第五章 ブルー・ビアード
王子様は、王子様ではありませんでした
廊下の壁に寄りかかったまま、全て読み終わった日記を閉じる。
ここに書いてあったことは全て現実なんだろうか。
もしかしたら全て創作なのかもしれない。だけど、笹野さん、もとい牧田佳弥子の言っていた猫はちゃんと日記にも出てきた。剥製となって。
魔法。牧田さんが言っていた「魔法」は、彼女を腐らせないためのものだった。と言っても杖を振って、呪文を唱えるタイプのものではない。おそらく、腐敗を防ぐための薬品。
何年も前に見たテレビ番組だったか、シチリア島のパレルモという都市に巨大な納骨堂があり、いつまでも美しいままの少女のミイラが眠っているという。二歳で病死した少女を気の毒に思った父親に頼まれた医者が、防腐剤などを駆使して生きていたころとほぼ変わらない姿にしたのだとか。
日記に出ていた笹野哲司という使用人は、剥製作りのプロだったようだ。猫もメジロもリスも全て彼が作ったものだった。
もし彼が剥製を作る感覚で、あの永遠に美しいままの姫を作ったのだとしたら。日記の持ち主の過ちを肯定するために。
これからどうすればいいのだろう。
警察に通報したとする。恋人の家の地下室に少女の遺体があります。もしかしたら、六十年前に失踪した少女のものかもしれません。
信じてもらえるものだろうか?
千秋くんが帰ってくるのは六時半だと言っていた。彼がこれを知ったら、どんな反応をするだろう。
頭を冷やそう。自分の部屋に戻って落ち着いて考えよう。考えたところでどうなるというものでもないかもしれないけど。
二階の階段を昇って、気配を感じた。
誰かがいる。でも、この時間に千秋くんは帰ってこないはず。だから、気のせいだ、多分。
自分の部屋にこもっていよう、と部屋の前まで歩くと何かが落ちていた。
四角くて薄いものと、小さいものだった。
拾い上げて何かがやっとわかる。
黒い髪をした赤ん坊の写真、のはがき。
ストラップ紐がちぎれた星の王子様。
どうして、こんなものがここにあるんだろう。だって、これは私が自分の部屋にしまっておいたものじゃないか。誰でも取り出せるはずがないのに。
後ろからがっと、何かを鼻と口に抑えつけられた。
そのまま記憶が落ちていく。
「……とうとう白雪姫が目覚めることはありませんでした。七人の小人たちはみな、声をあげて泣きました」
柔らかいものの上に寝かされている。
「誰かが『白雪姫をガラスの棺に入れてやるべきだ』と言いました」
誰かが私を見ている。少しずつ目を開ける。
さっきは薬品か何かを嗅がされたんだろう。そのせいか頭が痛くてぼんやりする。
電気がついていない暗い部屋には、うっすらとした明かりしか灯っていない。
部屋の中央のテーブル三つに一本ずつ置かれた燭台たちが光源のようだ。
「おはよう、お姫様。もう夕方の五時だけど」
千秋くんだった。朗読していた大き目の本をパタンと閉じ、整った顔に笑みを浮かべる。六時半に帰ってくるというのは嘘だったのか。
「ごめんね、嘘言って。仕事に行ったふりして家の近くで君のことずっと見てたんだ。監視カメラ置いてただろ。吉野さん用に買ったけど、こんな形で役立つとは思わなかったよ」
満足そうに笑う。
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