第2話 誓って依存性や身体への毒性はありません

毒島ぶすじまシキミさん、ね。変わった苗字してるね」

「はい……」


 ぎしぎしと軋むパイプ椅子に体重を預け、俺、毒島ぶすじまシキミはより一層背中を丸めてうつむく。

 先ほど俺の店に訪れたあの男が、ボールペンの先をカツカツと机にぶつけながら、相も変らぬ仏頂面で今しがた書いた書類をじいと眺めた。


 お気づきかもしれぬがここは警察署、ずるずると引き摺られ車で乗せられた先にたどり着いた場所である。

 薄暗い部屋でじんも……調査と称した書類への記入を済ませた俺は、目の前の警察官から淡々と説教を受けていた。


「十八歳か、お兄さんまだ若いから仕方ないかもしれないけどね? モンスターの肉を食べる方法があるのは知ってるけどね、基本毒あるから法律で提供は禁止されてるの」

「はい……すいません……」

「それに屋台で飲食物を販売するのも許可証が必要でね、持ってる?」

「いえ……本当に知りませんでした……」


 これは本当に知らなかった。

 どうやら屋台飯を開くには保健所などで色々と許可を得なくてはならないらしく、とりあえず屋台を借りて取ってきたモンスターの肉やダンジョンの植物で料理を提供していた俺は、まずスタートラインからしてアウトだったらしい。

 ついでにそもそもモンスターの肉を提供しようとしている時点で、保健所からの許可など下りないとも言われた。


 そう、法律という壁はただの一般人である俺が越えるにはあまりに高く、潜り抜けるにはリスキーで、俺の夢はそもそも構想の時点でとん挫していたのだ。


 頬を涙がほろりと伝う。

 ダンジョンが出て三年、モンスターの肉の毒性はすぐに知られた。

 それでもなお無駄にしたくないという、猟師であるじいちゃんから学んだもったいない精神はどうあがいても商売に生かせないらしい。


 モンスターの肉、うまいのに。


 そんな俺の涙を一体何だと思ったのか、先ほどまで刺々しかった刑事の声がいささか丸みを帯び、仕方ないとでもいうかのような嘆息と共に彼は指を組んだ。


「店開いて何分だっけ?」

「五分と二十四秒です……」

「秒数までは聞いてないけど、まあいいや。ともかくまだお客さんも入ってないだろうし、狂い鳥も魔ネギも毒性が低いから今回は不問にしておくからさ、ね?」

「はい、はい……すみません……」

「屋台だけ撤去して、普通に生きよう? お兄さんまだ若いんだから、ね?」

「はい……」


 俺はすっかり意気消沈ししぼみ切った心を抱きかかえ、促されるままに立ち上がって扉へと向かう。


 法律が許さないのなら仕方がない。

 モンスター肉を提供することは違法だが、自分で採取したものを食うことは問題がない。

 そして金銭のやり取りがない、つまるところ家族や友人への提供は一応合法らしい……法律の穴をついた方法だが。

 つまりモンスター肉のうまさを知らせるには屋台ではなく、手料理をふるまうくらいしかないらしい。


 一か月にわたる構想は残念ながら破綻を迎えたが、次なる作戦を考えなくては。

 どうやってより効率よくモンスター肉を広めるのか……うん……さて、どうしたものか。


「あの」

「どうしたんだい?」

「お腹すいちゃって、かつ丼って出ますか?」


 無言の警官が二人現れて俺は警察署からたたき出された。



 冷房の効いた警察署から放り出され、アスファルトから湧き上がる熱気に包まれた俺は深々とため息をつく。


「はぁ~~……」


 一か月の準備がわずか五分と二十四秒で無に帰した事件は、どうしようもない悲しみを俺の胸へと残した。

 太陽はまばゆく輝き俺を力強く突き刺すものの、むしろその光こそが俺の暗く沈んだ心の闇を色濃くしていく。

 良いものが必ず繁茂するわけではない、世の常かもしれないがなんともこらえ難い無常だ。


 すっかりしょげ返ってしまった俺は、背負っていた鞄を近くにあったベンチへとおろし、がさがさと探って二つのガラス瓶を取り出した。

 一方になみなみと注がれたのはほんのり青い透明な粘液、そしてもう一方には陽の光を受けきらきらとした乱反射する深い蒼の粉。


 これはスライムの体液と、核を粉にしたものだ。


 どちらも手に触れると皮膚が溶けるので慎重に小皿へと同量注ぎ、横に転がっていた細い木の枝でぐるぐると混ぜればそれはすぐに起こった。

 さっきまでねっとりとしていたソレが、まるで魔法の様にみるみる凝固し白い塊へと姿を変えたではないか。


「よしよし」


 ここまでくればもう安全だ。


 何度も繰り返した経験から実験の成功を確信した俺は、指先で直接塊をもみほぐし白い粉へと変えた。

 予想通り、本来ならどちらも皮膚を溶かしてしまうはずの素材から生み出されたその粉は、俺の指先を溶かすことなく皿の上へと散らばる。


 スライムから作り出したこれを俺はハッピーパウダーと勝手に読んでいるが、俺はこれが大好きだ。


 はたから見れば俺の顔は、きっととんでもなくにんまりしていただろう。

 今日もいい出来だと自画自賛しながら粉を皿の端へと寄せ集め……思い切り鼻から吸い込む!


「あっ、キタキタ……」


 一瞬経って、激しい瞬き。

 さっきまであれだけ沈み込んでいた気分がどんどん良くなっていく、天にも上がるかのような気分だ。

 くらりとした酩酊感、心の底から湧き上がってくる衝動。


 俺は両手を天へと突き上げて思い切り叫んだ!


「はぁぁぁ~! きっくぅ~!!」


 テンション上がってきたァ!

 一回の失敗がなんだ! 一か月の喪失がなんだ!

 まだ俺の野望は始まったばっかりじゃねえか、こんなところで止まってられねえって!

 決めた、今からダンジョンに潜ってまずは次なる計画のための資金集めをするしかねえ!


「お兄ちゃんなにやってんの?」

「おおその声は――」


 俺はバキバキにキマった目で両手をがばりと開き、背後から声をかけてきた少女へと抱き着いた。


「わが愛しの妹、スズじゃないか!」

「……お巡りさんに捕まったって聞いたから心配してたのに、また使ってるの?」


 しかし彼女はひょいと避けてしまう。

 結果、熱い地面との抱擁を果たした頭上から降りかかったのは、呆れと安どの混じった声。

 毒島ぶすじまスズラン、今年高校に入学したばかりの大事な妹からとの朝ぶりな出会いは、実にいつも通り冷たいものだった。

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