懺悔

 どこから書こうか。私が永遠の姫君を手に入れてからは何をしたか。学校を卒業した後も、父の会社には入らず、書店を経営する会社に務め、定年までそこで働いた。本が好きだったから、これでよかった。高度経済成長時代というのか、すさまじい時代だったが、悪い時代ではなかった。

 結婚し、息子も生まれ、その息子も結婚し、孫もできた。何十年も経った。そう、何十年も。その間も私の姫君は美しいまま、私は醜く老いさらばえた。今では歩くのに杖をつかずにはいられない。今これを書く際の筆記の速度も遅く、長く書くことは難しそうだ。 

 あの夜に起きたことは全て笹野と、牧田のおかげである。二人とも、私のためにずいぶんと尽くしてくれた。


 私が魔法をかけるよう頼んだとき、彼は笑った。こみあげてくる笑いを隠そうともしなかった。

「やっぱり、思った通り隠していましたね」

「あんたも、俺と一緒なんですねえ。だから、俺のことも佳弥子ちゃんにも何もしなかったんだ。そうでしょう?」

「不謹慎ですけど、俺は嬉しいですよ」

 最初のころ、笹野に「おとなしそうに見えて何かを隠している」と言われた。あいつは人を見る目があった。

 私が隠しきったと思っていた秘密は、やはりずっと前からバレていたのだ。二人とも、美しいお姫様がここにいることをちゃんと知っていた。あの地下室のことも、そこにあったもののことも。世間知らずだった私だけがそのことに気づかないで、うまくやったつもりでいた。大馬鹿だ。幼い子供だ。

 笹野は彼が持っていた知恵を惜しみなく使って、私の姫をいつまでも美しくしてくれた。

「欧米の新聞だったと思いますが、面白い記事を読んだことがあるんですよ」

 魔法をかける準備をしながら、笹野は切り出した。

 向こうでは、亡くなった人間の身体を保存しておく方法が確立され、一般にも普及しているという。

「俺が今までにやってきたことと似通ってるとこがありますから、何とかなるでしょう」

 宣言通り笹野はうまくやってくれた。地下室の寝台が大いに役に立った。あんなことができた人間がこの家にいたのは、私の味方になってくれたのは全くの偶然だと言うしかない。そうでなければ、今頃は私も姫も共に朽ちていたはずだ。

 姫に魔法をかけながら、笹野が私にかけた言葉が今でも忘れられない。あの少しかすれた低い声を脳内で再生できる。

「俺や牧田さんのしたことが、あんたの今後の人生にどんな影響を及ぼすのか。それが今から楽しみですよ」

 その時笹野は、彼らしく意地悪い顔で笑っていた。それは、あの男が機嫌が良いときにする笑みでもあった。

 姫が眠るベッドを用意してくれたのは、牧田だ。少しの間この家を留守にしたと思いきや、どこかから彼女のための「蓋つきのベッド」をこの家に持ってきた。どこで手に入れたのかは知らない。わかったのは、あの日から彼女はいつも口元に笑みを浮かべるようになったということだ。それまではおびえたように、いつも口元をふるわせていたというのに。

 魔法がかかった夜から数日経った日に、牧田に例のものはどこから手に入れたのか、と聞いたことがある。彼女は、何の感情も見せない目でこっちをじっと見ながら、人差し指を当ててきっぱりと言った。

「秘密です」

 しかし、自分の行ったことのせいで己を責めたのか、何日も彼女はまともに食事もできず、やせ細ってしまった。こればかりは気の毒なことをしてしまったと思う。

 しかし、何事も時間が解決するのだ。数年後、私が高校を卒業するころには、牧田の姓は笹野となり、二人で使用人をやめて出て行った。それからの消息は何も知らない。生きていれば、笹野佳弥子は私より一回り上になるのだろうか。

 この家で本当に一人になってからも、何度も私の姫に会いに行った。愛を囁きに行った。途中で結婚し、子どもも生まれた。それなりに愛着はあったが、私の本当の愛は妻には捧げていなかったと思う。誰もが私を冷たい男だと言うだろう。

 何度も書くが、私の姫は美しい。これを書いている今でも美しい姿を保ったまま、眠り続けている。

 もちろん動くことはない。それなのに、千鶴子は彼女の姿を見たのだと言っていた。そして、千鶴子は死んだ。私と息子を置いて。死ぬときの顔つきは安らかなものだった。

 成長した息子の嫁となった夏実さんも彼女を見たようだ。彼女は恐ろしいぐらい勘が良かった。私と関わりがあるのだろうとすぐに気づき、憤って私を問い詰めた。私が過去に間違いを犯しているのではないかと。何度も何度も私を責めた。

 そして、彼女も死んでいった。今度は私の息子を連れて、孫を置いて行った。

 どういうことなのだろうか。あの二人には会いに行ったのに、私の元には会いに来てくれない。姫に会うには、私の方から向かわねばならない。声の一つすら聞かせてくれない。 

 私はそこに嫉妬さえするが、それは矛盾か。私は彼女が永遠に美しいままでいることを望んだのだから。物でも人でも動けば皆、いずれはどこかにガタが来て壊れてしまう。

 しかし、これは罰とか代償なんだろうか。千鶴子も夏実さんも和也もいなくなってしまったのは。

 私がしたことは全て間違っていたのだろうか。その通り、間違っていたのだろう。しかし、過ぎたことはもうやり直しがつかない。

 姫は、私の姫は何を思って眠っているのだろうか。千鶴子にも夏実さんにも何を伝えようと姿を表したのだろうか。

 もしかしたら。彼女は、嫉妬したのかもしれない。

 私と結婚した千鶴子はある意味、私にとって姫のようなものだった。

 夏実さんも和也や私にとっては姫のようなものだったろう。

 しかし、私の本当の「姫」にとってはそんな存在は許せなかったのだ。この家の地下で眠り続ける「姫」にとっては。

 この屋敷という城にいていいのは、自分だけ。「王子」である私に近づいていい女は自分だけ。そんな思念が残っていたのだとしたら。彼女は邪魔者を排除したのか。

 目の前に現れ、彼女たちを脅したのか。

 しかし、こんなことを妄想するのも実に虚しいからもうやめにしよう。

 さゆりは「姫」でも、私は王子なんかではなかっただろうから。

 私は姫と結ばれる「王子」ではなく、美しい娘を閉じ込めた「野獣」だ。あの夜から永遠に。

 息子夫婦が死んでから、孫もずいぶんと成長した。もう私よりもずっと背が高い。

 姫のことなどあの子の前でおくびにでも出したことはないが、最近気づき始めたようだ。彼女の寝姿を見せてやったら、どんな反応をするだろう。あの子も私に似て白雪姫が好きだ。喜ぶだろうか。こんなのはおかしい、と私を罵るだろうか。

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