、俺は獣の頭蓋に思い切りナイフを突き立てた!
それでもなお獣の動きは変わることがない。この程度大したことがないと、俺の体を叩き潰さんとのしかかって!
俺はすぐに手を放しズボンのポケットへ手を伸ばす。
取り出したのは小瓶だ。小さな小瓶、中に詰まっているのは――
「こりゃ、死ぬほど気持ちいいぜっ!」
皮膚すら簡単に侵食する、スライムの核パウダーだ。
頭蓋の傷口へ直接叩きつけられた小瓶は砕け散り、その場に蒼の粉がばっさりと降り掛かった。
『――――――!!!!?』
反応は劇的だった。
先ほどまでの勢いはどこへやら、熊はもんどりうち激しく首を振って地面へと転がり暴れだす。
しかしその程度では張り付いた粉が剝がれるわけもない。彼の自分自身が流している血こそが、その粉をより一層べったりと貼り付けているのだから。
声にならぬ絶叫。
猛烈な動きによって周囲一帯をもんどりうっていた熊だったが、その動きは次第に精彩を欠いていく。
見る間に緩慢に、弱弱しいものへ。
「ハァ……ざまあみろってんだ、ハァ……バカ野郎がよ」
息も絶え絶えな俺の前で、熊の巨体がついに倒れ伏した。
◇
「換金と……治癒……」
「だっ、大丈夫ですか!? ちょっと誰かタオルと回復魔法使える人呼んできてっ!!」
ふらふらの体でどうにか探協にたどり着いた俺は、直ぐに職員の人々に囲まれた。
まあ見ての通りわき腹からだらだら血を流して、全身ぼろぼろで入ってきたんだから当然だ。
意識がぶっ飛びそうな中、介抱されつつ俺はどうにか横の人に鞄の中身を手渡すことができた。
「これ流水で冷やして……」
「なんですかこれ!?」
「熊の腕……」
「ハァ!?」
あっ、意識飛びます。
.
.
.
「気が付きましたか毒島さん」
目が覚めると死ぬほど頭が痛かった。
いったい何があったんだ……?
いまいち寝る前の記憶がない。
服を触り、自分の手を見つめ、ああ、そういえば死にかけたんだったと思い出したと同時、横にしゃがみ込んでいた人に気付く。
「ああ、受付の」
いつもの鉄面皮お姉さんだ。
どうやら三途の川はわたらずに済んだらしい、この人が渡し人の可能性もあるが。
無意識に脇腹へと手を伸ばすも痛みはない。
探協では常在の回復術師や、高価な薬品等が多く取り揃えてある。
俺の傷は実際わき腹の傷と、吹っ飛ばされた時の打撲や骨折程度だったようで、簡単な回復魔法だけでなんとかなったらしい。
「こちら先ほど渡された魔石の換金です、それとこっちは熊の腕」
「ああ、こりゃどうも」
す、とトレイとビニール袋が差し出された。
そういや熊を倒した後、ぎりぎりの意識で魔石と片腕だけ切り取って持ってきたんだったな。
ちゃんとやってくれたのか。
もちろん魔石は換金用で、肉は食う用だ。
水で冷やしてくれと言っておいたのでびちょびちょに濡れていているが、まあこれは問題ない。
笑顔でビニールとトレイの中身を受け取ろうとした俺の表情が凍り付いた。
「見間違いですか?」
「そう思うのであれば募金箱にでもどうぞ」
トレイに乗っていたのはたった一枚だ。
紙幣一枚? 違う違う、硬貨一枚。
世にいう500円玉がぽん、と一枚だけ。
「え?」
「なにか問題でも?」
首を傾げた俺をまねするように彼女も首をかしげる。
うそでしょ?
俺めっちゃ頑張ったよ? 死にかけたよ?
熱い奮闘繰り広げたよ?
ごひゃくえん?
「噓でしょ?」
「私は嘘が嫌いです」
「『西スライム丘』のボスですよ?」
「ええ、ですからスライム等より高価ですよね?」
スライムの魔石は大体120円前後だ、確かに高価買取されている。
……ワハハ、なかなか面白い冗談だ、
こりゃきっとドッキリに違いない、俺そういうの分かっちゃうんだよね。
熱い期待を視線に込め、受付のお姉さんをじっと見つめる俺。
「その……恥ずかしいのですが。そういうのは営業時間が終わったら……あと三時間です」
腕時計をちらりと見て彼女は薄く頬を染めた。
「何がだよ! ちくしょう本当に500円なんかよ!」
「そちらはそうですね」
そちらはそうらしい。
なんともやりきれない気持ちを胸にしまい、トレイの硬貨一枚を受け取る俺。
そんな俺に彼女はふ、と口元を小さく緩め……
「掃除は自分でしてください」
――そっと雑巾を四枚くらい手渡した。
ついでに水の並々と入ったバケツと、アルコールスプレーも渡された。
「えっ、病人ですよ?」
「もう治りましたよね?」
さらに請求書も渡された。治療費として三千円らしい。
支払いは引き落としにしてもらって、俺は泣きながら床を拭いて家に帰った。
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