少年は「この家は呪われている」と言いました

 熱く熱されたティーポットから紅茶をカップに注ぎながら、背後にいるキョウを振り返る。本当なら私一人でゆっくり飲むつもりだったのに。

 目つきの悪い少年はお邪魔します、の一言もなくリビングに上がると、当たり前のことのように、四つあるうちの椅子の一つに堂々と座った。

 そして、現在はテーブルに肘をつきながら、お茶とお茶菓子を待っている最中だ。細い眉と切れ長の目をしたなかなかの美少年で、肘をつく様は映画に出てきそうに見えないこともない。

「お茶、まだなの? 僕の方見てないで早くした方が話も早く終わるし、お互いにとって良いと思うよ」

「はいはい、そうですね」

 口を開くと残念だ。

 家の中で暴れたり、私を襲ったりするのが彼の真の目的だったとしたら、もうすでに行動に移していると思うので、その心配はないと思う。

 しかし、この謎の上からの態度は何とかできないんだろうか。マナーとかエチケット云々についてとやかく言いたくはないけど、一言ぐらいは文句言ってもいい気がする。言わないけど。

「一つ聞くんだけど」

「絶対一つじゃないでしょ」

「うるさい。君が言うこの家に関する話っていうのが、どこういうものなのかまだほとんど教えてもらってないんだけど」

「何だったらいいの?」

「この家は呪われてるから出ていきな、とかだったら迷惑以外の何者でもない」

「悪いけど、そういう話」

「やっぱりそうだと思った。子どもってみんな怖い話好きだよね」

「子ども扱いするな。あんたと十も違わないはずだよ」

 ムッと口をとがらせるキョウ。そういうところが子どもだって言うのに。

 学校の怪談だの、都市伝説だの誰でも通る道だ。でも、ある程度の年齢を過ぎたら信じなくなるけど、残念なことにこの一帯はそういうわけではないようだ。

 そしてキョウの言葉によって、蘇る忘れたかった記憶。

 引っ越してきたばかりのあの日。やってきた桜井さんと、家の周りを囲むように集まってきた老人たち。お嬢さん、ここに住んだら死ぬよ。

「ここに来る近所の人ってそういう人たちしかいないんだね」

「だって、ここはそういう家だから」

「どういう家よ?」

「曰く付き」

 何となくわかっていた返事にため息しか出なかった。キョウも何も答えず、テーブルに肘をついてそっぽを向く。

 それ以上聞いても何もなさそうなので、諦めて紅茶と、リビングに偶然残っていた個包装のチョコクリームビスケットを差し出す。

 キョウは、紅茶の匂いをすんすんと嗅ぐと顔をしかめた。

「これ、アールグレイ?」

「そうだけど」

「僕、あんまり好きじゃないんだよね、これ。ダージリンとかないの? 日本茶でもいいよ。あとコーヒーとか」

 茶葉にどうこう言えるなんてご立派な立場ですね! と怒りで叫びだしそうになるのを必死に堪えて、深呼吸する。六秒経てば大概の怒りは落ち着くって聞いたことある。実際には落ち着かなかったけど。

「うちには今これしかないし、好みが合わなくて残念だけど私はアールグレイ派なの」

「あっそ。じゃあ、飲まない。どうせ、話終わったらすぐ帰るし」

 そっぽを向くキョウ。つくづく憎たらしい少年だ。

「すぐ終わるんだったら、玄関で話しても良かったんじゃない?」

「外で立ち話には長すぎるんだよね」

「あーそうですか、そうですか」

 自分用に入れた紅茶を一口すすると、いくらか気分がすっきりして、玄関で顔を見たときに聞きたかったことを思い出す。

「あのさ、この間、外から見てたでしょ?」

「うん、見てたよ」

 あっさり認めるキョウ。

「何のつもりだったの? しかも、結構な夜中に」

「夜中って言っても夜の七時ぐらいだったろ。別に、深い意味はなかったよ。でも迷惑だったなら謝る、ごめん」

 やけに素直だな、と面食らう。

「別にいいけど、あれは何で?」

「この家に新しい住人が来たんだなあってちょっと驚いて見てただけ。奥さんなの?」

「え?」

「だから、お姉さんは東雲さんの奥さんになったのかって」

「今は別にしてないよ。ただ付き合ってて同棲してるってだけ」

「へー、これからするかもしれないんだ」

「そうかもね。いや、こんなこと聞いてどうすんの?」

 プライバシーつっこみすぎだと思うんだけど。

「どうもしないよ。ぶっちゃけ、あんたがこの家の男の人とこの先結婚するかしないかはどうでもいい。だけどここには住まない方がいい、どっか余所に引っ越しなよって言いたい、それだけ」

「どういうことよ、それ」

「そのまんまの意味だよ。僕以外のここら辺の住人も思ってることだろうけど、この家は呪われてる。特にあんたは危ないんだよ。だから、こうして忠告に来たわけ。こういうこと、他の人にも言われてんじゃないの?」

