第三話 商談

 ほどほどに上質そうなチュニックとカウナケスをはき、よく言えば利発そう、悪く言えばひ弱そう。

 そう評されることも少なくない。

 それがエタリッツ、愛称はエタと呼ばれる少年だった。

 彼は粘土板の家エドゥッパと呼ばれる学校に通う学生だったが様々な事情で迷宮の攻略を目指す企業を創設した。

 それから仲間である社員たちと共に数十日ほど企業を運営し、今のところ順調だった。

 そして彼が今回酒の湧く迷宮を訪れた理由は至極単純。

 商談だった。


 『雨の大牛』は零細ギルドであり、当然ながら拠点とするべきものはなく、そもそも誰かが訪ねてくることなどまずない。

 必然的にギルド長の自宅がギルドの本部になり、商談はそこで行われることになる。

 企業から商談に来るという話を事前に聞いていたギルド長は何の用だと胡乱に思い、とりあえず話だけを聞くつもりだったが年若いエタが来たことでその不信感は呆れに変わってしまった。

「ち。ガキかよ。遊びに来たんなら帰れ」

「そうおっしゃらずに。決して悪い話ではありません。わざわざ酒を売りに行かなくても安定した金銭を入手できる機会なのですよ。あなたが探索している迷宮はもっと高く評価されるべきです」

 エタの追従に気をよくしたのか、それとも単純に金儲けに興味があったのか、少し考え込んだギルド長は短く上がれ、とだけ伝えてエタを家に招きこんだ。

 ギルド長の自宅は独り身の男にありがちなように土器が散乱しており、とても人を出迎える態勢が整っているとは言えなかったが、エタはそれをおくびにも出さず笑顔で自分の携帯粘土板を見せて契約内容を示した。

「この迷宮の酒を店に卸します。その店では料理に酒をよく使うそうなので単純に誰かに売るよりも安定した金額が手に入ります」

「御託はいい。いくらで売れるんだ?」

「一日でこのくらいになりますね」

 じろじろと欲深い目で携帯粘土板の画面を眺めていたギルド長はうーんと納得いかなそうに唸った。

「ご不満ですか?」

「俺は苦労して迷宮から酒を持ち帰ってるんだぜ? もうちょっと値がついても良くないか?」

 エタが提示した金額は一日で売れる酒の値段を上回っているのだが、おいしい話を聞いてしまったせいで欲が出てきてしまったのだ。

 それを知ってか知らずかエタは困った顔をしながらも話を進める。

「ですがこれは店側とわたくしどもが話し合って決めた金額ですからこれ以上となりますと……」

「そこを何とかするのがお前さんの腕の見せどころじゃないのか?」

「それは確かにそうですね。では、こうしましょう。実際に迷宮から酒を運ぶ様子を見せていただけませんか? どれほど苦労しているかを訴えれば賃金交渉も行いやすくなるでしょう」

「え? いや、そりゃあ……」

 ギルド長は思わず口ごもった。何しろ彼は長い間迷宮に入ったことすらないからだ。そのような雑事はすべてザムグたちに押し付けてきたのだ。

「もちろん迷宮の道などを他人に見せたくない気持ちはわかります。ですが何か説得する材料が必要だとはご了承ください」

「ん、まあそうだな。ちょっとここで待っていてくれ」

 エタの誤解をいいことに、妙案を思いついたギルド長は外に出た。


 今日の分の酒を売り終わり、へとへとになって休んでいたザムグたちのもとにいきなりギルド長が現れ、叫んだ。

「おい! ザムグ! 酒を取りに行け!」

「え!? なんですかいきなり」

「今ガキが来てる。そいつを案内して酒を取りに行ってこい」

「いや、いきなりそんなこと言われても……」

「お前は俺の部下だろうが! 俺の言ったことを守っていればいい!」

 理由を説明せず要望だけまくしたてることが横暴だと自覚すらないまま、まくしたてるギルド長に耐えかねたのか、ザムグは珍しく反論した。

「あんたに何かを教えられたことなんかない! 上司なら上司らしくしてくれ!」

 反論してくることを想像していなかったのか、一瞬ひるんだギルド長だったが、すぐに顔を真っ赤にして怒鳴る。

「俺のやることを見て覚えろって言っただろうが! 俺のやり方を見てただろうが! だったら俺は仕事を教えてたことになるんだよ!」

「そんな無茶苦茶なことあるかよ!」

 激しい剣幕で怒鳴りあう二人を止めたのはニントルの咳だった。

「ニントル!? ごめんなうるさくして……」

「いいか! ザムグ! お前と妹が暮らしていけるのは俺が仕事を恵んでやっているおかげなんだ! わかったらさっさと行け! 俺の家に案内するべきガキがいる」

 もはやしゃべっている時間さえ惜しいと言わんばかりにギルド長は去っていった。

 残されたのはザムグと彼を不安そうに見守る三人だけだった。

 安心させるように、微笑んで三人に振り返るザムグ。

「みんな。うるさくしてごめんな。俺はもう一度酒を取りに行ってくるよ」

「うん……お兄ちゃん気を付けてね」

「うん。わかってるよ」

 別れを告げ、前を向いて歩き出したザムグはもう笑っていなかった。

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