第三十七話 対峙

 足音に気づいたリリーがぼんやりと振り返る。そこにいたのはエタだった。

 なお、お互いの顔を見て死体のようだな、という全く同じ感想を抱いていたのを知る由もない。

「ああ。あんた確か山で会った奴よね」

「そうですね」

「は。ひっどい顔」

「あなたも人のことは言えませんよ」

 その言葉から会話が途切れた。

 氾濫の名残の大きな水音はお互いに不快だった。

「満足?」

 リリーの質問の意図を掴みあぐねたエタは質問を返そうとしたが、それよりも先にリリーが言葉をつなげた。

「満足かって聞いてんだよ! お前らの神様の仕業なんだろ? 不信心者をぶっ殺して満足かよ!? お前もわたしが石の戦士を操ったって思ったんだろ!? 復讐できてよかったよなあ!」

 炎のように怒るリリーに対してエタは自分でも驚くほど冷静だった。

 ザムグたちが死んだ原因の一つであるリリーと面と向かえばもう少し動揺するかと思っていたのだが、何も感じない。彼女の気持ちが痛いほど理解できるからか。

「信じなくても構いませんが、氾濫が起きる前に僕たちはこの人たちに対して警告しました」

「はあ!? んなわけねえだろうが! 洪水が起きるってわかってるのに川の近くにとどまる奴がいるかよ!」

「彼女たちはこう言いました。教祖様がここを安息の地と定めた。だから動けない、と」

「……! いや、待て、確かに、私は」

 狼狽しているリリーを見て彼女自身もそれを認めつつあった。

 つまり。

「彼女たちはあなたの指示を聞いたせいで」

「いうなああああああ!!!!」

 絶叫が川岸に響き渡る。

(ああ。やっぱり、この人と僕は同じだ)

 自分の行動の結果として自分の大切な人たちを失ってしまった。その罪の重さに耐えかねている。

 だからこそ、どうすればその心を軽くできるのか想像するのは容易い。

「では、この先の話をしましょう。実はここに警告しに来た時に小舟についていろいろと尋ね、万が一の時はこれに乗るように提案しました。だから、その小舟に乗せられた子供はすでに救出しています」

「! ほ、本当だろうな!」

「はい。タンムズ神に誓って」

 シャマシュ神が照らす太陽を見つけたようにリリーの顔と髪は輝いていた。それこそが彼女の希望であり……エタにとって突くべき弱点だった。

「ですが彼らはこのままでは路頭に迷うことになるでしょう」

「な、なんでだよ! 私が世話すればいいだけだろ!?」

「あなた一人で子供たち全員をお世話できますか?」

「や、やるから! 何とか時間を見つけて……」

「なら、お金は?」

「金ならある! 私らは鉱石を売って貯えを増やしてたんだ!」

「いいえ。それも無理です。トラゾスの財産を管理していたのはあなたではありませんよね? でもあなたには相続権がありません。」

 トラゾスにはもともと市民だった人間もおり、そういう人間に財産の管理を任せていた……いや、そもそも市民権を持っていたことすらないリリーにはそうするしかなかったのだ。

 しかしここにきて冷静さを発揮したリリーは会話の先を読んだ。

「つまりお前なら私たちの財産を守れるってことか?」

「はい。僕の社員の一人に生き延びた子供の養父になってもらいます。同居していた相手にも財産は引き継がれるので、すべてではありませんが、一部の財産はその子供に引き継がれます」

「で、お前らは子供がでかくなるまで財産を預かっておけるってわけか?」

「いいえ。誓約文であなたしか財産をつかえないようにします」

「ふん。それじゃあお前は何を狙ってやがる」

「あなたが所持する迷宮の核、その使い方、戦士の岩山の生き延び方。そして何より、トラゾスの教義をどこで学んだのか」

 リリーが動揺したのは最後の言葉だった。

「トラゾスは私が作った。誰にも習ってねえよ」

「いいえ。昔トラゾスと同じような集団が発生したことがあります。少し調べればわかりました。だからあなたは誰かから学んだはずです。おそらく、その人に戦士の岩山についても学んだんじゃありませんか?」

 リリーの感情は千々に乱れながらも冷静に振る舞う。それは彼女にとって触れられたくない部分だったのだろう。

 だが一方で彼女を信じていた人から託された子供を救う方法はもはや残されていなかった。

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