「言われたよ。でもあいにくだけど、私はそういうの信じるタイプじゃないの。創作ホラーは好きだけど」

 作り話だということ前提で見聞きする幽霊話と、目の前の人間から「ここには霊とか呪いがあるから危険だ」という話を聞かされるのは違う。心霊ホラーは作り話だから面白い。

 母が恐れる予知夢の信憑性をいつからか疑いうざったく思うようになってしまったのと同じだ。昔だったら、喜んで耳を傾けて大いに怖がったかもしれないけど、今は真剣に聞こうなんて思わない。

「言いたいことはわかる。でも、最後まで話は聞いた方がいい。信じられないなら忘れればいいし。終わったらいくらでも文句は聞く」

「へえ、君がする話ってそんなものでいいんだ」

「嫌なら聞き流せばいいだけだから、無理に信じろとは言わない。でも『ああ、本当だったんだ』って思う日が近いうちに来るかもしれないだろ」

 キョウは意味ありげに不気味な笑みをそっと浮かべる。

「手短かに言うとこの家の呪いは、女性だけにしかかからない。お姉さんの恋人、千秋さんは男性だから何も関係ないし、何も感じられない。でも、あんたには何かしらあってもおかしくない」

「あると思うって、今までに前例があったみたいな言い方だね」

「あったよ。二人の女性が亡くなったのは、この家についてる呪いのせい」

「え?」

 この家で亡くなったのは、東雲満と千秋くんの両親じゃなかったのか。

「待ってよ。この家で亡くなってるのは、女性二人ではなくない?」

「この家に死者が出てるってことは知ってるんだ。確かに、亡くなってるのは建築家の東雲満と、千秋さんの両親、それからその前のお祖母さんの千鶴子さんのことかな、あんたが言いたいのは」

 周知の事実だと言いたげな顔で、言ってのけるキョウ。

「そうだよ。詳しいんだね」

「この一帯じゃ有名だし、この辺に昔から住んでる人たちに何度か話聞いたんだ」

「何で?」

「何で、って何が」

「自分の家であったことじゃないのに」

 キョウが顔をしかめる。

「別にいいだろ、法に触れてるわけじゃないし。自分の住んでる周辺で何があったのかとか気になるじゃないか。人が立て続けに亡くなってるとかだったらなおさらさ。この土地一体に何か問題があるのかもしれないし」

「まあね」

 こういうタイプは、将来記者とかになれるかもしれない。

「というか昔何があったのか知っときながら、ここに住むこと何とも思わないんだ?」

「事故物件とかそういう話? でも、いちいちそんなこと騒ぎだしたらキリないでしょ。人はいつ、どこで死んだっておかしくないんだから」

「なるほど、現代的で合理的な考え方だね。嫌いじゃないかも」

 何とも偉そうな言い方だ。

「でも、ここで東雲満は含まない。東雲満、昭和の一時期に騒がれた建築家の死因は当時の新聞にも書かれた通り、心不全だ。心不全は死因不明ってことでもあるけど、呪いは関係ない。生前の本人のインタビューでも不規則な生活してるって自虐してるぐらいだし。そもそもこの呪いは、東雲満以降にかけられたんだ」

「どうしてそんなことわかるのよ」

「証拠として一番疑わしい話がある」

 キョウはズボンのポケットから冊子のようなものを取り出す。

 青いカバーのかかった小さめの手帳。そこに挟んでいた薄いもの一枚を取り出して私の目の前につきつける。

 折りたたまれた灰色の紙。

 新聞紙の切り抜きのようだが、新聞紙ではなく、記事を印刷したコピー用紙だった。

「これ何、新聞のコピー? どこから持ってきたの?」

「この近くの私立大学の図書館。地元民なら手続きすれば誰でも入れるし、新聞記事のアーカイブだってコピーできる」

 そうか、そういうところもあるか。

 記事にざっと目を通す。

 見出しには「十四歳少女が行方不明 新宿神楽坂」とある。


『五月十三日未明から、東京都新宿区神楽坂在住の宮内弘明氏(四十)の長女、宮内さゆりさん(十四)が行方不明となっている。さゆりさんは同日昼十二時ごろには、自宅にいたことが宮内家の使用人の証言から確認されているため、失踪したのはそのあとだと推定されている模様。

 十三日夕方に出された家族からの捜索願いにより目下捜索を続けているが、手がかりは見つかっておらず、捜索は難航している模様。

 さゆりさんの外見は黒い髪に白いワンピースを着ていたとのこと。弘明氏と妻の早苗さんは「些細な情報でも構わないので情報提供が欲しい」と涙ながらに語った』


「失踪事件?」

「当時は結構騒がれたんだってね。事件があったのは、一九五九年。結局、事件は解決しなかった。宮内さゆりはある日忽然と失踪して、見つからないまま終わり。六十年前だから、年齢的に今でも生きてる可能性は高いけど」

「昔は色々あったんだね。その話がこの家と関係あるの?」

「あるよ。元はこの家、東雲満の家だったってのは知ってるだろ。彼が亡くなったのは一九五八年十一月。甥の東雲文成が越してきたのは、半年後の一九五九年の五月のことだって。一緒に住んでた使用人に女性がいたらしいけど、何もなかったみたい」

 一緒に住んでた女性の使用人というのは、現在高齢者ホームで暮らしている笹野さんのことだろう。

「つまり、東雲満は誰も呪わなかった。そういうことが言える」

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