第11話 クク……フハハッ……ハーッハハハハハハハハハハ!
「あっちぃ……全然だめだ」
頬を伝う水とも汗ともとれる液体を拭い、一人夜風に当たりながら唸る。
妙な暑さに唸ること二時間、冷水を浴びたにもかかわらず熱が抜けきらず、俺は未だに眠ることができないでいた。
どうやらこれはただ単純に部屋が暑い、体が熱いといった自然の影響ではなさそうだ。
なにかもっと内的な、つまり体内で何かが起こっている可能性が高い。
思い当たる節は……あった。
というかどう考えてもさっき食った鉄鋼虫以外なかった。
「これってもしかして……食中毒……ってコト!?」
こりゃまずいと廊下を早歩きで進んだその時だった。
「あっやべっ」
ブチブチという音に気付いた時にはもう遅い。
焦りからか力んでしまい、両手で握っていたタオルを引きちぎってしまった。
嘘だろ!?
使い込まれて繊維が弱っていたのかもしれないが、タオルも安いものではない。
新たな雑巾候補を生み出してしまったことに小さな悲しみを覚えながら、無残なぼろ切れ片手に廊下を往く俺。
たどり着いたのは二階、愛しの妹の部屋である。
「スズ、起きてるか?」
軽いノックと共に声をかけてみるも返事はない。
扉の隙間かは光も漏れていない、どうやら既に就寝しているようだ。
さて、どうしたものか。
扉の前で少し考え込むも、俺はドアノブへ手を伸ばした。
「……ちょいと失礼いたしますわよっと」
年頃の女子の部屋へ入り込むのはいささか気が引けるが、今回ばかりは致し方ない。
元々体が弱く、体格も俺に劣るスズランは当然毒への許容量が低いだろう。
場合によっては残っていた毒性によって命の危険すらある。
それにまあ、ばれなきゃ犯罪じゃないんですよね。
ばれたらたぶん殴られるけど。
「大丈夫そうか」
布団を蹴り飛ばし、腹を出した寝顔を覗き込み胸をなでおろす。
呼吸はいたって正常。
顔つきも特段苦しさなどはなく、まったくのんきにすやすやと安眠している。
その細く白い首元に軽く手を当て一応体温や脈も見てみたが、ちょっとひんやりとするだけで、やはり特に目立った点は見受けられなかった。
前もって毒消しを飲ませておいて正解だったようだ。
「ったく腹冷やすぞ」
勝手に侵入しといて誰が言うのかという感じではあるが。
蹴り上げられた布団をちょいちょいと引っ張り、パジャマを腹下まで戻して布団を乗っける。
ついでに垂れてたよだれもさっき引きちぎったタオルで拭ってやった。
どうせこの後また垂らすんだろうなぁ。
「……おやすみ」
ゆっくりと扉を閉め、小さくつぶやく。
一番の心配だったスズランは無事だった。
あの毒消しは結構高級品で、Cランクのモンスターの毒までなら大体無効化できる。
元々ダンジョン産のモンスター肉で店をやろうとしていた都合上、材料費がタダに近いからこそ用意できたものだ。
流石に毒抜きで微量に残った毒程度なら何とかしてくれたらしい。
「いやーびびったビビった」
布団に入る前に洗っておいた皿たちをひょいひょい棚へしまい込み、いまだ流れる額の汗をぬぐう。
あとはこの残った箸やフォークを、ちゃぶ台の上にあるケースへと放り込めば終わり、という時だった。
「あん?」
いつも通り握ったつもりだった。
しかしバキバキといういびつな音と共に、無残にもへし折れた箸が俺の手のひらから零れ落ちる。
「ぁえ!?」
一本、二本、いや、もはやいちいち数えてすらいられない。
握った箸の大半が真ん中あたりからばっきりと真っ二つだ。
「ぁえええええええ!?」
なんで!?
さっきまで普通だったじゃねえか!?
