第五十二話 鉄血

 エタが手に持つ突きノミから膨大な青い光……メラムが迸る。

「よしなさい!」

「ダメ!」

 ミミエルとシャルラが同時に叫ぶ。

 ラバサルとターハは叫びこそしなかったが、非難するように強い視線をエタに送った。

 リリーは何が何やらわからずに困惑するばかりだった。

 エタが賢者アトラハシスより授かった突きノミには神々から発せられるメラムが宿っている。

 その掟の内容は『粘土板を砕く』掟。この地上に存在する粘土板ならば必ず打ち砕く。

 そしてエタは、以前の経験から『竜』を構築しているのは粘土であり、そこに文字が刻まれていることを確認していた。

 つまり『竜』は巨大な粘土板だ。

 迷宮がどのような意図で『竜』を粘土板の石の戦士にしたのかはわからないが、唯一無二の天敵である掟をエタが持っているとは想像もしなかっただろう。

(この事実にあの時気づいていれば……)

 あの崖で追い詰められた時、もっとよく観察していれば。いや、理屈など何もなく最後の抵抗としてこの掟を使えば。

(みんな助けることはできたかもしれない)

 この場合のみんなの中にエタ自身は含まれていない。

 なぜなら、メラムを纏った掟の使用には体に重大な負荷がかかるためだ。何の準備もなく、弱っていたあの時のエタでは命を落としていたかもしれない。

 身に余る力は身を滅ぼす。

 それでもエタは、突きノミをふるった。

「淡水と知恵を司る偉大なるエンキ神に希う。奸智を抱くよこしまな獣に真の英知を」

 無意識にあふれた祝詞と川のせせらぎのようなメラムが『竜』の表面をなぞる。

 あれだけ堅牢だった『竜』にひびが入り、ぼろぼろと崩れ落ち、やがてそよ風に吹かれただけで細かな砂になって消えていった。

 それを見届けたエタは……地面に倒れた。

「「エタ!!」」

 真っ先にミミエルとシャルラが駆け寄る。

 それに応えてエタは何とか身を起こす。

「大丈夫……前よりは……しんどくはないよ。念のためにエンキ神の神殿に捧げものをしておいてよかった……」

 神に貴重品や食物などを捧げると掟を授かることがある。

 ならば寄進しておけば身に合わぬ掟を扱う許しを得られるのではないかと思案したのだ。どれほどの効果があったかはわからないものの、以前と違って意識ははっきりしている。

 エタから見て左からシャルラがまくしたてる。

「馬鹿言わないで! メラムを纏った掟は危険すぎるって自分で言っていたじゃない!」

 右からはミミエルが怒りを抑えて言葉を絞り出す。

「ええ。もうあんたは戦わなくていいわ。あたしたちが「確かに危険だけど掟は収集品じゃないんだ。使わないと……どうしたの」

 自分の言葉に仲間たちが凍り付いているのを見てエタは怪訝にしていた。

 ミミエルがすっと手を出し、エタの右耳近くでぱんと手を叩いた。

 しかしエタの反応は鈍い。

「エタ。あんた、今度は耳が……?」

 はっとしたエタは右耳を叩いたり、触ったりして見るが……。

「聞こえない……みたいだね。それどころか感覚も鈍いかな」

 以前エタがメラムを纏った掟を使うと左目の視力を失った。

 今回は右耳ということなのだろう。

「まあでも右目よりはましかな。エンキ神に寛恕していただいた……」

 ぱしんと乾いた音。

 シャルラがエタの頬を打ったのだ。

 軽い、軽い、それこそ虫一匹殺せないような平手だったが、今までのどんな傷よりも痛かった。

「お願いだから……もっと自分の身を大事にして……」

 シャルラがこんな風に誰かに懇願する姿はそれなりに付き合いの長いエタでさえ初めてだった。

「ごめん……気を……つける」

 エタは茫然としながらそうつぶやくのが精いっぱいだった。

 しばし時間が流れる。

 そして気まずい沈黙を破ったのは最も状況を把握していないリリーだった。

「何でもいいけどさあ」

 声の主に全員が視線を向ける。

「これからどうすんだ?」

 気軽な質問だったが、確かに今考えるべきことだった。

 退路は断たれたが、高山の核が破損していなければ安全地帯は維持されているはずだ。

 一度撤退することもできる。

「進みましょう。一度迷宮を踏破すれば一時的に迷宮内の魔物は行動しなくなります。安全にここから脱出するには迷宮を踏破しないといけません」

 前を向く。

 それなりの距離はあるが、確かに建造物らしきものが見えた。

 あそこに迷宮の核があるなら手が届かない距離ではない。


 歩きながら、エタは語り始めた。

「以前色彩の魔人から聞いた話ですが……」

 今更戦術についての話ではない。

 エタの苦しい表情から、とても言いづらいことだったのだろうとは想像がついた。

「魔人には迷宮に残るものと、迷宮の外に旅立つものがいるそうです。おそらくですがこの迷宮の魔人は前者。最後の石の戦士の正体は魔人です」

 都市国家の人々は明確に魔物や動物、魔人を区別できているわけではない。

 状況からそうであるはずだという推測で名前を付けているだけだ。

「ここに残っている理由は多分、迷宮を成長させるのに都合がいいから」

 迷宮の核が近づくにつれ、カンカンと金属同士を打ち付ける音が聞こえてきた。誰かがいるようだ。

「色彩の魔人が言うには、この迷宮が成長するために、この大地に大量には存在しない金属が必要だそうです。そしてそれは、人から採取できる」

 それでエタの言いたいことはわかった。

 遠くに見えるそこは鍛冶場だった。

 火と金属がまじりあう熱気の坩堝。

 ただし。

 そこかしこに赤い血で濡れた衣服や、粉々に砕けた骨がなければ。

 ここは鍛冶場だが、同時に人間の加工場だった。

 まさしくネルガル神が引き起こす災難のような凄惨な光景だった。

 わずかに、見知った人影がないか探してしまったことを誰が責められようか。

 そうして石の戦士は振り向いた。

 分厚い金属に覆われた鎧が鈍色に輝く。

 その兜には魔人の証である牛のような大角。

 最強の石の戦士にして、冶金の魔人……主人・サマンアンナ神が声なき声で吠えた。

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