第五十四話 炎

 鎖と鉄球が唸りを上げる。

 いよいよ攻撃は激しさを増し、ミミエルでさえほとんど近づけなくなっていた。

 一方でそれはサマンアンナ神がミミエルたちに集中し始めたことを意味する。

 頃合いだと判断したエタはリリーに提案した。

「君は僕たちを手伝う気はある?」

「……手伝いたくはねえが、このままじゃ死ぬだろ」

 無言でうなずくとリリーの縄をほどいた。

「で? 何するんだ?」

「核を持っていく」

「核? いや、高山の核は置いてきただろ」

「そっちじゃなくて、『ナツメヤシ』の核だよ」

 現在リリーが引っ張っている荷車には『ナツメヤシ』の核が乗っていた。別に隠していたわけではないのだが、たまにリリーは注意散漫になることがある。

 興味のないことにはとことん無関心なようだ。

「あ、そうなの。で、どうすんだ?」

「あの小屋みたいなもののところに行かないと」

 エタが視線を向けたのは確かに家のようなものだ。

 数千年先の未来では簡易的な防災シェルターと判断されただろう。

「あれ? なんなの?」

「おそらくあの中にこの迷宮の核があるはず」

「なるほどな。あの魔人が迷宮の核を守ってねえのは誰もあの小屋を壊せねえからか。予想してたのか?」

「おおよそは」

 この迷宮はかなり広大だが、それに対して石の戦士は少ない。

 犠牲さえ厭わなければ石の戦士を無視しながら迷宮の核にたどり着けるはずだ。

 だがそれでもこの迷宮を攻略できた人はいない。それはつまり最後の障害があまりにも高いということ。

 それがあの小屋。

 硬い。

 その単純な理屈が最後の壁。

「壊せるんだな?」

「はい」

「行くぞ」

 時間が惜しいとばかりに言葉は短く、迅速に動き出す。

 見晴らしがよすぎるせいで身を隠すのは難しい。

 サマンアンナ神が気づかないことか、気づいたとしてもエタを過小評価してくれることを祈るしかない。

 歩いている途中でがくんと鞄が重くなった。

 この鞄はラバサルの掟で、持っているものを軽くする効果がある。しかし距離に制限があるためラバサルから離れると重さが復活してしまう。

 メラムを纏った掟を使った反動で体が鈍いエタには苦痛だったのだが……。

「おい。鞄を貸せ。そっちの方が重いだろ」

 リリーは議論している時間も惜しいとばかりに鞄をひったくり、反対に『ナツメヤシ』の核を手渡す。優しさではなく計算だろう。

 『ナツメヤシ』の核は透き通った茶色の琥珀で、神秘的だったが見とれている場合ではない。

 ちらりと後ろを振り返るとまだサマンアンナ神とミミエルたちが戦っていた。戦況は芳しくないが、もうお互いの仕事をやり遂げるしかない。

 できるだけ急ぎながら、しかし息を乱さないように、小屋のような何かにたどり着いた。

「で? 次は?」

「火をおこさないと」

「わかった。そっちは私がやる」

 鞄から火口と火打石を渡すとてきぱきと火の準備をする。その間にエタは少し濁った半透明の茶色の塊を取り出した。

「なんだそりゃ?」

「松脂です。これを軽く火であぶるんだ」

「今さらだけど何しようとしてんだ?」

「石の戦士の『ナツメヤシ』を復活させる」

「は、はあ!? この状況で敵を増やしてどうすんだ!?」

「必要なことだよ。『ナツメヤシ』はこの迷宮にとって最も重要な石の戦士なんだ」

「余計駄目じゃねえか!」

「そういう意味じゃなくて……冶金に必要なものって何だと思う?」

「そりゃ金属と、火……あ、『ナツメヤシ』の役割は、火を出すことか」

「そう。この迷宮、あるいはサマンアンナ神は『ナツメヤシ』を利用して火事に必要な火を得ていた。もしかすると石の戦士が高山の掟を嫌うのは低温が彼らにとって不快だからかもしれない」

 エタの推測はやや間違っている。

 低い温度を石の戦士は嫌うが、それ以上に低圧環境下を嫌う。

 低圧では酸素の供給量が下がり、物が燃焼しにくくなるためだ。冶金の掟に支配される彼らは酸素の不足を本能的に恐れてしまう。

「でも同時にそれはこの迷宮にとって『ナツメヤシ』は急所になる」

 この鋼の小屋を破壊する手段をエタたちはもたない。だがこの小屋を作った迷宮の力そのものを利用すれば?

 『ナツメヤシ』を燃やす火力で小屋を溶かす。それがエタの作戦だった。

「で、なんで松脂?」

「……アトラハシス様の講義によると、琥珀はもともと松脂だったらしいから」

「これが? 確かに色は似てるけどな……」

「石の戦士が復活するにはそれぞれ異なった条件があるよだけど、『ナツメヤシ』の場合、油を吸収する必要があるみたい」

「んー……琥珀は脂が固まったものってことか? 同じ材料を吸収して元に戻るのか?」

「おそらく」

 エタも確証があったわけではないが、核を奪取してから試すと、確かに松脂、とくに溶けかけた松脂を『ナツメヤシ』の核に近づけると蠢く気配があった。

 だからそれを再現し、『ナツメヤシ』を完全に復活させ、すぐに燃やす。

 これでこの小屋は破壊できるはずだ。

 鋼の小屋の近くに『ナツメヤシ』の核を置き、リリーがつけた松明の火であぶった松脂を近づける。

 すると『ナツメヤシ』の核は蠢動し……それはますます強くなる。

「お、おい? こ、これ……」

 リリーの言葉が終わるよりも早く、茶色い核が膨張し、一気に巨大化した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る