第8話 キメモノフレンズ
「て、鉄の助ェ!?」
突如としてぐるりとひっくり返ってしまった鉄鋼虫。
よく見れば鉄の助だけじゃない、仲良くスライムの残骸を舐めていた鉄太郎までもがひっくり返っているではないか。
これは間違いなく異常事態だ。
ここ数日異常事態が連続しているため何をいまさら感が強いが、実際異常事態なのだから異常事態なのだ。
今まで鉄鋼虫がひっくり返っているのなど見たことがない。なんたって腹部は堅牢な彼らの唯一といっていい弱点。
そんな場所をみすみす見せるなんて……まさか、
「まさか、俺に懐いて……!?」
まさかエサを与えたことで、犬がそうするように敢えて弱点を俺へと晒しているのか!?
モンスターが人に懐いた事例は存在しない、少なくとも俺が聞いた限りでは。
もしそんなことが可能だとしたら、それは人類史に間違いなく名を遺す偉業となるだろう。
信じがたく、しかしどこか浮かれた気持ちでおもむろに、俺は指先を差し出した。
ピン、と貼った無数の手足を超え、ついに指は触覚、そして彼の顔元へと触れ――
「痛ァッ!? 噛みやがったな!?」
普通に噛み付かれた。
鉄鋼虫のサイズがサイズなだけに普通に痛く、指先からじんわりとあふれる血を見て、俺の意識はすぐに冷静なものへと戻る。
「ああ……俺と同じでハッピーで埋め尽くされてんのかもしかして」
落ち着いた目で見てみれば、足先や触覚の先をびくびくと振るわせひっくり返る姿は、スズランから話に聞いていた俺の姿に少し似ている。
いや、こんなひどい姿じゃない、多分。が、まあ似ていると言っても……いや、似てない。絶対に似てない! ……少しハッピーパウダー使うの控えようかな。
ともかく鉄鋼虫達はキマってトリップしているらしい。
俺はそれこそ指先のほんの少しで気分が高揚してしまうが、こいつらは随分大量に摂取しないと症状が出ないあたり、本来こんなことになることはめったにないのだろう。
それにしてもあの鉄鋼虫が腹を見せるなんてなぁ。
下手したら一生倒せないくらいに考えてたのになぁ。
「……てい!」
俺は元鉄の助に木刀を振り下ろした。
外殻の硬さは一体何だったのか。そう思ってしまうほど簡単に木刀は深くめり込み、ビクンと鉄鋼虫の体が大きく震える。
いやだってさぁ! 目の前で強敵が簡単に倒せそうだったからさぁ!
いったい誰に言い訳をしているのか、それは俺にもわからない。
ただ一つ言えることは、四度目の振り下ろしでついに鉄鋼虫は動きを止めたということだけだ。
「嘘だろ……倒せちゃったよ……」
木刀からほんのり青い体液をぽたぽたこぼし、唖然と呟く。
既にもう一匹の鉄鋼虫は逃げてしまったが、今はもうそれすら気にしていられない。
ホンマにこんな簡単に倒せちゃっていいんだろうか。
あの鉄鋼虫だぞ? レベル20を超えてDランクダンジョンにも慣れた探訪者ですら、まともにダメージを与えられないって言われてる、あの鉄鋼虫をだぞ?
レベル3の俺が、ましてやたった一人で倒すだなんて。
全く動かなくなってしまった鉄鋼虫、当然既に息絶えている。
正直まだ困惑したままの俺はそれをしばし見つめ……静かに鞄からナイフを抜き取った。
◇
「ただいまお兄ちゃん、今日は早いね」
「ああ、おかえりスズ。ちょっと新しいモンスターを倒してな」
スズランが高校から帰ってくるより早く、俺は既に家へと帰ってきていた。
俺の目の前でまな板に乗っているのは、白くプリンっとした巨大な物体。
お気づきであろう。そう、鉄鋼虫の肉である。
触った質感としては肉と言っても動物のそれではなく、どちらかと言えばエビやカニの生に近い質感に思えた。
「……食べるの?」
「まだわからん」
不満げな表情でこちらをうかがうスズランへ首を振る。
モンスターの肉には毒がある、当然こいつにも毒があるのは間違いない。
しかし
身近な例で例えれば、コンニャクイモの毒は茹でこぼしで大半が失われるし、ワラビなども割と強烈な毒性があるが灰汁や重曹で簡単に毒抜きができる。
果たして鉄鋼虫はどんな毒を持っていて、どうすれば抜くことができるのか。
それを今から俺は試そうとしていた。
「パッチテストは……大丈夫そうか」
帰る道すがら、手の甲に貼ったばんそうこうの下に小さく切った肉片を仕込んでおいたが、剥がしてみたところ特に何か腫れた様子はない。
既に貼り付けてから三十分は経っていることから、おそらく鉄鋼虫の肉に猛烈な毒性や、皮膚を溶かしてしまうような酸性
第一段階クリアだ。
「んじゃ早速一切れっと」
本当は唇に当てるなどといった段階を踏むのだが、スズランが帰ってきたことで少し焦っていたのかもしれない。
俺は指の爪ほどのサイズに切り取った鉄鋼虫の肉片を、特に躊躇いもなく口に放り込んでしまった。
「――!」
違和感が広がり……即座に大爆発ッ!
「cq;う、r0いvんmっもおぁああああああああ!?!?!?!?」
「お兄ちゃん!? どうしたの!?」
苦味ッ!!! 圧倒的ッ!!! 苦味ッ!!!!
エグいッ!!! 味蕾すべてが蹂躙されるかのようにッ!!!
「みじゅ! みじゅみじゅみじゅ!!」
「お水!? お水ね!? ちょっとまって今コップ用意するからっ!」
もんどりうった俺の後ろでスズランが走り出す。
震える手で受け取った水を思い切り口へと含み、激しくゆすいで流しへ吐き捨てたものの、口へとこべり付いたえぐみは消えることを知らない。
「ほにょおおお!!! おふおぉ!! ぺっ! ぺっ!」
それからというもの俺はひたすらに何度もうがいを繰り返し、スズランに背中を撫でられて落ち着くまでに五分が経過していた。
「ど……」
喉が震えた。
心配そうにこちらを覗き込む妹へどうにか笑顔を向けたかったのだが、笑顔の仕方すらこの一瞬で忘れてしまった。
それほどの衝撃だった。
まだ口の中は酷い味で占領されている。
戦いを始めてからまだ数分しかたっていない、そのはずなのにシャツの胸元は汗でしっとりとしていた。
なんてことだ……
「毒だこれ……」
「当たり前でしょ!? もう捨てちゃうからね!」
ビニールを手袋代わりにはめたスズが白く細い腕を伸ばす。
そんな彼女の手の甲へそっと手を合わせ、口元を拭いながら俺は力強く笑った。
「まて、まだ戦いは終わっちゃいない」
「終わっていいよ……」
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