第六十三話 擬態

 やはり食堂は人がごった返しており、軽く何かを食べているところに、再びターハを見かけた。

「どうかしたんですか?」

「ああ。あいつが水を欲しがってさ。餓死させるわけにもいかないだろ?」

 水だってただじゃないのにな、などとこぼしながらターハが食堂に入ろうとしたその時。

『ぎゃあああああああ!!』

 ガルラ霊を直に見てもこんなには恐怖に染まるまい、そう思うほどの悲鳴だった。

「え? 今のまさか、ペイリシュさん?」

 ターハとエタが顔を見合わせてからペイリシュのもとに急ぐ。

 そこにはのたうち回り、呼吸できずにあえいでいるペイリシュがいた。

「な、なにが一体どうなって……?」

「お、おい、落ち着けよ!」

 ターハが取り押さえると、ペイリシュは一応暴れるのをやめた。いや、暴れる余裕すらないように背を反らし、口をパクパクさせている。

「おい! 何があったんだよ!」

 ターハが呼びかけるものの、反応はない。

 エタがよく観察すると、ペイリシュの体にはいくつかの小さな噛み跡があった。

「ターハさん! もしかしたら、毒蛇に噛まれたのかもしれません!」

「毒蛇ぃ!? じゃあ、傷口から毒を吸えばいいのか!?」

「はい! できるだけ早く!」

 素早く傷口から血を吸いだすターハだったが、何しろ数か所の傷だ。間に合わないかもしれないという嫌な想像をしてしまった。

 間違いなく悪人だったが、毒蛇に噛まれて死んでいい人でもないはずだ。はずだ。そのはずだ。だがしかし。

(何だ? 何かがおかしい)

 エタはこらえようのない違和感を抱えていた。それが何なのか、何に対してのものなのか、明確に像を結ばない。

 しかしペイリシュの症状を観察するうちにようやく気付いた。

 以前アトラハシスの授業で習ったことをエタは思い出した。毒蛇の毒は大きく分けて二種類あるらしい。

 一つは体を麻痺させ、呼吸さえもままならなくするもの。おそらくペイリシュを侵しているものはこれだ。

 もう一つは内出血や激しい痛みを伴う毒。出血毒と呼ばれていた。ただし。

(このあたりには出血毒を持った毒蛇のほうが多いんじゃなかったっけ)

 そもそも毒蛇はどこから入ってどこに行ったのか。意外と臆病な蛇が仇のように人を噛むことはあまりないはずではないのか。

 そしてアトラハシスはこうも言っていた。

『毒の無い蛇が毒のある蛇と同じ格好をすることで身を守っていることもある。これを、擬態と呼ぶ』

 擬態。惑わしの湿原の掟。

(ついさっき合流したターハさんは、一度でも僕の名前を呼んだっけ?)

 一度疑念が湧くと止まらなかった。スープの好み、エタへの呼び方。どれも普段とは微妙に異なる。

 そこに、息を切らせながらシャルラがやってきた。二人ともシャルラに頭を向ける。

「いったい何があったのエタ!」

 とっさに閃いた自分の発想に対してこう祈った。

(どうか、勘違いであってくれ)

 そのまま『シャルラ』にこう言った。

「ペイリシュさんが毒蛇に噛まれたんだ! 『ミミエル』! 『シャルラ』を呼んできてくれない!? 彼女の掟があれば助かるかもしれない! いいですよね! ターハさん!」

 シャルラが何を言っているのかわからないようにエタを見つめる。旧知の間柄で名前を呼び間違えられればこう反応するのが普通だ。

 しかしターハは。

「ああ。頼むよ、『ミミエル』。『シャルラ』を呼んできてくれ!」

 ターハ……いや、ターハに見える何者かはシャルラに対して疑いもせずにそう言った。

(シャルラ。お願いだから伝わって)

 エタは悲壮な顔でシャルラを見つめる。

「急いで、『ミミエル』! 早く!」

 顔面を蒼白にしたシャルラは深刻な顔でこくりと頷き、踵を返した。

 きっと伝わったはずだ。そう信じるしかなかった。

 そして彼女が仲間たちを呼ぶまでエタは危険な綱渡りを続けなくてはならない。

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