第五十三話 糸と鉄

 確証のある話ではないが、少なくとも初期のメソポタミアにおいて厳密な意味合いでの製鉄技術は存在しなかったとされる。

 単純に鉱物の産出量が少なく、また、木材も潤沢とは呼べないことから火力が足りず、金属加工と言えば銀や銅、隕鉄などに限られた。

 つまり。

 鋼鉄の鎧などまだこの世界に存在するはずがないのだ。

 それゆえに。

 その防御を突破する手段もまた、存在しない。


 鉄の鎧を身にまとう冶金の魔人は太すぎる腕を見せつけるように自分の足元にある武器を持ち上げた。

 長い鎖の付いた先にとげとげしい鉄球が括り付けられている。

 エタが知るはずもないが、モーニングスターなどと呼ばれることもある武器だ。

 周囲の空気を歪ませていると錯覚するほど豪快にモーニングスターを振り回し、エタたちめがけて投擲する。

 距離があったおかげで当たることはなかったが、地面すら砕くような一撃は誰が見ても脅威だった。

 いつものようにシャルラが矢を放ち、それと並走するようにミミエルが冶金の魔人に迫る。

 しかし。

 矢は鎧に傷一つつけず、ミミエルの銅の槌を受けてもただむなしく音が響くだけだった。

 ならばせめて武器を奪おうと、ラバサルとターハは二人がかりでモーニングスターの鎖を掴み、冶金の魔人と綱引きのような状態になる。

 だが。

「ぐ、ぬ」

「おいおい、冗談だろ!?」

 二体一だが力比べは大人と子供ほどの差があった。サマンアンナ神は普通の人間に比べれば大きいが、それでも一応人間の常識の範囲内の大きさだ。決して度を越す大きさではない。

 しかし想像を絶するほどの怪力を誇る。

 思わず二人とも鎖から手を離す。

 さらにどうしようもないのは綱引きの最中の隙だらけの状態でさえ、ミミエルとシャルラの攻撃は傷一つ追わせられなかった事実だ。

(あれが、冶金の魔人。あれが、サマンアンナ神!)

 何故、魔人が神と呼ばれているのか、エタが調べてもはっきりしなかった。

 力を失い、零落したとも、ただ姿かたちがサマンアンナ神と似ていたため、そう呼ばれているだけだとも。

 確かなのは、神を名乗るにふさわしい力の持ち主であることだけ。

 もしかすると一回目の戦士の岩山の人員全てを敵に回しても勝っていたかもしれない。

 つまり、この戦力でサマンアンナ神を打倒するのは不可能だ。

 もちろん正攻法ならば。

「おい。今回もなんか作戦があんだよな?」

 耳打ちしてきたのは当然リリーだ。

 戦闘能力を持たない彼女はこうしてエタと相談するしかできない。

「あるよ。ただ、もう少しサマンアンナ神の注意が逸れてからじゃないと」

 サマンアンナ神はおそるべきことに四人を相手取ってなおも余裕があった。

「自慢じゃないけど僕が狙われたら一瞬で殺されると思う」

 エタは先ほど預かったラバサルの鞄の中身を頭の中だけで確認する。

「ほんとに自慢にならねえな」

 呆れつつもこの場から逃げ出さないあたり彼女の結末を見届けたいという意志は本心なのかもしれない。

 単純に逃げる時を見失ったのかもしれないが。

 それにエタは心配していない。

 新しく授かったミミエルの掟はサマンアンナ神に有効だ。


 ミミエルの銅の槌をモーニングスターの柄で受け止め、サマンアンナ神は最も原始的な攻撃、体当たりを実行した。

 ただの体当たりだが、何しろ金属の塊だ。

 重量だけでも人を圧殺しうる。

 しかしミミエルは瞬時に槌を携帯粘土板に収納し、体を回転させて躱す。

 そしてすれ違いざま、新たなる掟である毛玉を取り出した。その名は『絶対に絡む糸』の掟。

 毛玉がミミエルの右手に現れると、友人に手渡すように毛玉をサマンアンナ神に放り投げた。

 ただの毛玉だ。

 鎧に覆われたサマンアンナ神を傷つけるはずもない。

 だが毛玉はしゅるりとほどけるとサマンアンナ神に絡みついた。

 糸にがんじがらめになったサマンアンナ神は初めて膝をついた。そこに二つの槌、矢、棍棒、斧。

 すべての攻撃が集中する。

 だが。

 全ての攻撃をその鎧で受け止めたサマンアンナ神は剛力で強引に糸を引きちぎった。

 なお、ミミエルの毛糸はすべて破損するとしばらく再生に時間がかかる。

「こりゃあ、無理そうだな」

 ターハは軽口をたたくが目は笑っていない。

「エタが何とかするまでわしらで持ちこたえるぞ」

 四人ともエタに目線を送るようなへまはしない。

 心の中でだけ、信頼を唱える。

 サマンアンナ神は怒っているように武器を強く握りしめた。

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