シンデレラは、不思議な少年と出会いました

「……んんっ、肩、いったあ……」

 両腕を上げて伸びをすると、凝り固まっていた肩がばきばきと鳴った。ずっと座って本を読んでいるのは楽そうでいてすごく疲れる。人間、ずっと動かずにいるためにはできていないようだ。

 本があふれた部屋で平日の朝から読書できるなんて最高だ。今日はバイトもないから何も気にかける必要ないし。

 読んでいたのは、千秋くんのお祖父さんが所持していた本の中にあった、シャルル・ペロー童話集。

『長靴を履いた猫』がこの人の作品だってことは、この童話集を読むまで知らなかった。

「……なんか飲むかあ」

 冬だけど、乾燥したところにいると意外と喉が渇く。

 キッチンの棚を探れば、紫の缶が見つかる。中には、お気に入りのブランドの紅茶のティーバッグ。一人で優雅にティータイムでもするか。

 窓の外で何か動いた気がした。缶を無造作に置いて、窓を開ける。入り込んでくる、冷たい空気。

 景色の真ん中には、地域柄に合ったちょっと高級そうなマンション。隣はおしゃれな雑貨屋。手前は、時折車が通る車道。

 ただ一人、佇んでいる誰かを見つけた。家を囲む柵の向こうだ。

 その人は一眼レフを構えたまま固まっていた。ここからでもカメラのレンズがキッチンの窓に向けられていることがわかるぐらい近い。

 唐突な遭遇に頭が回転しないまま戸惑っていると、そいつと目が合った。

 まずい、と言いたそうに目をそらされる。

 紺色のウインドブレーカーのフードの下には、中高生ぐらいの少年の顔。暗い色合いの布地に溶け込んでしまいそうな黒い髪が四方に飛び出るように跳ねていた。

「ちょっと、何してるんですか?」

 本当に恐怖を感じると人は声を出せないと言うけど、意外にも声が出せた。

 逆に声をかけられた相手がぎくりと体を震わせた。そうしたいのはこっちの方だっていうのに。

 この反応どっかで見たことある気がする。確かあの時はこの家の二階の部屋の窓から。

「あの、もしかしてこの間」

 家の中から外の知らない人間に話しかけている。シュールな光景だと思う。

 少年は何も答えず観念したようにため息をつくと、くるりと背中を向けた。あ、これ逃げられるやつなのでは? 

 もっと早く外に出て捕まえておくとか、警察呼んだりとかをすべきだった。自分の要領の悪さに情けなくなる。今から追いかけてみるか。

 遅れること数十秒、玄関まで駆け付けた瞬間、リンゴーンと音がした。ハッと固まっていると続けて二回目。

 ガラス戸から訪問者のまとった色が見えた。黒に見えるけど、多分紺色。

 恐る恐る開けた先には、やっぱり一眼レフを首に提げた少年が立っていた。

「逃げたと思った? 予想に反して悪いけどそういうことはしない」

 少年の口から出たのは、低く淡々とした声だった。小中学時代、子どもらしい甲高い声から声変わりした同級生の男子の声はこんな感じだったと思う。

 開口一番そう告げたうえに、少年はどや顔で笑ってみせる。

「あの、さっきも言いましたけどここで何してるんですか?」

「無許可で悪いけど、この家全体の外観写真撮ってただけ」

 無許可で悪いけどから先が理解できなかった。「だけ」で済む問題じゃないことをさらりと言われたような。

「は、この家全体の何、ですか?」

「写真だよ、しゃーしーん。玄関、庭、キッチン、って撮ってたらあんたに見つかっちゃったわけ。リビングに電気ついてなかったし、平日のこの時間帯なら誰もいないかなって思ったんだけど、いたんだね。暇なの?」

 一気にまくしたてた後、あきれたようなため息をつく少年。

「いやいや、それ普通に犯罪では?」

「別にどっかに晒そうとは思ってないからいいでしょ。許可もなく撮ってたのは良くなかったって認める。ごめんなさい」

 全く悪びれてない謝罪。

「ふーん、まだここら辺は大丈夫そうだね。問題は奥、だよね。思い出した」

 何の話だ。あと、今更だけど誰。

 そこでやっと聞きたかったことを思い出す。

「あの、もしかして」

「わかってるよ。この間会ったよ。この家の外から」

「そうですよね。それで、どちら様でしょうか」

「この辺に住んでる住人に決まってるでしょ。じゃなかったら、こんなところ来ない」

 そりゃそうでしょうけど。

「だから、あの、お名前は」

 少年はため息をつく。

「……クラモチ」

「倉持」と書くんだろうか。

「下の名前は?」

「……キョウスケ。知り合いからはキョウくんとか呼ばれてる。それより悪いけど、中入れてくれない? 大事な話あるからさ、ここじゃ寒すぎる。本当は入りたくないけど、今は仕方ないんだ」

「は?」

 いや、唐突すぎるでしょ、さすがに。距離感なさすぎるというか。そもそも「入りたくない」のに、仕方ないってなんだ。

「悪いけど、このご時世、素性もよくわからない人を『はい、どうぞ』って入れると思う? それに君、学校は?」

「お姉さんに心配される筋合いない。それより大事な話があるんだって、別にお姉さんのこと襲ったりしないよ。話聞かないと絶対後悔するから」

 キョウは肩をすくめる。その仕草をしたいのはこっちの方なんだけど。

「その大事な話って何? 具体的に何の話なの?」

 もうため口になってるけど、向こうが始めたんだし構わないだろう。

 少年は地面に視線を落としながら、一瞬考えるような素振りを見せる。

「どれほど大切な話なのか言い訳思いつかないなら、帰ってもらって」

「……この家に関する話、って言えばいい? この家の写真撮ってた理由にも繋がってくるんだよね」

「え?」

「この家で今まで何があったのかっていう話。本当はじいちゃんの方が詳しいからじいちゃんに直接話してもらうべきなんだけど、もう何年か前に亡くなってるから僕が話す」

 キョウが言い終えると同時に、何の前触れもなく大粒の雨が降り始めた。

 今の今までは快晴だったのに。

「通り雨かな」

 キョウが空を仰ぎ見る。

「やだなあ、思い出しちゃうから晴れてて欲しいんだけど」

「は?」

「何でもない、こっちの話」

 この少年の言うこと全て謎だらけだ。そして、こうしている間にもざあああっという轟音のような雨音が辺りに響く。

「ねえ、こんなに雨降ってきたことだし、家の中入れてよ。あんただって濡れたくないでしょ?」

 どんよりとした目で、キョウは「だから言っただろ」というように、にやりと笑った。

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