第十一話 青空教室

 ラバサルと話し終えたエタは息も絶え絶えでニントルから水を受け取っているザムグたちに声をかけた。

「お疲れ様。調子はどう?」

「つ、疲れた」

 全員の意見をディスカールが代弁していた。

「これから僕の授業があるわけだけど……どうする?」

「やります。やらせてください」

 このウルクの識字率は携帯粘土板が普及している影響で低くない。

 ただし完全に読めるとは言えず、この模様はこういう意味だ、という程度の理解しかしていない人も多い。

 ザムグたちもそうだった。

 そのためエタは簡単な読み書き計算をザムグたちに教えることを提案したのだ。エタ自身はあまり自覚していないが、元とはいえエドゥッパの学生に文字などを教えられるのはかなり幸運なことなのだ。

 今まで何かを教えられる機会がほとんどなかったザムグたちはなおさらだった。

「ちょっとずつですけど、俺たちも成長できていることを実感できているんです」

「あのおっさんは見て盗めなんて言ってたけどな」

「ああ、君たちがいたギルド長のことだね。見て盗め、かあ。僕も似たようなことを言われたことはあるけど、うーん……僕はそれ、単純に指導の仕方がわからないひとの言い訳だと思うよ」

「……エタさん……たまにめちゃくちゃ厳しいこと言いますよね」

「そ、そう? ミミエルやシャルラにもそんなこと言われる時があるけど……そんなに?」

「よ、容赦がないというか……せ、正論で殴りつけるというか……」

「う、気を付けるね」

 さすがに自分より年若いザムグたちに怖がられるのは少々傷ついてしまった。


 エタの学力はこのウルクにおいて同年代で比較できる相手は少ない。

 単純な検算や知識はもちろん、意外と人に指示を下すという行為が得意だった。おそらくは自分に自信がないからこそ他人に頼ることを覚えたのだろう。

 からは他力本願とやっかまれたりもしたが、指導する立場の教員から目をかけられたのは彼の上司としての才幹を見抜いていたからだろう。

 だからこそ嫉妬の視線を受けることが多くなったのは皮肉と言うほかないが。

 そしてそれらの能力は若年の身ながら会社運営を行う手助けになっており、この場においては指導能力という形で発揮されていた。


 暑さを避けるために背の高いナツメヤシの下で青空教室を開く。

 エタは日照りを避けるために植えられた野菜に少しだけ親近感が湧いていた。きっと植物だって暑すぎるのは嫌なのだろう。

「計算終わりました!」

 満面の笑みで粘土板を差し出したのはニントルだった。

 どうやら彼女は頭を使う方が得意らしく、今のところ最も優秀な生徒だった。

「うん。よくできてるね。でもここ、一問だけ間違ってるよ」

「ほんどだ。ちゃんとできてたと思ってたのに……」

「今回はなるべく早く解くように言っていたからね。一問だけなら許容範囲内かな。うん、他の三人はできたかな?」

 エタの持論では学習というのはけっこう性格が出る。

 例えば今回のように早く解けと言われても、なかなか急げないのがディスカール。きっと慎重なのだろう。

 意外と勉強ができるのだが、少しでもつまずくと途端に調子が下がるのがカルム。繊細なのかもしれない。

 ザムグとニントルは言われたことをきっちりこなそうとする。

 兄妹そろって真面目なのだろう。

 計算が終わった後は簡単な詩歌を朗読した。戦の神、ニヌルタ神の偉業を語り継いだ詩だった。

 時折通りがかる人がほほえましそうにこちらを見ていた。大方、私塾の徒弟か何かが勉学を教えていると思われているのだろう。

 しばらくして一息入れることになった。

 勉学を教えた後とあってか、話題はエドゥッパの話になった。


「じゃあエタさんはアトラハシス様に会ったことがあるんですか?」

「うん。何度か講義を受けたよ」

 ザムグたちに驚きがさざ波のように伝わる。

 アトラハシスは襲名制ではあるが、生中な努力と功績でそう名乗れるわけではないと誰もが知っているのだ。

「な、なら王様にもあったことが、あ、あるんですか?」

「それはないかな。国王陛下に会ったことがあるのは正式に書記官に任命された人だけだよ。いや、それでも今は難しいかな。今の国王陛下は……あ、ごめん。これは言っちゃいけないやつだった」

 エドゥッパの生徒の中には書記官など王の直属に就いた人も多く、あまり市井に降りない情報が回ることもある。無論エタが知っていることなどたいしたことではないのだが。

 そう話すとザムグたちはぶんぶんと首を振り、エタに何か重要な国家機密でも聞いてしまいそうになったかのように口を閉じた。

「そんな怯えなくても大丈夫だよ。僕はただの学生なんだし、僕が知ってることなんてエドゥッパの生徒なら誰でも知っていることだよ」

「なら、ついでに聞きたいことがあるんですけど聞いていいですか?」

「何が疑問なの、ザムグ」

「結局あの酒の湧く泉がある迷宮をどうするんですか?」

 あの迷宮は大して価値がないと判断されたからこそ、今まで注目されなかった。エタが大金を使ってまで手に入れた理由をザムグたちはまだわかっていなかった。

「うん。もちろんちゃんと利用するよ。あの迷宮にはもっと利用価値がある。そろそろ準備ができたはずだからそうだね、君たちも手伝ってくれるかな」

 ザムグたちにとってはいい思い出が少ない迷宮だが、それが新しく生まれ変わることに興味を持っているようだった。

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