第10話 「体が熱い……貴方一体何をしたの!?」「エビチリを食いました」

「今日のご飯は本格エビチリ、ダンゴムシ風味だ!」


 しっかり油のなじんだ中華鍋を握りしめ、俺は宣言した。


「……ダンゴムシ風味って、なんかその、食欲が」

「じゃあ食べなくていいですぅー!お兄ちゃんだけで全部食べますぅー!」

「ごめんって!」


 本気で悪いと思っていないであろう、適当に胸の前で手をあわせ笑っているスズラン。


「ったく、長ネギあったっけ?」

「んーっと……」


 そんな彼女を見ながら冷蔵庫に向かって顎をしゃくり上げ、さあ行けとけしかける俺。

 仕方ないと苦笑しながら冷蔵庫に駆け寄った彼女は、しばらくがさがさと中を物色したのち、こちらへとひょっこり顔をのぞかせた。


「干からびかけのなら」


 すっかりしわっしわになったそれを、軽く振りながら見せつけるスズラン。


「あーおっけーおっけー、そいつくれ」


 ないよりはあった方がいいだろう。

 ニンニクとショウガを刻みながら適当にそれを受け取り、ついでに細かく包丁を入れていく。

 俺はスズランが向こうでがさがさ探している間に、準備していたボウルへとそれらをざっと押し込み、ゴムベラと共に戻ってきた彼女へと手渡した。


「これ混ぜといてくれ」

「ほい」


 しかし取り出したままだった調味料たちを見て、ふとスズランが首を捻る。


「え、ケチャップはいらないの?」


 俺はその言葉ににやりと笑った。


 エビチリはたっぷりのケチャップに鶏だしなどで軽く味を調えた、いわばエビのケチャップ炒めとでもいうべきレシピが一般的だ。

 しかしスズランの言う通り、今調理台にあの独特のチューブは置かれていない。


「今日は本格って言ったろ? 甘さは既に置いてきた……あの時にな」

「そんな……! 優しかった貴方はどこに行ってしまったの!?」

「甘さだけじゃ出せねえ味があるんだっ!」


 硬く拳を握りしめ、劇画調の顔つきで俺は吠えた。


 一般的なエビチリのレシピは実は結構本家から魔改造されている。

 本来は豆板醤をベースにしたチリソースで炒めるのだが、日本に入ってきた当初はまだ豆板醤が一般的でなく、悩んだとある料理人がケチャップで代用したんだとか。

 事実魔改造されたことでここまで一般的になったのだから、その料理人の手腕は押して図るべしである。


 が、今日は本格派志向なのでたっぷりの豆板醤で味付けしていく!


「豆板醤! 鶏がらスープ! 醤油! 酢! それとちょっとの砂糖! これが俺のエビチリだァーー!」

「甘さ入ってるじゃん」

「思い出したんだよ、優しさは大事だからな」


 甘さを思い出して人は一味変わるのだ。

 一分一秒前の俺すら置き去りにする。これが常に成長し続ける男、毒島ぶすじまシキミよ。


 納得いかないという顔付きでゴムベラを混ぜるスズランの横で、水を切った肉へと卵や小麦粉をかけてしっかり揉み込んでいく。


「さあ一気に行くぞ」


 ここからはスピードが重要だ。

 中華鍋に一センチほどの油を注ぎ、少し油から煙が出る程度まで熱して次々に肉片を放り込む。

 しっかりと加熱した油の中で肉が踊り、薄く仕上げた衣があっという間にほんのりと色づき、香ばしい小麦の香りがキッチンに立ち込めた。


 間髪おかずにキッチンペーパーで余分な油を拭い取り、スズランから受け取ったソースを投入!


「おお……」

「スズ、ごはんの準備してちゃぶ台で待ってな」


 アツアツの鍋肌に触れたソースが一斉に湧き上がる。

 ショウガが、ニンニクが、醤油が、豆板醤が、香ばしさと共に渾然一体となって、濃厚な香りが一斉に花開いた。


 鉄鋼虫の肉は加熱しても縮まずつやつやしたとしているのが特徴だが、その分ソースの絡みは悪いだろう。

 しかしここでただ炒めるのではなく、先ほど俺が加えたひと手間が光る。

 しかし軽く揚がって水分の抜けた薄い衣は、この辛旨のソースをたっぷり吸いこんでエビに絡みつくのだ。


 既に毒抜きのため下茹でしたため、あまりそう延々と火を加える必要もないだろう。

 軽く炒め、机の上へ既に置かれていた大皿へまっすぐ向かう。


「ほい完成!」


 油によって加わった照り、豆板醤の赤と長ネギの緑が鮮やかなコントラストとなって皿の上に広がった。


「お待ちどう! さあ喰らえ、獣のようになァ!」

「いただきまーす!」


 スズランが皿へと箸を伸ばすのを視界の端で見ながら、今度は冷蔵庫の中からキャベツとみそ汁を取り出す。

 みそ汁は既にできたものを冷蔵しておいたものなので、乾燥わかめだけひとつまみお椀に放り込み、注いでレンジへ。

 キャベツは鼻歌交じりでたっぷりの千切りにしてやり、少し大きめのボウルへとたっぷりよそう。

 