「まさか俺が……やったのか……!?」
両掌をじっと眺め俺は小さく
探訪者のレベルはあくまで体内魔力量の計測による目安だが、実はゲームのそれと同じように、高レベルになるほど身体能力が上昇する。
特にレベル100を超えるとその差は顕著で、ダンジョンが出た最初期、細身の女探訪者がダンプカーを蹴り飛ばす映像は多くの人に衝撃を与えた。
が、だ。
所詮俺はレベル三の人間、ザコザコアンドザコのスーパーザコザコ探訪者である。
ぶっちゃけ身体能力とか普通の人と大して変わらん。
試さなくては、いったい俺の体に何が起こっているのかを。
「おっ、ちょうどいいのあんじゃん」
それはテレビの前に並べられたリンゴであった。
季節外れで安かったので大量に買ってきたは良いものの、ちょっと食い飽きて放置していた最後のひとつである。
俺はそれをひょいとつかみ上げ、深皿を下に添えつつ片手で軽く力を込めてやった。
「ふぬっ! おお!」
ぶしゅ、っと盛大な音を立てて砕け散るリンゴさん。
指の後がくっきり残った残骸をそっと深皿へ置き、予想が確信に変わった俺はぺろりと指先を舐めた。
このリンゴはボケている、生食には向いていない、と。
なんとなく食わないで置いといたけどさすがに放置しすぎた。
それとなんかパワーがみなぎっている、と。
「こりゃバフ、ってやつか」
どうにもゲームチックな言い方だが、これが一番しっくりきた。
ダンジョンは未知のものがあまりに多すぎる、これもきっと一つの未知が既知へ変わったにすぎない。
たとえばまだ俺は使えないが、同じ武器を振り続けるとふとした拍子に使えるようになる『スキル』というのもある。
さらにそれを使い込めば第二階位の、第三階位の、そしてごく一部の人間は『第四階位』や自分に合ったスキルなどもあるらしい。
それに高レベルの探訪者の姿が突然変わり、様々な身体能力が向上する『獣人化現象』も忘れてはならないだろう。
モンスターの肉を食って身体能力が上がるなど、それらと比べればそう驚くことでもない。
「全ての薬は毒である、か」
いったい誰の言葉だったかはすっかり忘れてしまったが、かつて誰かから聞いたそれをふと呟く。
例えばトリカブト。
猛毒の野草として知らない人はまあ、ほぼほぼいないだろう。
葉っぱ数枚を食うだけで心臓を止めてしまうほど激烈な毒を持つが、しかし一方でその成分はごく少量なら痛み止めや心臓病の薬になる。
激烈な毒性というのは同時に、並大抵の成分では比肩し得ない力を持っているとも取れる。
思えばスライムの体液を合わせたハッピーパウダーは気分を高揚させてるが、あれもある種の毒性の発露なのかもしれない。
「お、面白れぇ……!」
俺は無意識に笑っていた。
毒が薬になりうるなら、逆説的にモンスターの肉は何かしらのバフ能力を秘めていることに気付いたからだ。
そしてどんな能力が花開くか、それはまだ誰も知らない。
そう。誰もやってない領域で、誰もやっていない方法で、誰も知らないことを知る。
これに心が躍らない奴なんていない!
しかも研究対象はわざわざ飛行機や船で遠乗りする必要すらない、ママチャリで数分間走ればすぐそこにある!
誰にも開拓されていない、俺だけのブルーオーシャンが広がった瞬間だった。
「クク……フハハッ……ハーッハハハハハハハハハハ!」
「……中二病ごっこ?」
「うおおおっひょぉ!? スズ!?」
いつの間にかスズランが背後に立っていた、なんともしょぼくれた顔で目を擦っている。
「いや違えよ! なんで起きてんだ」
「のどかわいた、みずちょーだい」
もしかしたらさっき俺が侵入したことで、眠りが浅くなってしまったのかもしれない。
そっと手渡したコップの水をゆっくりと飲み干した彼女は、ふらふらと頭を振りながら俺へと背を向けた。
「おやすみ、ちゃんと布団かぶれよ」
「やっすー」
おやすみくらい端折るなよ。
「とりあえず――」
再び静寂を戻したキッチン。
俺はさっき握りつぶしてすこしだけ色が変わり始めたリンゴのかけらを、じっと眺めながらつぶやいた。
「リンゴジャムでも作って寝るか」
もったいないし、生で食ってもたぶんうまくないし。
あと明日使える箸探しとかねえと。
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