何もかも、燃えていきました

 動きかけた私の腕がまたぐいっと引っ張られる。

 振り返れば、キョウはすでに壊れた窓枠に片足をかけていた。

「逃げるよっ! さっき消防呼んだから、消火を待てば助かるかもしれないだろ」

「でもっ、待って」

 それが間に合わなかったら。この男がいくら異常だからと言って、ここで助けなければ、ここで見捨てるってことになるんじゃないのか。

「まさか、助ける気? 煙だって大分吸ってるだろ? 死ぬよ?」

 キョウの言う通りだ。さっきから息が苦しいし、咳が止まらない。頭だって痛い。

「だって、心苦しい、じゃない。あの男だって、死ぬかもしれない、し」

「危ないのはあんたもでしょ! お人よしすぎるよ、さすがに」

「うるさいっ、先に一人で、逃げてなよっ!」

 キョウの手を振り払う。

 書斎全体が燃えていた。本が、記憶が燃えていくのは美しい光景にすら思う。

 裏切られて悔しいし、悲しいけど腐っても私の恋人だった。私の王子様ですらあった。東雲千秋という男は。

 火に侵された壁の向こうへと、東雲千秋の足が消えて行く。

「待って、さゆりっ」

 わかるよ。私だって、その男がしたことも、その祖父がしたことも許せない。

 でも、連れて行かなくていい。そんなことする必要はないんだから。

 もうそんな奴らと関わらなくていいんだよ、あなたは。

 身体全体が熱い。どれぐらいやけどしているのだろうか、今の私は。

「もう、いいから。うわあっ」

 どさっ、ばらばらっという音が連続し、壁の二つしかない巨大な本棚がなめらかに倒れ、地下への入り口を塞いだ。

「さゆ、りっ。くそっ、何でこんなときに本棚が崩れんのっ」

 火がついていない部分を両手でつかむ。これをどかせれば、せめて身体が通れる小さい隙間でも作れれば。

 重いけど火事場の馬鹿力っていうのがあるし、きっとどかせるはずだ。

「さっきから、何してんだよっ。やめなって!」

 背後でキョウが泣きそうな声で叫んでいる。後ろからかかっている力は、本棚にしがみつく私を必死に引きはがそうとしている。

 一人の青年を引きずるさゆりの背中が階下へと遠ざかってゆく。

 一度だけこちらを振り向いた。そんな気がした。 

 意識がぐらりと遠のく。

 お姉さん!

 キョウの焦ったような声。

 周囲を包む、爆ぜる業火。

 遠くで鳴り響く、サイレン。

「青髭」の城は燃えている。

 あの話、結末はどうなったっけ。

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