第四章 ビューティー・アンド・ザ・ビースト

日記 五月一日

五月一日

 今日から、新たな住居に越してきた。今までは、父がいる本家の邸宅の離れの部屋を主に住まわせてもらっていたが、父がひと月ほど前に、私の引っ越しを提案したのだ。

「もう君も十六なんだし、一人暮らしでもいいだろう。かえって、そっちの方がのびのびできるんじゃないか」

 父はそう言ったが、要は体のいい厄介払いだ。本家に私の居場所はないし、本当だったら置いておきたくないのだろう。私は「大企業の創業者の妾の子」という醜聞の元でもあるのだから。

 だが、私に逆らう権限などないし、そんなつもりも毛頭なかったので全てはつつがなく運んだ。すべては東雲家の財力の賜物である。

 東雲巌。十年前に始めた小さな薬局を今や日本の大手製薬企業、東雲製薬へと発展させた初代社長兼東雲家の現当主。

 そして、一夜の欲情に満ちた過ちで、生まれる必要のなかった私を作るはめになった哀れで気の毒な男。それが私の父だ。母は、私を産んですぐに産褥で亡くなったという。生きていたとしても、気の強い本妻にいびられていただろうから、生きていても生き地獄になったのではないだろうか。

 私の新居がどこになるのかは、当日まで聞かされていなかった。

 今日、本家がある文京区から父の私用の外車に乗せられ、一時間ほどで着いたのは世田谷である。

 この家を初めて見たのは今日だったのだが、最初に外観を見たときの印象は「西洋の城」である。城というほど大きくはないのだが、家の装飾(様式と言うのか?)がだ。

 外界と敷地内を隔てるような、黒く塗られた門。

 そして、日本の瓦葺が使われていない三角屋根と、赤茶けた石の壁という外観。

 周辺に似たような建物はなく、明らかにこの家だけ浮いている。

「これはまた凝った家ですなあ」

 付き添いで同乗した笹野は車から降りるなり、感心したように家を眺めていた。

「二階の窓、屋根がついた台形の出窓でしょう? 何十年も前にイギリスで流行った建物の作りなんですよ」

 笹野は何の受け売りなのかうんちくを語った。  

「ずいぶんと珍奇な家に住んでいたよな、あいつも。そう思わないか?」

 助手席から降りてきた父が呆れたように私に同意を求めた。同じ建物の評価でも、人によって三者三葉である。

「そうですねえ。本当に妙な家だ」

 要領の良い笹野はすかさず同調していた。

 しかし、父が言ったあいつとは誰のことかわからなかった。

 まだ言っていなかったか、と父が目を丸くした。

「この家はもともと、満が作ったんだよ。自分で自分の家を設計したんだ」

 ここに来るまでそんな話は聞かされていなかった。聞かなかった私もどうかと思うのだが。

 父が言った満とは彼の弟のことであり、私の伯父のことだ。生前はそれなりに著名だった建築家であり、戦後にできた京都の美術館の設計は彼がしたものだと言う。美術館に詳しくない私でも、そこの名前ぐらいなら聞いたことがあるから、建築家としての実力や信頼は確かにあったのだろう。

「だった」と私が過去形で話しているのは、氏が最近亡くなったからだ。

 満氏は半年ほど前にこの家の書斎で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。死因は心不全と言われているが、よくわかっていない。

 そもそも、彼は兄である父も含め、東雲家からは奇異な存在だったからだ。

 満氏は趣味として古今東西あらゆる書物の収集家をしており、奇怪な内容の本も多く持っていたためか、一族の中では変わり者扱いされていた。

 氏とは一度だけ会ったことしかないが、氏以上に特異な立場の私に対しても、嫌な目で見ることなく楽しそうに当時熱中していた小説の話をしてくれた。

 私も本を読むことは好きな方だと言うと、叔父は純粋な子どものように目を輝かせた。おお、仲間がここにいたなあ、と。

「それなら探偵小説を読むといい。世間ではエログロナンセンスだ低俗だなどと揶揄されるが、なかなかに面白いものだぞ」

 と言って、探偵小説の隠し部屋だか密室のトリックの面白さを楽しそうに語りだし、確かに変わった人だとは思った。

 よっぽどミステリに凝っていたのか、本業の建築士をする傍ら、ミステリ雑誌で評論やエッセイも書いていたそうだ。

「物書きなんかをしていたからな。だいぶ不摂生があったんじゃないか」

 葬式の日、満氏の遺体が荼毘に付されるのを親族一同会場で待っていたとき、何の根拠もなくぽつりと言えば、周りの親族も一斉に頷いていた。

 東雲家にとって満氏は不可解な存在だったのかもしれない。それ以来、彼の話をすることは本家では禁忌となった。

 彼が住んでいた部屋は、以前の邸宅と比べると小さいが、私と住み込みの使用人が住むには不自由しないだろう。

 私が使っていた家財道具なんかが後から運ばれてきたので、使用人とともに全て運び終えた。一時間、二時間はかかっただろうか。

 その後、父は私を連れて家全体を案内した。

 自室はここを使うといい、と言われたのは、二階にある部屋三つのうちの一部屋だった。

 父によると、裏庭が見渡せる私の部屋は、満氏が使っていた部屋だという。

 三つあるうちなぜこの部屋にしたのか、というのは氏が使っていた特別大きな本棚があるからだという。

「君は、本を読むのが好きだっただろう。好きに使うといい」

 その部屋の入口に積まれた大量の本に目をやりながら、父はそう言った。

 別れ際、父はこれ以上ないくらい晴れ晴れとした顔をしていた。

「一人にしてすまないが、時々は顔を見に来るよ」

 と言って、鉄格子のような黒い門を後にしたのを見送ったが、彼が再びこの家を訪れるのはだいぶ先のことだろう。元々私に興味などないのだ。

 今日から私はこの家で笹野と牧田を除くと一人きりだ。だが、食事など一家が集まる際に、義母や腹違いの兄弟の異端の目に晒される生活ではなくなると考えたら気が休まりそうだとも思った。

 父が帰って一人になったので、家全体を回ってみた。

 一階には食事をする居間の他に書斎。雰囲気は悪くない。

 二階には先ほど私と笹野、牧田三人の部屋にすることになった三部屋。以前住んでいた邸宅の離れから持ってきた荷物は全て笹野の隣の小さな物置部屋におさめられた。

 満氏が腫れ物のように扱われたのは、本家の人間の偏見からに過ぎない。

 本来の氏は至って善良だったと思う。

 むしろ、変わり者扱いされているのがわかったからこそ、はみ出し者の私にも明るく接してくれたのかもしれない、と今改めて気づいた。本当に惜しい人を亡くしたものだ。

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