 本当はおしゃれサラダなんてやってやりたいものだが、レタスだのなんだのと彩りを考えると中々お金がかかるもので、我が家のサラダは大体キャベツの千切り一択だ。

 むしろ年中ひと玉二百円前後で買えるキャベツは家計の救世主、農家の方に感謝すべきである。


「おいしい! からーい!」

「そうかそうか、野菜もちゃんと食えよ」

「はーい」


 スズランの前にサラダとみそ汁を置き、俺もようやく一息ということで手をあわせる。


「いただきます。どれどれっと」


 やっとメシだ。


 踊る心を抑え、大皿へとゆっくり箸を伸ばす。

 つまみ上げた瞬間帰ってくるのは生とも違う、ぎりぎりで火を止めたエビのようなプリッとした触感。

 まだアツアツの湯気がふわりと上がり、口元へ運んだ瞬間に食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐった。


「――っ!」


 真っ先に感じたのは塩味、ソース自体の深いコク。

 しかし追ってきたのは辛く濃厚なソースに決して負けていない、強いエビの甘みとうまみ。

 もしケチャップで仕上げていたらきっと甘すぎた、ベースを豆板醤と醤油の本格的なソースにしたからこそ、この完成度になったのだろう。


 気が付けば俺は白飯を掻き込んでいた。

 これでコメを食えないやつはいない、いたら俺が殴る。


「エビチリさいこー!」

「ダンゴムシチリな」

「ちーがーう!」


 違くはないだろ。


 謎の否定をするスズランへ内心突っ込みながら、モサっと山盛りのキャベツを頬張る。


 肉もソースもどちらも強い味を持っていた。

 しかしこのぱりぱりとしたキャベツの持つ、ほんのわずかな辛みとさわやかな甘みが口内をさっぱりと洗い流し、またダンゴム……エビチリの鮮やかなうまみを楽しめるようになる。


 こ、これは無限ループだ!

 目の前にあったら一生食い続けられる!


 スズランへちらりと視線を向けると、彼女はこちらへ目もふれずどんどん大皿へと箸を伸ばしている。

 まずい、体弱いくせに全部食う勢いだ。

 そして一晩中唸って俺がせわするのがめにみえている、これは俺が大量に食って防がねば。


「――ねえお兄ちゃん」


 ふと、スズランがこちらを見て嗤った。

 その程度の速度でいいのか? と。私はもっと早く食えるぞ、と。


 瞬間、俺は確かに戦いのゴングが鳴り響いたのを聞いた。

.

.

.


 すっかり空になった皿をシンクに置きながら、彼女が満足げな表情を浮かべて振り向いた。


「ごちそーさま! 私一生これでいいかも……」

「栄養偏るからだめ、あとちゃんと毒消し飲んどけよ」


 部屋から持ってきた薬ケースを机に置き、一つスズランへと手渡す。


 見ての通りだが、店を開くため買い集めた毒消しはまだたっぷり残っている。

 一時間で症状は出なかったものの、毒には数時間、場合によっては半日や数日、年単位かけて効くものも存在するので気は抜けない。


「お兄ちゃんも飲みなよ」

「いや、俺は良い。このまま待って毒が抜けてるか確かめる」


 スズランの視線が刺さった。


 おかしい。

 さっきまであんなうまそうにダンゴムシチリを貪っていたとは思えないほど、その目線はすっかり冷え切っている。

 唐辛子が足りなかったのかもしれない。


「……まさか、まだ諦めてないの?」

「あこがれは止められねえんだ」


 法律の壁は高く、商売としてそう簡単に他人へと提供はできないかもしれない。

 しかしいつか法律が変わる可能性もあるし、情報収集は怠らないのがプロというもの。


 ぐっと拳を握りしめ高らかに叫ぶ。


「俺は絶対に魔物喰い亭を復活させるぞ!!!」

「夢を持つことは自由だよねぇ、じゃ」


 なぜか静かにリビングから去っていくスズラン。


 昔は何をするにでも俺の後ろについてきたのに……お兄ちゃん寂しいよ……

 思春期ってやつなのかなぁ。


 妹が兄離れを始めた可能性に悲しみに暮れながら皿へと手を伸ばす。


 皿は優しいなぁ。

 なにせ角がない。触れあっても嫌がらないし、もしかして俺の本当の妹は丸皿なのかもしれない(?)。

.

.

.


 と、鉄鋼虫の毒抜き実験と実食はそんな感じで終わったのだが。

 問題が起こったのはその夜だった。


「なんかあっちぃなぁ」


 布団からむくりと起き上がった俺は、窓を全開にして夜風にあたった。


 辛いものを食べれば熱くなるとは言え、さすがに数時間持つほどの効果はない。

 しかし食事をとってから寝るまでその熱は冷めず、むしろひどくなるばかり。

 汗で湿った胸元をパタパタと仰ぎながら、少し眠気で働かない頭を二、三度振って空を仰ぐ。


「……シャワーでも浴びるかな」


 冷水でも浴びれば多少はましになるかな。

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