第十九話 大いなる鳥

 必死の形相で走り続け、息が切れたのちも一晩中歩き続けて気づけば夜が明けていた。

 清々しさはなく、ただただ腹に石を詰められたような疲労感だけが残っている。

「……少しだけ、休まないといけないな」

 木のうろの近くで腰を休める。

 どうも本来の道から外れ、山に登ってしまっていたようだ。

 見上げると首が痛くなるほど背の高い巨木が立ち並んでいる。

 かつて巨大蟻が闊歩していたまだらの森の木々も巨大だったが、この森の樹木はそれを優に上回っていた。

「……ぼうっとしている場合じゃない。連絡しておかないと」

 エタは一気に窮地に陥ってしまった。最悪の場合、シュメールの面々に迎えに来てもらうという手もある。

 啖呵を切っておいて情けない話だが、命には代えられない。

 おそらく遠征軍はアラッタまであと少しのところにいるはずであり、アラッタの都市を攻め落とす戦いに入ってしまえば離脱するのは困難だろう。

 連絡するべく携帯粘土板を操作する。

 だが。

「携帯粘土板が通じない……? まさか、ここは迷宮の内部!?」

 携帯粘土板は地に足がつくところであれば繋がらないことはない。だが、迷宮の掟の性質によっては迷宮の中では携帯粘土板で連絡を取れないことがあると聞いたことがある。

 そうなるとエタはいつの間にか迷宮に迷い込んだことになる。

 もしそうなら今のエタは獅子の口に自ら飛び込んだネズミよりも無防備だ。

「はやく、ここから離れない……!?」

 鈍い地響きを感じたエタはとっさに身を隠す。

 戦いになれる様子は一向にないが、身を隠すことと逃げることに関してはそれなりに場数を踏んだ戦士とも張り合えるとラバサルに褒められたことがある。

 もちろん、エタは喜ぶ気になれなかった。

 そんなエタの気持ちなど無視してエタの数歩先を巨大な牡鹿が走り去っていった。

「何かから逃げてる……?」

 なんとなくだが今の牡鹿は怯えているようだった。

 あの巨大な牡鹿でさえ怯える何かがここに入るということ。そこに突如として地を揺るがすような咆哮が木霊した。

「ラアアアアアアルク!」

 エタは思わず声の方向に振り向いたが、何もいない。そこで上空に視点を移すと太陽を遮らんばかりに巨大な翼を広げた鳥がいた。

 一際巨大な樹木の上から現れた、槍のごとき鉤爪、くちばしにはなぜかサメのような歯。

 胴体にはところどころに球模様がちりばめられ、黄金の瞳は獲物を探るためにぎょろぎょろと動いている。

「ア、アンズー鳥? 本物?」

 アンズー鳥とは神に仕える随獣とも、神にあだなす悪獣ともされている。

 迷宮の中で発見されることが多いが、迷宮の外でも発見されている。それどころかワシの頭をしているとも、ライオンの頭をしているとも、姿かたちさえ定かではないが、このアンズー鳥はワシの頭だった。

 牡鹿はアンズー鳥を恐れて逃げ出したのだろう。

 エタも今すぐ逃げ出したい気持ちになった。

 ひざはぶるぶると震え、汗が滴り落ちる。

(いや、落ち着け。アンズー鳥は愚かな人間を嫌うと聞く。むしろ、敬意をもって接すれば相手を認める、とも。うかつに動くべきじゃない)

 深呼吸をして、木の隙間から様子を窺う。しばし滞空していたアンズー鳥が空を切り裂くように雄大に羽ばたくと二羽のアンズー鳥は飛び立った。

「二羽? あのアンズー鳥……もしかして、夫婦?」

 しばし悩んだが、巨大な木の下に向かうことにした。

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