第六十三話 身代わりの王
ラバシュムが暗殺されかけるという大騒動からはや五日。
新王であるラバシュムの正式なお披露目となった。
ジッグラトの上から顔を出すという芸も何もない儀式未満の行為でしかないが、王であるのならば数多くの儀式をこなすことは避けられない。
その第一歩としては順当とも言えた。
その直前にエタが新王と拝謁する名誉を賜ったのは今回の騒動で王と知己を得るという最大の目的を達成したことを意味する。
ラバシュムと二人きりで向かい合っているのも信頼の証だろう。
ラバシュムは簡素ながらもよく見れば極めて上質である衣服に身を包み、いくつかの装飾品は整った顔立ちをさらに美しくさせていた。
……ただ、勇ましさや男らしさとは反対の方向だったので、人によっては受けが悪いかもしれない。
「王位継承、改めてお祝い申し上げます」
「エタ。そんな風にかしこまった口調はやめてくれない?」
ニッグが亡くなった衝撃も癒えたのか、以前のような快活な口ぶりに戻っていた。
「そういうわけにはいきません。あなたはこの国の王なのですから」
「もう……せめて一人くらい砕けて話せる人が欲しいんだよ」
「……まあ、そういうことなら」
エタが口調を柔らかくするとラバシュムは微笑んだ。
「でもすごいことになったね。歌手をしていたら、次は王様なんだもの」
「うん。すごく激動だね」
しばし、長いようで短い冒険を二人で思い起こした。ふと思いついたようにエタは尋ねる。
「そういえばアトラハシス様がおっしゃっていたんだけど、君がいたころのジッグラトではタンムズ神の像も安置されていたって本当?」
「うん、そうだよ。あの頃にはまだあったんだ」
何気ないように、友人のように。
「そうなんだ。やっぱり君は王子じゃないんだね」
エタは真実を告げた。
わずかな静寂。
顔を真っ青にしたラバシュムは次にはっとした。
「今のは……かまかけ?」
「半分はそうだね。あとは推測かな」
「その推測を聞かせてもらえる?」
ラバシュム……そう呼ぶべきなのかわからない少年は観念するような、やけになっているような、冷静で沈んだ顔だった。
「身代わり王だよ」
この騒動の出発点。
出口のない円環のように終点であるはずのこの場所へ話題は戻ってきた。
「身代わり王を建てるように、王子にもまた身代わりがいなければおかしい。だからたぶん、ニッグこそが血筋としては正しい王で、君は身代わりなんだ」
「でも、『父の名を明かす掟』はどうなるの? あれには確かに僕の名前があったんだよね」
「身代わりを建てる際の手順を調べたところ、王族に伝わる粘土板を使用するらしいよ。それほどのものなら、ラキア様の掟さえごまかせるかもしれない」
もっとも、あのラキア様なら『彼』がラバシュムでないことに気づいていてもおかしくはない。そのうえであの芝居に協力したのかもしれない。
「……君意外にこれを知る人はいるのかな」
「わからない。でもたぶん、アトラハシス様は気づいているはず。前王の腹心だった何人かに暇を与えているからね」
王子が入れ替わっているという事実を知るものは少ないほうがいいという判断だろう。
ただ、これはあまり疑われることはないだろう。
前王の影響を排除するために人事を一新することは決して珍しくない。だが、本当に驚くべきなのは。
「そんなことをしても、政務は回るんだね」
この騒動で少なくない人が危機に陥り、あるいは命を落とした。
それでもラルサの運営は揺るがない。
まるで。
「王様なんて、誰でもいいみたいだ」
ラバシュムの発言はおそらく正しい。
王という機能さえ発揮するのならそれが連綿と受け継がれてきた血筋でなくても構わない。少なくともアトラハシスやラキアはそう考えている。
一体どれほどの虚偽が重なってこの国はなり立っているのか。それを思えば吐き気が込み上げてきそうだが、それにエタ自身が関わっていることがより気分を憂鬱にさせた。
「ニッグ……ううん、ラバシュムは多分、それが嫌だったんだと思う。僕は庭師の息子でね。彼が身分を隠して『荒野の鷲』に加入した時、彼の従僕として僕も一緒にギルドに加わったんだ。今思うとその時点で僕を身代わり王子にするつもりだったのかもしれない」
「……」
「僕は彼の部下のようなものだったけど……それでも彼は良くしてくれたんだ。身代わり王子になることが決まった時、一番反発したのは彼だったよ。決して……僕の両親じゃなかった」
おそらく目の前の『ラバシュム』にとって最も悲しかったのは両親が自分の命を捧げることをためらわなかったことだろう。それと同時に、本物のラバシュムの優しさに感銘を受けたに違いない。
「でも身代わりの話は覆らなかった。その代わり、彼とある約束をした」
「約束? 何を?」
「できるだけ僕の身分を隠すこと。もし彼が王になればこっそり僕を逃がすこと。もしも彼が死んだら……僕は自由になっていいって」
『ニッグ』は死の間際、確かそんなことを言っていた。
だから彼は……嘘を言っていない気がする。
「でも、君は王になるの?」
「うん。やっぱり、王の娘婿にも、リムズにも、この国は任せられないし、なにより、ラバシュムの名を後世の人々に忘れてほしくないよ」
当然ながら、『彼』の言葉がすべて真実である保証はない。
これほど偽りに塗れた事件に巻き込まれればこの世のすべてを疑わなければならないとさえ思ってしまいそうだ。
(だからこそ……信じられる人は自分で決めたい)
決意を胸に、言葉に出す。
「うん。僕もできるだけ君を応援する。この秘密は冥界までもっていく」
「ありがとう、エタ」
王となった彼は外に向かう。その前に、ふと思い出したように彼は告げた。
「そうだ。僕の生まれた時の名前、教えておくね。ニッグじゃないんだ。きっと君の他には誰も呼んでくれないだろうから。僕はラバシュムでも、ラトゥスでもない。僕の名前は……」
第三章『身代わり王
解説 身代わり王
この章で取り上げてきた身代わり王ですが、身代わりとなった人間が生き残った例も存在します。
その人は正式な王となり、文字通りその名を歴史に刻むことになりました。
あとがき
第三章はこれで終了になります。
来週中には次の章を投稿する予定です。
第三章のサブタイトルの鍵括弧には不自然な余白があります。本当のサブタイトルを隠すための仕掛けですが、気づいていた方はいらっしゃるでしょうか。
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