シンデレラは、白雪姫に出会いました
「昔々、ある国のお城でお妃さまがぬいものをしていました」
心地よい語り口。ずっと聞いていたい。
お妃様、もとい白雪姫のお母さんは縫い物をしている最中に針で指を突き、血を流す。
指から流れる赤い雫を見ながら、彼女は思う。
血のように真っ赤な唇、雪のように白い肌、黒檀のように黒い髪の娘が欲しい。
そう願ったお妃は、それらを全て持った白雪姫を産むが、亡くなってしまう。
現れたのは、白雪姫の継母となる新たな妃。彼女は自分の美貌ばかりにかまけているような女性だった。
新しい女王は、自分の部屋の魔法の鏡に尋ねる。
鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?
鏡は答える。
お妃様は美しい。しかし、白雪姫はもっと美しい。
白雪姫の美しさに嫉妬した悪い女王は、狩人を刺客として送り込む。
しかし、姫を可哀そうに思った狩人は殺したことにして姫を逃がす。
無事に逃げた姫は、森の奥に住む七人の小人と共に暮らすようになる。
一方、白雪姫がまだ死んでいないことに気づいた妃は、物売りの老婆に姿を変え、自分の手で直接姫を殺めることを決意する。
一回目は絹のロープで姫の首を絞めて。しかし、帰ってきた小人たちがロープを外すと姫は息を吹き返す。
二回目は、毒液のついた櫛で姫の髪を刺して。これもまた、小人が櫛を取り外し、事なきを得る。
最終手段として妃が白雪姫に与えたのは、一度口に入れれば永遠の眠りにつく毒の林檎。
白雪姫は一口かじる。
そして、今度こそ小人たちにも助けられない死という名の眠りにつく。
小人たちは悲しみに暮れながら、彼女の小さな体をガラスの棺に閉じ込める。
いつでも美しいまま眠る彼女を眺められるように。
ガラスの棺の寝心地はどんなものなんだろう。
硬くてひんやりとした箱の中で眠ったら冷えてしまいそうだし、息苦しいだろうに。
白雪姫は可哀そうだ。
でも、案じることはないかもしれない。すぐに王子様がやってくるから。
ほら、来た。目を開けなくてもわかる。
黒い髪のハンサムな王子様だ。
うっとりとするように微笑みながら、私を見ている。
「やっぱり綺麗だね、眠る君の姿は」
王子様の声は遠く、くぐもって聞こえる。
「動いてるときでも十分綺麗だけど、眠っているとさらに綺麗だ。ずっと見ていたいぐらい」
ずいぶんと変なことを言う王子様だ。
微かな笑い声。
「おやすみ。良い夢を見て」
耳元にかかる、吐息とささやき。
頬には熱く濡れた柔らかな感触。
ちゅんちゅんと小鳥のさえずる森の中では、一面に咲いた草花に優しい日差しが差している。
その中で何かを覗くようにかがみこむ男の人。遠くからだし、見えるのは大きな背中だけ。でも、身体全体を包み込むような長いマントを着ているから、その人が王子様だっていうのは丸わかりだ。御伽噺の王子様は誰だってマントをつけている。
膝をついた王子様の足元にあるものは、透明の棺だ。ぼんやりとした輪郭だったけど、白くて小さな楕円形のような者が見えた。多分、人の足だ。中にいるのは、誰なんだろう。
いやいや、愚問だった。透明な棺の中にいるのは、白雪姫だ。死んだように眠っている白雪姫。
でも、あの娘はまだ死んでない。これから、王子様のキスで息を吹き返す。その奇跡的瞬間が今から始まろうとしている。
王子様は棺に手をかけた。かたり、と硬いもの同士が触れ合うときの音がする。王子様が持ち上げた透明なガラスの蓋からは、森の中にぽつんと立つ赤い屋根の小さな家が透けて見えた。
王子様がぐっと前身を棺に、近づける。さあ、これから呪いは解けるんだ。
ぴたり。王子様の動きが止まった。マントに覆われた背中はぴくりとも動かない。何かがおかしい。
王子様はうろたえたように、周りを見渡し始める。一瞬後ろを振り向いた口元が何かを訴えるように動いた。
この子じゃない。
何を言っているんだろう? この子じゃないって、あなたがキスしなきゃいけないのは、棺の中の白雪姫だ。
気が付けば、王子様は棺の中から眠っている白雪姫を腕の中に抱えていた。華奢で真っ白な足、だらりと長く垂れ下がった黒い髪。
そして、彼女は棺の外の地面にそっと寝かされる。長く生え伸びた草花たちに隠されるように、白雪姫の寝姿は見えなくなった。
あの子は棺の中から追い出された。
なにがなんだかさっぱりわからない。話が、御伽噺が、狂い始めている。一体、どうして。
視線を感じる。王子様が、私を見ている。
ここにいたんだね。
会いたかったよ。
王子様の長い手が伸びてくる。私の手首を掴む。ぎゅっと強く握られてるわけじゃないのに、私の細い手首じゃ、振り払うこともできない。
ちょっと待って。私じゃない。私は白雪姫じゃない。本物の白雪姫がいたでしょう?
身体がふわっと浮き上がったかと思うと、地面が見えた。いつの間にか、草も花も枯れた地面は汚いどどめ色ばかりの光景に変わっている。
私の左目は王子様の顔を見下ろしていた。そこでようやく、王子様に抱き上げられているんだと気づく。ばたばたと藻掻いても、彼の腕の中から逃げることはできなかった。
差し込んだ日の光が目元を隠しているから、どんな目をしているのか見えない。でも、口元は嬉しそうに微笑んでいる。知っている、この王子様は私の知っている顔だ。
目が合った。生い茂る草と草の間で仰向けになっている彼女と。
眠っていなかった。棺の中で寝ているふりをしていたんだ。真っ黒い二つの瞳が私を見上げている。今までの一部始終を見ていたんだ。
非難するような視線が刺さる。私は決して、彼女に快くは思われていない。
そうだよね。だって、彼女こそ白雪姫なのに。私は違うのに。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
理由のわからない涙があふれて止まらない。
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