第三十四話 展望
夏の日差しと汗を吹き飛ばすような強い風が吹きすさぶ物見台にのぼる。
血なまぐさい戦場から少しだけ離れられた気がしたが、下を向けばやはりまだ争いは続いている。
物見台に乗っているエタに背後からシャルラが話しかける。この物見台は二人がまでが限度らしい。
「エタ。一応聞いておくけど、高いところは平気なのよね」
「うん。落ちたらどうしようとは思うけどそれは普通のことだよね」
「それくらいならね。それで、何かわかった?」
エタはじっくりと眼下に広がる景色を眺める。
物見台は城壁をぎりぎり超えるほどの高さで、アラッタの町並みを見ることができた。
家屋はおそらく煉瓦造りで、あまり背の高い建物はなかった。
ウルクほど規模は大きくないものの、クサリクをはじめとする魔物たちが住人として何かしているのは見て取れる。
ただし、ジッグラトは存在せず、同様に神殿の類はない。つまりアラッタはいかなる神も奉じていない。
アラッタの北側は急峻な斜面になっており、巨大な山がそびえたつ。その山に沿うようにアラッタの近くを川が流れていた。魔物に水が必要なら、あの川から水を引き込んでいるかもしれない。
だがそれよりも彼の目を引くのは。
「外から見て煙が出てるように見えていたけど……あれは湯気?」
「そうね。私も驚いたけど、あれは温泉だわ」
「もしかしてクサリクたちはお湯につかっているの?」
温泉。
つまり熱湯が地下から湧き出る場所は当然ながら有史以前も存在しており、少なくともギリシャ文明勃興時には人が浸かるという用途で用いられていた
メソポタミアと呼ばれている地域でも入浴設備は存在していたものの、水で清める宗教的な用途が強かったと言われている。つまりお湯につかるという行為はまだ存在していないはずなのだ。
「でも何のためにあんなことをしているのかしら?」
のんきな人であれば娯楽であると考えただろうが、湯水をいくらでも使える現代人とは違い、水も湯を沸かすための木材も豊富とはいいがたいメソポタミアにおいて湯につかるという行為自体に意味を見出すのは難しい。
だからこそエタは別の視点から考える。
「……この迷宮の掟ははっきりしないけど、あの温泉に関わりがあるのは間違いがないと思う」
「あの温泉があったからこそアラッタは迷宮としてなり立ったの?」
「多分ね」
あの奇襲した時と、今のクサリクの違い。それが何を意味するのか。
ひとしきり考えていたエタに。
「ところでエタ。どうしてあなたはここにいるの?」
シャルラに背後から思いっきり突き刺された。
「それはまあ、やっぱり、仕事を放りだすわけには……」
「あなたねえ。もっと自分を大事にしなさいって前にも言ったでしょう」
「それはわかってるけど……みんなが危険な目にあっているのに僕だけが安全な場所にいるわけにはいかないよ」
妙な圧力を放つシャルラの目を見る度胸の無かったエタは眼下に視線を落としながら、それでもはっきりと答える。
しばらくシャルラは無言だったが、やがてため息をついた。
「そうよね。あなたはそう言うわよね。あの時も……」
「あの時?」
「私が天文学の講師に直訴した時のことよ」
「ああ、あったね」
エタは昔を懐かしむ。そうは言っても、あれからそれほど長い時がたったわけではないのだが、立場や状況は大きく変わってしまった。
「一応言っておくけどあの時僕が君を助けたのは打算もあってのことだよ」
もしもシャルラの論説が正しければ、間違いなくエタとシャルラは講師の覚えが良くなる。事実としてエタは書記官への推薦を受けることになった。
「それでも最初に私を助けようと思ったのは善意でしょう?」
「……そうかもしれないね。……見るべきものは見たから、もう戻ろうか」
「そうね。先に降りていて」
「うん」
シャルラと入れ替わり梯子を下りるエタ。
シャルラはそれを見ずにじっと空を見上げて。
「あなたは……ウルクに戻るべきだったのよ……こんな謀略に関わっちゃいけないの……」
ぽつりとつぶやいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます